1ー11.魔女のかくれざと

 うす暗い天井だけが視界にあった。石でできた空間がくらやみに包まれている。温かい空気が溜まっている。

 ルゥは目を覚ました。混乱した記憶だけが頭のなかを閃光のように駆けめぐる──でも、ルゥはこの手の記憶力には長けていた。次第にごちゃごちゃしたできごとを、紙に糸で通すようにかんたんに時系列に戻した。ああ、そうか、ボクは──


「気がついた?」一度聞いた少女の声。


 首だけを横にすると案の定、あの少女がいた。赤金色の髪で、醜い顔の半分を隠しつつ、それでも伺える凶々しいほどの美しさをひけらかしながら。


「ヴェラステラ」と少年は少女の名前を呼んだ。


「ありがとう。その名前で呼んでくれて」


 ヴェラステラは微笑んだ。


「ここは、いったいどこなの? ボクが憶えてるのはあのとき──」

「それ以上は言わなくてもわかってるわ。さっそくだけど身だしなみを調えて。会わせなきゃいけないひとがいるの」

「……?」

「いいから、はやく」


 ルゥはうす暗がりのなかで、自分の衣服を正し、それから顔や身体を確認した。べつに殴られた形跡もないし、ひどく傷つけられたわけでもない。あのときシルベール皇国の紋章が刻まれた赤旗が降りてきたとき、間違いなくみなが困惑していた。長い間〝世界のはての壁〟を超えることがなかったはずの圏外の軍隊が、なぜかこの辺境の村にやってきて──それから。

 いいや、それ以上は考えるまい。ルゥは首を振った。第一、そこからなぜいまここにいるのかのつながりが、ルゥにもわからない。


 藍色のローブの裾を延ばして、ルゥはヴェラステラの案内に従った。


 次第に目が慣れてくると、ふしぎなことにこの空間自体がかすかに発光しているかのように手元足元がよく見えた。見渡す限りの石、石、石──何ものかが血と汗を流したとしか思えないほどのていねいなつくりの石洞が、城館の廊下や部屋を模して続く。そのなかを、カツーン、カツーンと靴音を反響させつつ少女と少年は進んでいた。

 途中でひとと何度かすれ違った。男もいたし、女もいた。みな粗末なローブだったりチュニックだったりした。どこの臣民たみくさかはまるでわからない。ただ、持ち運んでいるかごがクチヒゲヤナギのひこばえだったり、キヨメガシの固い木の皮だったりしたので、決してここが地下にこもった世界ではないのは明らかだった。


 やがてたどり着いた石の部屋は、ひとつの大広間にも似た高い天井と、それに反してまばゆい温かい光に満ちていた。

 石の柱が等間隔で続く回廊、その奥にある調度はさながら城市で旅芸人が歌ったり踊ったりする舞台そのものだ。


 ただ、あまりにも大仕掛けだった。


 ルゥが目の当たりにしたのは、精密な歯車と金属のレールが組み合った巨大な天球儀だった。中心に配置されたかれらの住む世界を起点に、その周囲を回るさまざまな恒星と惑星、それからさまざまな月の模型が複雑な軌道を描いて回転し続けている。

 人工的につくりだされたひとつの宇宙──それが、石の大広間の中空に君臨し、不気味な駆動音とともに少しずつ動いている。その動きは緩慢で、たたずむだけで天空のことわりと心身を重ねるような錯覚に陥る。


 その、手前にひとりの女が座っている。髪留めを駆使した複雑なシニョンでふたつの束を丸くまとめており、貴婦人と見紛うほどの礼服に身を包んでいる。身体をほとんど晒さない独特なドレスで、時代錯誤とも思えるほどの厳粛なたたずまいだった。

 ルゥはこの婦人に出会したとたん、頭を下げなければならないと察した。立ち止まり、ゆっくりとこうべを垂れる。その視界の端でヴェラステラも同様にしていた。


「教母さま、われらが〝風読み〟のを連れて参りました」

「──?」


 ルゥは思わず口を挟んだ。しかしそこから先の反論は、貴婦人のまなざしによって封じられた。その非対称の──かたや金に輝き、もういっぽうが銀にきらめく。蠱惑的な視線に惹き寄せられてしまう。


「ありがとう。わたくしのかわいい末の娘よ。おかげで大いなる悲劇からは免れるでしょう。なんじが母たちが受け継いできた教えは途絶えずに残すことができます」

「…………」

「ヴェラステラ、しばらく席を外していてくれませんか。エスタルーレのの選択は、確かにわたくしたちにとって重要なことですが、まずなによりも、最初の最初から説明して差し上げなければなりません」

「はい。わかりましたわ。教母さま」


 ヴェラステラはそう言いつつも、ルゥに対して軽く舌を見せた。べ、と小ばかにするしぐさを受けて、ルゥも少し負けん気が出る。

 しかし彼女はさっさと引き下がってしまった。急に知っているものがひとりもいない空間に取り残され、不安になる。その心中察したかのように、〝教母さま〟は微笑んだ。


「大丈夫ですよ。別にあなたを取って食べようというわけではありませんから」

「…………」


 ルゥはしばらく逡巡しゅんじゅんしてから、


「あの、ボクは男なんですが」と恥ずかしそうに言い出した。

というのは、言葉のあやというものです。わたしたちの宗派では、子どもはみな〝娘〟ということになりますからね」

「やはり、あなたがたは」

「魔女ですよ。そちらの言葉で言うならば」


 しかし緊張はない。むしろなつかしの血縁者にでもあったような、柔らかい受け答えである。貴婦人はおもしろいものを見るようにほんの少しだけ眉を動かした。


「さて、どこからどう、話せば良いのでしょうか。あなたはどこまで真実にたどり着いたのか、そこからお話し願えませんか?」


 やさしい言葉だったが、拒絶することができないような響きだった。ルゥはすっかりこの〝教母さま〟に身を預けて話してしまったほうが心地よい──と思ってしまう。

 ルゥ自身、いままで独力でたどりついた真実がどこまで正しいのか、確信がない。だからとりあえず確信できたことから順を追って話すことに決めた。


「ええと、まずボクたちは──魔女エスタルーレの子ども、ということですよね」

「はい」

「そして、エスタルーレと、ボクのお父さんはエル・シエラで出会った」

「その通りです」

「……あの事件については、ボクもよく知らないんです。でも、とにかくよく知られている話をなぞっていくと、少なくともボクたちのお父さんお母さんは、あの〈惨劇〉の当事者だった、というわけなんですよね」


 魔女は是とも否とも言わずに、ただ微笑んでこの話を受け止めていた。

 ルゥは構わず続ける。


「〈惨劇〉のあと、メリッサ村に移住したふたりは、ボクたちを産んで、育ててくれた。ボクがわからないのはその先です。お母さんはそのまま獣痘で亡くなってしまったのか──それとも、まだ生きているのに死んだことにしているのか。そして、リナが騎士になりたいと言って、それでも許したのはどうしてなのか……」


 少年は首を振った。


「あんな事件と、そのいきさつを聞かされたあとで、どうしてもわからなかった。どうしてお父さんはリナを騎士にすることを許せたんですか……ッ!」

「そのお話は、だれから聞いたものですか?」


 魔女はしかし共感も同情もないまま、訊ねた。


「村のユリアおばあちゃんから聞きました」

「そうですか。あのひともまた、ひとつの真実を知るもの。しかしわたしはエル・シエラの事件よりもはるかむかしから、エスタルーレというを知っておりました」


「……あなたは、」と、ここでルゥはいまさらのように気づいた。「いったい。いったい何ものなんですか?」

「最も古きもののひとりです。上代の《記憶》を語るもの。そして世界のいしずえを見て知っているものです」

「…………」

「エスタルーレの話からしましょう。あのはわたくしの娘たちのなかでも最もすばらしい感性に恵まれていました。星を見て天のことわりを知り、風のささやきひとつで異変を察することが大変上手でした。あの娘はね、ここ〈蟻塚ありづか〉で生まれ育ったのですよ」


 ルゥは驚きに目を見開いた。

 魔女は続ける。


「しかし、彼女は奔放で聞かん気がとても強かった──その性質の一部はあなたの片割れが受け継いだのでしょうね。エスタルーレはこの魔女のかくれざとからひとりで抜け出て、しばらく叙事詩圏のほうぼうを歩いてまわったそうですよ。エル・シエラもそのひとつだったということでした」


 まるで他人ごとだ、とルゥは思った。しかし初めてかれは、母を実在の人物として受け止められるようになっていた。それまでかれにとって、〝母〟は信心に過ぎなかった。


「ところで、あなたにはなぜわたくしたちが〝魔女宗派〟と呼ばれるのか、そしてなぜこうした社会情勢においてなお教えに抗った考えに身を置こうとするのか、それを話したほうが良いかもしれません」

「はい、ぜひ。お願いします」

「あなたはまず、〈聖なる乙女〉という存在をどこまで知っていますか?」

「……王家の血筋を引いた姫君がなるもので、女神に仕える特別な神官、ということですよね?」

「その通りです。では、初代の〈聖なる乙女〉が魔女であったことはご存知ですか」

「そんな!」


 魔女はあくまで上品に笑った。


「それでは順序があべこべだ、と言いたげですね。しかしそうなのですよ。最初の〈乙女〉アストラフィーネは、わたくしが魔法使いの秘技を見せ、教え、そして育てました。いまの〈聖なる乙女〉が叙事詩圏世界の命運を占い、予兆し、それから幸運を招き寄せるように祈りをささげる──そのすべてが、元来わたくしたち〝魔女〟が代々受け継いできた術であり、魔法だったのです」

「では、なんで〝魔女〟は異端になったのですか?」

「同じことができるからです。言ってしまえば、わたくしたちは〈聖なる乙女〉と同じ技を使いこなせるわけです。まつりごとの場は、こうした術を臣民たみくさが振りかざすことを嫌います。そのせいです」

「…………」


 ルゥには、とても想像しにくいほどの途方もない規模の話になっていた。


「しかしふしぎなことに、わたくしたちの魔法の力はに宿りやすいのです。いくら教えが禁じたところで、白魔術の研究によって理論的に解明を試みたところで、その発現は止めることができない。制御することだってままならない。少なくとも、王家以外の血筋からも、その片鱗は生み出されてしまうものなのですよ。それをなかったことにしようとすると──当然、無茶なことになってしまいますね」

「それが、魔女狩りの真相なんですか」

「わたくしはそう見ております」

「いやに慎重な返し方ですね」

「これは真実のひとつですが、真相ではありませんからね」

「どういう……」

「魔女とは何ものか──その問いは、魔法とは何かという問いです。そしてその問題はいまだだれにも解かれていない永遠の謎といっていいのですよ」


 ルゥはすっかりふさいでしまった。


「ですが、古き名も忘れられた神々は、わたくしたちに力と技を、そして世界を知る勇気を授けてくださいました。魔女の力はまつりごとによって押さえつけられてはならないものなのです。魔女は、その教えをもとに、わたくしを通じて無数の娘たちに世界のいしずえとなる知識を伝え続けてきました。これからもきっとそうするでしょう。わたくしたちは、〈聖なる乙女〉がある限り、相容れることのない存在なのです」

「ではどうすると言うんですか。魔女の存続をかけて戦争でもするとでも?」

「残念ながら、そうしているもおりますね」

「なんですって!」

「それはまた別のお話です」

「でも、それってシルベール皇国の件とも重なることではないんですか?」

「大いに重なります。しかし、事態はより深刻です。魔女があっても、なくても、この流れは変えることができない」


 ルゥは焦って結論を急ごうとしたが、魔女はまだ待てを続けている。いったいいつまで話をするつもりだろう──ルゥの気持ちを見透かしたように、魔女は立ち上がった。


「これ以上話を続けても仕方ないでしょうね。ここから先は、場所を変えておこないましょう」

「どこへ、行くんですか」


 そもそもここはどこなんですか、という質問はあえて避けた。


「あなたのお母さんのところですよ」


 ルゥは、いま一度聴いた言葉を、すなおに受け止められずにいた。


「なんですって」

「あなたの母エスタルーレは、生きていますよ。ただし、ここ〈蟻塚〉から動けない。その理由は、これからあなたに頼むことに関わる重要なことなのです。それはいくら口で説明してもむだなこと。百聞は一見にしかず、と言いますからね」



     †



 道すがら、魔女はみずからをマグダレーナと名乗った。

 彼女が語るところによると、〈蟻塚〉と呼ばれるその地下世界は雲海山脈の北に伸びた箇所に位置するという。ルゥは意識を失っている間にそこに運び込まれたというのだ。


「シルベール皇国による叙事詩圏メリッサへの襲撃は巧妙に仕組まれておりました。ある事情通から仕入れた雲海山脈の〝秘密の通路〟が実在すると、確信あっての作戦行動だったのです。あの侵攻には残念ながら、わたくしの五本指にも等しい力のある娘が積極的に加担しております」

「でも、あなたは止めなかった」

「わたくしにそのような力はございません。ただわたくしはものごとを教え、知識が死なないように自制するのみです」

「それでもなんとかならなかったのですか」

「だめですね。あなたもいずれわかることでしょう。この世には、たとえわかっていてもひととして止めようがないものがふたつあります。ひとの、悪意と、そして善意です」


 それからマグダレーナは、もしいまの計画が正しく進行しているなら、シルベール皇国は〝世界のはての壁〟に四五〇〇の兵士を、そしてメリッサに五〇〇の兵士をそれぞれ差し向けているはずだと言った。〝はての壁〟は外からの攻撃には強いが、内側からの挟撃にはもろい。シルベール皇国のねらいはそこにあるのだと。


「そこまでして、なんで彼らはこの叙事詩圏に攻め入りたいのですか」

「凍らない港が、欲しいのだそうです」

「…………」

「あなたは想像できますか。この世界のどこよりも冬が早く来て、雪と氷に閉ざされ、常に火がないとあすを生きることすら夢幻のような世界にいて、港が凍らずにあることのすばらしさ、あくがる気持ちを」

「…………」

「まあしかし、だからと言って争いが肯定されるわけではありません。シルベールの君主はその点、世界の危機にだれよりも過敏でした。われわれが数々の星占と風読みを通じて、ようやく確かめ得た〝異変〟をまつりごとのなかから素早く理解し得たのです」

「それは、なんなんですか?」


 マグダレーナは即答しなかった。ただあの天球儀の間から、さらに奥に続く通路を、連れ立って深いところまで降りていく。

 ルゥもおそるおそるあとを追いかける。だんだんと、石洞の構成も変わってきたのか、歩いて踏みしめたところから、ほのかに青白い輝きをまといだした。先行するマグダレーナの光る足跡をたどりながら、ルゥも歩みを進める。


「いま、世界からあらゆる力が失われています。大地が精気を失い、気の抜けた風が吹きすさび、火は燃え盛ることすらできず、水はたびたび濁るようになりました。ここ叙事詩圏ではまだおだやかですが、〝世界のはての壁〟より向こうの大地でその異変はより激しく、生きとし生けるものを襲っています。サトムギが枯れ果て、芋すらも満足に生えない大地に、ひとびとは生きてます。濁った水を飲んで病に倒れ、決して温もりをもたらさない火を取り囲んだためか、ひとびとの心はすっかりすさんでしまいました。

 もはや彼らは言葉を軽んじ、気安くひとを貶め、みずからを顧みることがありません。本質を失った名を呼び合い、実体がない喜びだけを追い求め、後悔しながら死んでいく。いや、もはや生きていること死んでいることの区別もままならない。魔法が失われてからはや一千年の歳月が過ぎ去ろうとしているのです。当然と言えば当然でしょうか」

「でも、魔術があるんじゃないですか」

「それはしょせん、まねごとでしかないのです。過去に起こった魔法──その奇跡の反復と再生を、記録からたどるように、行なっているに過ぎません。いわばそれ自体がひとつの過去の栄光にすがりつく行為なのですよ」

「…………」

「真の魔法とは、世界と触れ合い、たなごころに収めるように名を記憶することです。わたくしたちが発する言霊が何を意味するかをわきまえ、それを用いて世界の応答を聴き入れるものこそが賢者でした。

 しかしもはや俗世では魔法とは〝奇跡〟と同義語になってしまいました。いまや魔法技術と銘打たれ、力を濫用し、世界からあらん限りの〝奇跡〟を搾り尽くすことが賢きものの御業みわざとして知られている。魔法とて万能ではありません。力はつねに、それを望んだものに代償を払うように迫ってきます。いま起こっている異変の──力が衰えつつある原因のひとつに、われわれが生きているこの叙事詩圏を守っている魔法が影響していると、わたくしたちは結論付けたのです」


 やがてたどり着いた場所は、〈蟻塚〉の深淵に位置する暗がりの舞台だった。

 青白い輝きを秘めた鉱石が織りなすその空間は、地底であるにもかかわらず満天の星空の下にあるような静かな輝きをたたえた。


 その中心に、同心円上になった岩の舞台がある。二重三重に階段状にのぼるその最も高く中心の円のなかに、ほこりでも被さったような一つの影がうずくまっている。

 マグダレーナはその近くにたたずみ、まるでひさしぶりに出会った友人のようにやさしく語りかけた。

 

「エスタルーレ。あなたのかわいいが来ましたよ」


 ルゥは早鐘を打つ心臓をにぎって押さえつけるように、胸に手を置いた。そして必死に段差を駆け上がり、その人物を見た。

 醜い、醜い老婆のような身体が、祈るようにうずくまっている。


 枯れた木の枝のように渇いた手が、脚が、ぼろ布のようなローブだけを身にまとってそこにあった。顔はもはや見るに耐えない。

 目も開いておらず、ただ眠りこけたようにうつろに頭を揺らしている。もはや人間というより、地下に根を生やした植物といった具合で、いまにも枯れてしまいそうでありながらかろうじて生にしがみついている。そういったほうが良いほどの有り様だった。


 涙すらも出てこなかった。


「お母、さん」


 ゆっくりとその手に触れ、驚いて手を離した。自分でも慄いた。そして罪悪感に打ちひしがれた。なぜ。なぜ──

 なぜ。その気持ちは、強い炎になってマグダレーナを見据えた。


「そうですね。あなたは怒る正当性があります。存分に怒りなさい。赦してくれなくても結構ですよ。しかし、こうすることを決めたのはエスタルーレ自身でした。わたくしはそのことを、真実を知らせると共に、あなたにお願いをしなければならないのです」


 ルゥは黙ったまま、マグダレーナをにらみ続けていたが、やがて言った。


「続けてください」

「ええ」


 マグダレーナはうなずいた。


「まず大切なことから伝えなければなりません。〈エル・シエラの惨劇〉──その場にはわたくしもおりました。ですが、わたくしにはその真相がわからないのです。あの事件の最も重要な場面には必ずエスタルーレと、かれだけがいました」

「ボクたちの、お父さんですね」

「その通りです」

「そしてボクたちの両親は何かを見た」

「はい」

「それがなんなのかは──」

「いいえ。かれもエスタルーレもなにも説明してくれませんでした。〝あれは説明してもわかるものではない〟とかれには一度だけこぼされたことがあります」

「最も古きものでも、わからないことがあるんですね」

「そうですね。むしろ、わからないことのほうが多くなってしまいます」


 首を振った。心底かなしげに。


「わたくしは知っていることしか話せません。ただ、並の人間よりもたくさん知るために時間が使えたという、それだけなのです」

「わかりました。では、その知っていることを教えてください」


 マグダレーナはためらいがちに、ため息をひとつこぼした。


「少なくともわかっているのは、〈エル・シエラの惨劇〉で行われたのは王家の騎士による一方的な人殺しでした。わたくしが知っている限り、魔女であった人間もそうでなかった人間も、関係ありませんでした。まるで生かしておいてはいけない秘密を全員が知っているかのように、問答無用だったのです。

 とにかく殺戮が行われ、騎士と騎士の殺し合いもありました。やがて破壊をも厭わない大いなる魔術が使われて、エル・シエラは滅んでしまいました。わたくしや幾人かの仲間たちは、その惨劇からかろうじて逃げ出したばかりで、エスタルーレやかれが何をなし得たのかを見ておりません」


 しかし──と、マグダレーナは少しだけためらってから、言った。わずかに涙をこぼしたように見えたのは、気のせいだったか。


「エスタは……エスタルーレは、あの惨劇からふたりだって戻ったあと、こっそりわたくしにある秘密を告げました。〝呪いを受けてしまった〟と。それは古文書をひもといてもようやく名前がわかるかどうかの途方もない呪いで、受けてしまったが最後、数年以内に死ぬことが避けられない暗黒の術式でした。彼女はその力にあらがいつつ、それでもわずかに三年ばかり生き延びました。あなたたちを産んで、もう呪いに食い殺されると悟ったとたんにここにやってきて、あることを受け容れたのです」

「それは──いや、それこそが、お母さんをこんなふうにしているんですか?」


 マグダレーナは、受け入れがたい現実を直視する儀式のように首を振った。


「逆です。彼女が新たに受け容れた術式は魔女のなかでも力のあるものだけに許された秘儀であり、忌まわしい死の呪いに唯一あらがうことのできる御業みわざでした。ただ、そうしてもなお呪いには耐えきれず、彼女はみるみるうちにこのように衰弱していったのです」

「そんな……どうして」

「どうして? わからないのですか」


 魔女の両目がルゥを見つめた。


「あなたに会うためですよ。大きくなった我が子を、せめてひと目見たいと懸命に耐えてきたんです。わたくしは、だからあなたをこそ待っておりました」


 ルゥはそのとき初めて、母を見た。どうすれば良いのか分からなかった。でも、ただ触れなくてはならないと思った。

 ひざをつく。すわる。そして心ならずも震える手を、そっと母の肩に置いた。萎びた肌。石のように冷たい。でも、かすかに血が通っている。心臓の脈拍がある。ここまでして、こんなになってまで、生きていたいという気持ちに想いを馳せた。


「お母さん」ルゥは静かに涙を流した。

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