第4話 月風

「まぁ、間にっ、あった~」


 どさっと自分の机に鞄を置いてゆっくりと呼吸を整える。すると、間髪を入れずに担任が教室に入ってきた。担任は教室を見渡して私を見つけると声をかけてくる。


「さっきぶりだな、一ノ瀬。珍しく遅刻ギリギリだけど、何かあったのか?」


 今日、担任と会うのはもう二度目になる。ほんの数分前に、教室へ向かう階段で私は担任を追い抜くことができたからこそ遅刻を免れたのだ。私は担任の問いかけに、すぐ隣でどこ吹く風と言わんばかりに浮いている月風をチラリと睨んでから答える。


「ちょっといろいろあって」


 乾いた笑顔を浮かべている私に担任は気をつけろよと一言告げてからホームルームを始めた。




 昼休み、私は購買で適当なパンを買ってから誰もいない空き教室で月風と向かい合っている。


「で、なんで月風は誰にも気づかれてないの?」


 開口一番、私はずっと気になっていた疑問を月風にぶつける。学校にいる間、ずっと私の隣に月風はいたが、誰も気づいていないようだった。


 ――そのせいで明梨あかりに変な奴扱いされたし。


「そりゃお前、妖は契約した相手か妖力が強いやつしか見ることができないからな。お前の横にいたアカリ?って女は妖力が弱いから俺が見えない。他の奴らも同じだ」


 私はなんとなく納得しかけたが、すぐに疑問が湧いてきた。


「ようりょくって何?」

「俺たち妖の力。ま、読んで字のごとくってやつだな」


 至極簡単な回答だった。だが、さっきの月風の言い方から考えると妖力を持っているのは妖だけではないように聞こえたが……。


「その妖力って人間も持ってるものなの?」


 月風は私の質問攻めを煩わしく思っているのだろう。彼は面白くなさそうな顔をしている。


「ほんっとに少しだけな。時々、俺たち並みの妖力を持ってる人間もいる。けど、そういうやつはほとんどが血筋だな。ほら、陰陽師とかそういう連中だよ。だから、そこらにいる人間が強い妖力を持ってるなんてことはめったにない」


 つまり月風の言葉を信じれば、私の周りで月風を見ることができるのは私だけ、ということになる。疑問が解消したせいなのか、私の腹が切なげに鳴った。


「なっ、なんでもないから!」


 私は顔を真っ赤にして急いで取り繕ったがすでに遅かった。


「あぁ……ふっ、な、なんでもないよなぁ」


 月風はくつくつと笑っている。そもそも、今朝の騒動で朝食が食べられなかったのだ。だから腹だって減って当然なのに!


 ――嫌なやつっ!


 私は赤くなった顔を冷ますようにお茶を口に流し込んだ。そして、これ以上腹の虫を鳴らさないためにパンをかじる。月風は気が済んだのか、興味深そうに教室の窓から外を眺めていた。


「月風、どっちがいい?」


 私に背を向けていた月風が不思議そうに私を見つめる。


「どっちがって、何が?」


 私は彼の問いに答えるべく、ビニール袋に入っていたパンを2つ取り出した。片方は焼きそばパン、もう片方はサンドウィッチだ。


「これ。どっちがいい?」


 月風は目を丸くしていたが、すぐに溜息をついて答えた。


「俺、別に食べ物が必要な妖じゃないんだけど」


 その答えを想像していなかったわけではない。ただ、私と一緒に行動しなければいけない月風が、ひもじい思いをしていたら申し訳ないと思ったのだ。


「じゃあ、いらない?いらないなら焼きそばパンは帰ってから食べようかな」


 そう言って月風の前に差し出した2つのパンを引っ込めようとした。だが、その手はパンの包装を掴む月風の小さな手によって止められた。


「別に、食べる必要がないだけで食べないとは言ってない」


 月風は私から視線を逸らすとボソッと付け加えた。


「その、いち佳の気遣いには感謝する」


 これには私の方が目を丸くした。


 ――案外可愛いところもあるんだ。それに名前、初めて呼ばれたかも。


 そんなことを考えていたら、私の口元は緩んでいた。私は手に残っていた焼きそばパンの包装を開けながら月風の方を見る。相変わらず視線は逸らされたままだったが、月風の気持ちはちゃんと伝わってきた。


 ――月風とならうまくやっていける、かも。


 月風もそう思っていたらいい。私はそんな期待を抱いていた。

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