第2話
鬱蒼とした気持ちでドアを開け玄関に足を踏み入れる。
すると見覚えのないやたら綺麗で高そうな美しい紅色のハイヒールが脱ぎ捨てられている。
その近くには小汚い父の革靴が今日はきちんと揃えて置かれている。
知らない女性を連れてくることはよくあるけど、父が細かいところで気を使っているのは初めて見た。
多分本気で狙っているのだろう。
2つの靴を数秒程度、眺めているとリビングから何やら父と女性の声が聞こえてきた。
2人はなにかの話題で盛り上がっていて、父の高笑いが聞こえる。
父は母がいなくなってから家で、ニコッと微笑む姿すら見せずにこの数年を過ごしていた。
だから父が楽しげに笑っていることに何気に嬉しさが込み上げる。
でも笑わない父が高笑いをするような話とは何なのだろう。
私の稚拙な好奇心が脳を揺さぶる。
私は好奇心に抗えず、声の聞こえるリビングの側までこそっと近づき、盗聴を試みる。
すると
「本当にあの子を養子に出しちゃってもいいの?」
「いいよ、あんなやつ。前妻の残したゴミだから」
「私あんな子育てる自信なかったから嬉しい」
「だってあの子……で………なんでしょ?」
急にドッとした疲れが体を重くする。
血流の流れがドクンドクンと速くなり、やがて呼吸が徐々に荒れ始める。
何だか理解しているのに理解できないという不思議な感覚に駆られ、至って冷静にでも目頭は熱くなるような感情に陥る。
1歩、また1歩と足は後退を繰り返す。
足が1歩後退する度に、私にとって虚無でしかない現実が地響きのような足音を鳴らして近づいてくる。
「まだ私の事と決まったことじゃない。」
そう心に言い聞かせようと試みるも、既に心は聞く耳を持たず全てを遮断してうずくまっている。
確かにあんまり喋りはしない家族だが、それでも血の繋がった立派な家族だ。
多分、スパイスの効きすぎただけの辛いブラックジョークだろう。
なんて神にも祈るような思いで頭を充満させる。
「でも父の口調も信じられないくらい本気だった。」
という事実が私の虚構という名のオゾン層を破壊し、現実を浴びせる。
そして父がたった一言
「いいよ」
そう言った事実も明確に降り注ぐ。
学校で軽くいじめにあい、家では耐え難いどんよりとした雰囲気を受けて、それでもまだ新鮮だった現実が、一気に腐って廃れていくのが分かる。
だがまだ驚きが勝って、そこまで精神がうろたえていないこの時に何か行動せねば。
その衝動に駆られる。
でもその衝動は本能ではなく理性だった。
私は理性だけで行動できるような人間ではなかった。
私ができたことは父にバレないように自室に入ることだけだった。
自室のベッドに横たわり、天井を眺めるうちに驚きというオブラートが剥げて、また醜い現実のその最たるものが見えてきた。
張り裂けそうな胸の奥を全身全霊で抑えつける。
憤りなんていうものはこれっぽっちもなく、ただ親に棄てられるという恐怖と世界に一つしかない居場所が無くなる息苦しさ。
そういうものと対峙する。
棄てられたあと、どうするかなんて恐くて考えを踏み込ませられない。
ひたすら未曾有の恐怖を遠目に見つめる。
いやきっと多分、冗談かなにかだろう。
私が盗み聞きしているのに気づいて、ワザとそういうことを言ったのだ。
そうだ。そうに違いないんだ。
だって、会ったこととないし話したことも無い人を批評できるはずがない。
何かの間違いか冗談のはずだ。
だからそんなわけはない。
なら安心だ。
そんなわけがない。
「あれ?ほっとしたのか涙がでてきた。」
ポツポツとした涙がいつしか涙川へと変わり、私は希望に縋りつくしかなくなっていた。
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