第46話

 ピアノソロの流れでキョウジュはYMОの『Perspective』の美しいイントロを弾き始めた。敬愛する坂本龍一の曲は絶対に入れたいのだろう。

 しかし、そこは一筋縄ではいかないキョウジュのこと。籠った声で「Everyday I open the window」と歌い始めると思わせておいて、曲はエッジの効いたバッキングピアノの『Taiso』に入れ替わり、照明が明るくなると、再びステージにバンドが集まり、俺はマイクではなく、拡声器を持ち「前ならえ右向け右」と始めると、観客は一気に沸き始める。キョウジュはこのへんも計算ずくだ。

 歓声と笑いが入り混じる中、畳みかけるように「君がいなけりゃ夜は暗い」と教授と清志郎の『いけないルージュマジック』を演ると、会場の熱気は最高潮に達し、俺は思わず「皆、愛し合ってるかい?」などと清志郎が言いそうなことを何度も叫び、煽ると、自分はロックスターにでもなってしまったのか、と錯覚してしまうのだからおかしなものだ。

「どうもありがとう!次はワシらぁの友達が好きじゃった曲をやるんで、皆も一緒に歌とうてやってください」

 イントロなしで『太陽と埃の中で』を歌い始めると、九割がたの観客の「やっとやってくれたか」という無言の安堵と俺たちを同志であるとやっと認めてくれたような空気感がひしひしと伝わってきて、やっと一つになれたような気がした。それも、チャゲがいなければ一生出会うこともなかった人たちと。

「ワシらを身内と分かってくれたところでメンバー紹介をします。ドラムス、今回この会場を借りるにあたって大活躍してくれました。板金屋のブンチンこと高橋直樹です。皆拍手!」

 ブンチンは照れくさそうにスティックを回して、四小節ほどドラムソロを叩いて、一礼した。

「ええ。次に、今回のライヴの為に毎週、東京と尾道を往復してくれました。破産した時はひとつ、世話してやってください。ベースとイケメン担当のオカケンこと岡本賢哉。おう。オカケン。何か喋るか?」

 オカケンは俺からおもむろにマイクを奪い取ると、一呼吸も置かず、「知世ちゃん、愛してるよ!」と向島の渡船にいても聴こえるような大きな声で叫んだ瞬間、会場は羨望の指笛の嵐となった。

「まぁ、ロリコン野郎の戯言はこれくらいにして、次はこう見えてもギターの先生です。『世界三大ギタリストになんでワシが入ってないんなら?』ゆうてはぶてて(不貞腐れて)ます。こいつは本名が芸名みたいです。エビスこと村上俊幸!」

 エビスはサビのコードでアドリヴを弾いて俺に応えた。

「次はいよいよ、我々の音楽の師匠。ワシとは小学校五年からの付き合いです。このライヴの選曲、すごいじゃろ?全部こいつが選んでアレンジしたんで。一寸、シャイなんが玉に瑕じゃが、存在自体がワシの自慢です。キーボードと音楽監督担当、キョウジュこと藤井総司!」

 キョウジュは音色をエレピにしてエビスと同様、アドリヴでサビを弾いた。

「ええ。尚、リードボーカルとMCはバンドの良心担当のわたくし上杉民生でございました。あと、最後にもう一人紹介せんといけん人がいます。きっとこの会場のどこかで笑いながら観ていると思います。わしらぁの終身名誉マネージャーであり、今回のライヴの真の主役です。チャゲこと中谷公則!」

 割れんばかりの拍手の中「追いかけて追いかけてもうつかめないものばかりさ」と

会場中が合唱になった。米軍や酔客相手のステージは厭と言うほどやったが、目的を同じとしている人たちと共に時間を過ごすのは初めてのことであり、それがこんなに気持ちが通い、気分の良いものだとは思わず、俺は「皆ありがとう!皆の心意気に応えようと思います」と無茶ぶりをし、チャゲアスの『ラブソング』を歌い始める。

 キョウジュは心得たものだが、残りの三人はきょとんとしている。ブンチンがしかたなく、ビートを刻み始めると、あとの二人も耳をダンボにしてなんとかコードを追いかけようとしている。スタンドプレーは申し訳ないが、これでチャゲや観客が喜んでくれるなら、「よし」としてほしい。

「君が思うよりも僕が君が好き」を奈々に向かって歌ったが、果たして、わかってくれたかどうか。

「皆、どうもありがとう!」

「ありがとうじゃなぁわ、アホ。ほしたら次はタミオに無理してもらう番じゃ。新曲の『あこがれのミスタームーンライト』です」

 エビスのアドリブのおかげで最高の始まりになったが、所々、歌詞が怪しいところがあって、すっかり意趣返しされた形になったが、肝腎の「あなたでなければ縋れない女がいる 運命が冷え始めても構わないと思える女が だから繋げてください 覚悟はできているから」が自分で涙ぐんでしまうくらい世界に入っていくことができ、ライカを構える奈々に向かって、これ以上ないくらいの至上のメッセージが送れたと思う。

 このあと、オアシスの『Don’t look back in anger』と椎名林檎の『積み木遊び』ビートルズの『Nowhereman』、ストーンズの『No expectation』と続き、シュレルズの『Will you love me tomorrow』でひとまず打ち切った。

 まぁ、四十過ぎのおっさんのライヴとしては上出来だろう。

 楽屋で五人でのびていると、絶え間ないアンコールが聴こえてくる。嬉しいものだが、気持ちはステージに向かっていてもなかなか体がついてこないものだ。

「のう。ええライヴじゃったよのう」

「勿論じゃ。皆喜んでくれたわ」

「アンコールじゃと。どうする?」

「まだあれやってないけぇ、行かんといけんじゃろ?」

「マジか?ワシ帰ってもええか?」

「いけん。やっぱり、あれやらんといけまぁ。よし。あと一分したら行くで」

 そんな感じで老体に鞭を打って俺たちはステージに戻った。

「アンコールありがとう!楽屋まで聴こえてきてホンマに感動したで。約一名、逃げようとしたアホがいましたが」

 俺はエビスをちらっと見て続けた。

「やっぱり、この曲をやらんと終われません。『尾道スロウレイン』!皆が尾道に来てくれた御礼に歌います」

 加奈子の為に作った曲とは言え、再結成がなければ一生、誰の耳にも届くことがなく忘れ去られた曲だ。

 最初に曲を聴いた時、全員が「加奈ちゃんかぁ。愛されとったんじゃな」と遠い目をしたものだが、俺はあの日、尾道駅に俺を追ってきた加奈子を濡らす春の細雨の美しさがずっと残っていて、寧ろ加奈子よりもあの緩慢に降り注ぐ糸のような美しい雨の記憶のほうがこの曲のイメージにふさわしいと思っている。

 作者のエゴは兎も角、この曲がラストナンバーであることにチャゲは文句は言わないだろう。 


偽りの涙を詰れなかった俺を

嗤っておくれ

尾道スロウレイン  

それでもまだ愛していると伝えておくれ

尾道スロウレイン

尾道スロウレイン




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