第42話
些か二日酔い気味だが、ブンチンの明日の仕事に間に合わす為に早朝から楽器を撤収してハイエースに積み込み、遅くても九時か十時にはブンチンを尾道に送り出さなければいけない。
それにしても昨夜は知世ちゃんの話が沢山聴けて、思いがけず楽しい一夜だった。
知世ちゃんはご両親が熱心な大林監督(俺にはヘビースモーカーの気のいいオッちゃんと言うイメージしかない)のファンであり、名前は当然、尾道三部作の一つ『時をかける少女』に主演した原田知世から取っている。二つ下の妹は聡美だそうな。男の子が生まれていたら、当然、としのりだったのだろう。子供の頃から尾道にはご両親に連れられて何度も来ていたので、お好み焼きは「いのうえ」、尾道ラーメンは「東珍康」でしか食べないという拘りようだ。これではオカケンより尾道に詳しく、地元愛に溢れているくらいだ。
更に面白いのは、ご両親は俺たちより十ほど年長だそうだが、「プレッジブルー」のことを知っていて、お父様は大学時代に店に来たことがあるとかで、その時は学生なので、安いクリームコロッケのサーヴィスランチしか食べれなかったが、顔の長いメガネのコックが食後にマスカットのムースと食後酒のシェリーをサーヴィスしてくれたのがいまだに忘れられないのだそうな。
またしても、吉川さん善人伝説。
奇遇と善意は何度も続くと驚かなくなる。
そして、彼氏であるオカケンは尾道に所縁があるばかりではなく、その洋食屋の孫とバンドを組み、毎週尾道に通っているのだから、人の縁というものは誰とどこでどこまでつながっているかなんて、実際、会って話してみなければわからないものだ。
「東京の女」だとばかり思っていた人が、圧倒的にこっち側だったわけだから、それは当然、嬉しいし、会話も枝葉が広がり、ついつい飲みすぎてしまうわけだ。
「あれ?オカケンは?」
俺は身を起こし、重たい頭を二三度振り動かし、ツラそうに頭を抱えながらポカリスエットを飲んでいるキョウジュに訊いた。
「今さっき添田さんがウーバー呼んでくれて、知世ちゃんと一緒に帰ったで」
「ほうか」
「まぁ、さすがに今日は音出しは無理じゃ。頭が割れそうじゃし、ポカリがポカリハイに感じるで」
「ははは。キョウジュは軟弱じゃのう。ワシはできんことはないけど、これから尾道まで運転じゃけな」
「運転はええけど、途中で高速降りて、柳橋の『味仙』で青菜と子袋とニンニクチャーハンで一杯とか絶対にすなよ。車と女は飲んだら乗ったらいけんのど」
「こんな(お前)と一緒にすなや」
最早、日常と化しているエビスのからかいを聴き流し、曇って、今朝は鈍色に沈む海を観ながら、「まぁ、ええがに(いい感じに)練習できたし、親父さんと添田さんに感謝じゃ」と自分にだけ聴こえる声で小さくつぶやいた。
下でオカケンと知世ちゃんを見送った添田さんが戻ってきて、どよんだ空気に何か言いたげだが、いつものように余り表情には出さず、俺以外には仕事であるということはあくまで忘れていない。
「あら。総司さん。朝からお疲れですわね」
「見ての通りじゃ。朝飯はパスで」
「タミ君は?」
「小倉トーストとゆでたまごとハムサラダとブラックコーヒー。エビスが『味仙』の話するけぇ、モーニングが食べとうなったわ」
「ゆでたまごはハードボイルド?」
「気持ち半熟で」
「繊細さんと鋼のメンタル。本当にいいコンビね」と添田さんはクスリと笑って、エビスとブンチンはスルーして厨房に降りて行ったので、エビスはすかさず「添田さん。ワシも名古屋のモーニング!モーニング娘じゃぁ」と声で追いかけた。
キョウジュはソルマックとロキソニンで胃のむかつきと頭痛を抑えて何とか動けるようになったが、元々、力仕事はあてにしてないので、配線の回収うんぬんだけお願いして、後は俺とエビスとブンチンで楽器を運び、ブンチンを見送りした。キョウジュが「ブンチン。忙しい時期にホンマに手数かけたのう」と多少、色を付けて高速代を渡し、添田さんは「残りの白飯で天むす作ったんで、途中のサーヴィスエリアで食べてください」とさっきの会話を盗み聴いていたのか、名古屋で途中降車できないブンチンを気遣った。
しかし、高校時代に戻ったみたいな楽しい合宿だった。
思えば、今の添田さんの役割をチャゲがやってくれていたんだ。
「おう。今、お好みの出前取ってやったけぇ、お前らもう一寸、気合い入れて練習頑張れや」なんてあいつの声が聴こえてきそうだ。
「来週の今頃も打ち上げで二日酔いか。じゃが、来週はチャゲも一緒じゃ。二日酔いもブチ楽しいど」と俺はキョウジュとエビスの顔を交互に見た。キョウジュは「そうじゃのう。あいつ、絶対に喜んでくれるじゃろ」とアルコールで掠れた声で応え、エビスは薄笑いを浮かべながらも、それが承諾の意味であることが分かる。
「あたしも来週尾道に行っちゃおうかなぁ。タミ君。いい?」
「仕事はどうするん?」
「再来週に藤井先生がお泊りになるまで宿泊客はいないし、仕事のメールは携帯でもとれるし、その追悼コンサート観たいし」
「それじゃったら、添田さん。うちに泊まりゃええ。部屋は余っとるし、座席は増やせばええし、それに、うちの娘、添田さんのとこの娘さんと同い年なんですよ」
「それじゃぁ、娘も誘っちゃおうかな」
添田さんの口振りは軽いが、何か俺の部屋の隅っこにある秘密の場所のパスワードを知ろうと尋問していて、それをこじ開けようとしている強引さを感じられ、快諾してしまうと、平穏を取り上げられてしまいそうな気になるのだ。
「追いかけて尾道か。おい。タミオ。こりゃ逃げれんど」
「エビスさんは何か勘違いしていらっしゃるわ。昨夜、あれだけ知世ちゃんから尾道の話を聴かされたら、行きたくなるものでしょう」
「それに、タミオが生まれ育った町を見たいわけですか?」
「あなたの仰りたいことがよくわからないわ」
クールに否定する添田さんをエビスが半笑いで軽くいなした。
本気で勝負かけてこられると困るが、奈々と言う絶対的な現人神の存在がある限り、太く根の張った基盤は揺らぎはしないが、俺はどこまでも曖昧で「イエス」とも「ノー」とも言わなかった。言おうと思えば、言えたが、そこに色々と理屈が付随されてゆくのが単純に面倒くさいと思った。
「おい。遅うても正午の新幹線に乗ろう。柳橋の『味仙』のランチタイムは十四時までで」
「エキナカ店なら通しじゃけぇ、もうちょいゆっくり休もうや」
何とか話題を替えることができたが、キョウジュはまだ二日酔いがツラそうだった。
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