第40話

 追悼コンサート一週間前に俺たちは最後の仕上げとして音楽漬けになる為に二泊三日で合宿をすることにした。

 当初はキョウジュの親父さん所有の大三島の別荘を使わせてもらう予定だったが、オカケンの負担を考え、キョウジュの親父さんの関東出張時の住まいである横浜山手のペントハウスに集まることになった。尾道と同様、山の上の住宅地のことを「山手」と呼ぶ共通点があるが、昔ながらの家屋の多い尾道と違って、豪邸とまではいかなくても高級住宅が多い。俺じゃない本物の方のジュリーの邸宅もこの辺らしい。

 俺とキョウジュとエビスは金曜日の午前中には横浜入りし、横浜線と京浜東北線を乗り継ぎ、山手駅の出口でオカケンと合流し、駅前の「介一家」で尾道では珍しい家系ラーメンを食べてから、尾道から楽器を乗せたハイエースを転がしてこちらに向かっているブンチンを労う為にセブンイレブンでビールとチューハイを買い込んでからタクシーを拾い、五分程でペントハウスに着いた。

 ペントハウスと言っても、一階から三階はコロナ前くらいから民泊として一泊五万円ほどで貸し出していて、所謂、円安で大挙している「害国人」はおらず、山手の閑静な住宅街で横浜の海を見ながらのんびりしたい欧米の富豪や著名人や文化人がお忍びで宿泊するのが主で、最上階の所有権をキョウジュの親父さんが持っている感じだ。

 チャイムを鳴らすと管理人の顔も佇まいも地味な地方の女子高の教頭先生のような中年女性が現れ、「藤井先生の息子さんですね。全て仰せつかっております。中へどうぞ」と丁寧でありながらあまり感情を込めず、ペントハウスに案内された。

 ペントハウスは四LDKもあり、ダイニングキッチンを中心に四方向に寝室がある面白い作りで、ヴェランダの大きな窓からは横浜港と本牧の海が一望できる。西に少し行くと、ユーミンの曲にも出てくる「ドルフィンレストラン」も見える。俺には一生、縁がないと思っていた風景であり、住むとなるともっと不可能だろう。

 ブンチンの為に買ったビールを冷蔵庫に入れようとドアを開けたら、エビスビールとモエシャンと横濱中華街「同發」のチャーシューと元町「霧笛楼」のレーズンサンドが所せましと並んでいて驚いた。

「藤井先生には『息子たちが不自由しないようにサポートしてやってくれ』と申しつけられておりますので…」

「有難いご厚意です。あ。宜しかったらお茶菓子にでもなさってください」

 キョウジュは如才なく尾道駅で買っていた八朔ゼリーと乗り換えの福山駅で知らぬ間に買った虎ちゃんの包みの入った紙袋を手渡した。

「却って気を遣わせてしまって…これ娘が好きなんですのよ。仰っていただければ食事もお持ちしますので、ごゆっくりどうぞ」と一礼すると踵を返した。

「あの人、ワシらと年変わらんみたいじゃけど」

「うん。添田さんゆうて、ママの親戚筋の人なんじゃけど、進学やら就職やらお見合いやらでパパが世話したもんじゃけ、ああやって恩に感じてくれとるんよ」

「そうなん?親父さんの二号さんかと思うたわ」

「パパがコンサバ(保守的)なんは政治思想だけじゃけ、それはない」

 キョウジュがエビスの茶々に真面目とも冗談ともつかない返しをしていたら、階下からハイエースのクラクションが鳴った。  

 俺たちが迎えに階下に降りると、疲労困憊のブンチンが「遠いわ!アホ!楽器はお前らで持って上がれ。わしゃ疲れた」と最後の気力を振り絞ってふてぶてしく言うので、「ブンチン。よぉ頑張った。お前はできる男じゃ。お疲れじゃったのう。ビール飲んで休め」と俺はエビスビールのロング缶を渡した。ブンチンは二三日砂漠を漂っていた旅人がオアシスで冷たく、澄み切った泉を見つけたように一気で貪るように喉仏を動かせて飲み干すと、「生き返るのう」と言ったきり、ご機嫌な鼾をかいて眠り始めた。

「やれやれ。しょうがなぁ。ワシらでしゃんしゃん(ちゃっちゃと)運ぼうか」

 俺はアンプを持って、呆れながら仕切った。

 三十分ほどで楽器を運び終わり、もう三十分でセッティングを終え、いざ練習開始と張り切ったが、尾道から横浜まで運転してきたブンチンにはちと酷かと思い、夕方まで小休止となった。

 二時間ほどして、ハイエースの運転席で爆睡するブンチンを起こすと、開口一番「腹が減った」と言うので、車で中華街か本牧か根岸駅界隈に行こうとしたところ、添田さんが「この辺だったらウーバーイーツが使えますよ。それに、一人だけ飲めないのは可哀そうですよ」と言うので、アプリをダウンロードし、中華街の「景徳鎮」の麻婆豆腐とエビチリと「山東」の水餃子と「湘厨」のポーチャイファンと「京華楼」の水煮牛肉と回鍋肉を注文した。冷蔵庫に「同發」のチャーシューもあるので、合宿初日の夕飯は熱烈的大中華大会となった。

 散々、バカ話をして、腹が満たされ、酔いも回ってきたので、そろそろ音出しをしようと、誰が仕切るでもなく、それとなく全員ポジションに着き、チューニングを合わせると、キョウジュが「添田さん。ああ見えて、藤井フミヤが好きらしいで」と個人情報を小出しにしたと思ったら、『Another Orion』のイントロを弾き始めた。チェッカーズは女子のリクエストで『I love you Sayonara』や『素直にI’m sorry』は演ったことがあるが、正直、フミヤさんのソロになってからの曲はあんまり詳しくない。だけど、この曲は「硝子のかけらたち」という当時、笑福亭鶴瓶師匠の悪役ぶりが話題になったフミヤさん主演のドラマの主題歌だったので、よく覚えている。音域が広いのでアップには丁度いい曲だ。

 八小節半のイントロのあと「夜空が夕焼けを包む」と歌い始めた時は、ありふれた一山いくらのラヴソングにしか思えないのだが、「さぁ立ち上がり」からのミドルから転調してサビに入ると妙な解放感があり、歌うのが本当に気持ちよくなってくる。それは冬の星座を夏に見つけたという歌詞の内容がどうでもよくなるくらいの場や季節を問わない気持ちよさだ。

 曲が終わって、余韻に浸ってると、案の定、涙ぐんだ添田さんがやって来て、「ありがとうございます。私はお世話しなきゃいけない身なのに、こんな素晴らしいものを聴かせていただいて」などと恐縮しているので、今度はコーラスの練習を兼ねて、チェッカーズの『ムーンライトレヴュー50s』をアカペラでやった。こんなにコーラスが大変な曲を追悼コンサートでやる予定はないが、これから二三日お世話になる人を喜ばせたらいけないなんてことのほうがおかしい。その辺の考えはキョウジュと全く同じだ。歌い終えた後でキョウジュは涼しい顔してエンディングのラグタイム風のピアノを弾いているが、今日の練習は最初から添田さんの為にやるつもりだったのだろう。

 粋な野郎だぜ。

「懐かしいわぁ。なんだか映画の中で七人が深夜のビルの屋上で歌いだすシーンを思い出します」

「一寸、トップが不安定でしたけどね」  

 ダメ出しをしながらキョウジュは仕上げにファンの間で今でも高い人気を誇る『Long Road』のオルガンの懐かしい響きのするイントロを弾き始めた。

「Tell me why この手を抱いて頬濡らした遠い日々を」というノスタルジックな歌い出しで、目が潤んでくるのがわかる。流石、ファン心理も女心も心得たフミヤさんだけある。

 ほぼアカペラに近い形で一番を歌い終えると、初めてキーボード以外の楽器が加わり、間奏となり、二番はそれによって重厚さを増す。ミドルの「少女の面影だけを思い出にした僕は」のところで美しい奈々の横顔が浮かび、俺は顔が紅潮し、感情が高まっていくのが分かった。「好きな女の子に聴かせるつもりで演れよ」は昔から弦さんがよく助言してくれていたことだが、なるほど。やっと、掴めた気がする。

 尤も、添田さんの潤んだ瞳を見ていると「いや。そういう意味じゃないんだけど」と言い訳したくなるが、リハーサルとしては上出来と言えるだろう。

 

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