第31話

 ひと月ほど週末は音楽漬けの日々が続いていた。

 楽器は文章や筋トレと同じで一日休めば一日分、衰えたり、遅れたり、下手になったりするものだということがこのところのブンチンとオカケンのリハビリぶりを見ていてよくわかる。オカケンはだんだん腰でリズムを取ることを覚え、ブンチンは基練と体力作りの甲斐あって、キョウジュのダメ出しも基礎の基礎的なものから細かいニュアンスへと変わっていった。

 五六曲くらいのミニコンサートならやってもそれなりに格好がつくくらいになってきたが、それではお安くてチャゲに申し訳が立たない。もう少し構成的にも音的にもちゃんとしたものに仕上げる必要がある。

 二月の第一週の練習の後、ブンチンが「一寸、話がある。皆、帰る前に五分だけ時間ええかな?」と言う。

 オカケンは新幹線の時間があるのであれだが、俺とキョウジュとエビスは毎回、居残りして「ああでもないこうでもない」とサウンドのことやら追悼コンサートのことやらバンドの方向性のことやらで議論しているので、ブンチンから提案があるというのは意外ながらもいい傾向だ。

「どしたん?何か不満か?」

「違うわ。実はのう、近所の青年会のコネで本通りのまちなか文化交流館を貸してもらえることになったんよ。あそこじゃったら、キャパは百人程度じゃけど、アクセスもええし、中も美術館みたいでしゃれとろうが」 

 箱は最悪、筒井先生に頭を下げて、本堂を使わせてもらうことも考えたが、ライヴ前に有難い説法などが始まると、俺たちはいいにしても、ギャラリー的にはどうなのだろうか?と心配していた矢先だったので、正に渡りに船。打ち上げが深夜になっても向島から尾道に戻れますじゃないが、金輪際、「ブンチン」ではなく、「ジョン」と呼んでもいいのではないかとすら思った。

「で、いつよ?」

「そこはまだ調整中なんじゃけど、ワシは三月の末ゆうことで話しとるんよ」

「ブンチン。お前はなんて使える男なんよ!いや。漢字の『漢』で『男』じゃ」

「タミオ。『漢』ゆうんは漢民族の意味で。この場合『男』でええんで」

 キョウジュの日本語考察はともかく、ガキの頃からどこか届かない思いで見ていた本通りの三井住友銀行の跡地をライヴ会場として使えるなんて、なかなか感慨深いものがある。これは一秒でも早く、すずちゃんに報告しなくてわ。

「流石、ブンチンじゃ。日程で揉めたら、パパに言うけぇ心配いらん。で、ワシからも一寸だけ話がある」

 キョウジュはそう言うと、すまなそうな目をして俺を見た。

「バンドのことじゃないんじゃけど…」

「奈々ちゃんのことか?あの件じゃったら、まだ調べがついてないんよ」

「あの件って?」

 エビスがニヤニヤしながら首を突っ込んでくるので、キョウジュは二三度咳払いをして「それじゃのうて、実は、それとは別口で頼みがあるんよ」

「ヒヒヒ。益々、怪しい」

「頼みって?」

「奈々と一緒に台湾に行って欲しいんよ」

「え?」

「今度、台湾の特集やるらしいんじゃけど、女性誌の台湾特集ってどこも似たり寄ったりじゃろ?そこでタミオのセンスとコネでこないだの鞆の時みたいに独特で唯一のもんが作りたいみたいなんよ」

 俺は妙な第六感が働いた。

 多分、奈々は嘘をついている。奈々と言う優秀なライターのおかげで部数が飛躍的に伸びているとは言え、尾道のタウン誌がおいそれと海外取材などできるものだろうか?先ず、よほどのことがない限り企画が通らないし、何よりもニーズと必然性がない。そこを押し通したとしても、予算が取れない。そこは俺自身、その台湾でフリーペーパーの編集員をやっていたので、事情に明るい。

 つまり、キョウジュの目を欺き、俺と二人きりで遠くに行きたい。台湾ならば、去年まで普通に働いて生活していた俺と所縁があるし、二三日の逃避場所としては安全且つ、美食も楽しめる。しかし、そんな調べればすぐに取材してないことがバレるような大胆で穴だらけの嘘をつく真意はどこに?そこまではわからなかったし、その疑問をキョウジュにぶつけるような間抜けな純真さは持ち合わせていない。魅力的だが、甘い罠の匂わせも感じる故、簡単に返答はできない。

「そりゃ、今まで以上に箔が付くじゃろうな」

「本来なら奈々が頭下げんといけんところじゃし、無理なら無理ってゆうてくれてええんじゃけど、四六時中タミオと一緒じゃったら、奴もよう付いてこれんけぇ、ワシとしても安心なんよ」

 なるほど。俺に直接、言うよりキョウジュ経由にすれば、後で細かいことを根堀り葉掘り訊かれることはない。それに、幸か不幸か「奴」が「俺」であることが白日の下に晒されるのはまだ先のことと考えていいだろう。勿論、俺の良心が痛まないかと言うと、全然そんなことはない。今までの密会の上を行く、「秘密の旅」だなんて裏切り行為とわかってやるわけだから。

「おいおい。お安くねぇな。奈々ちゃんは加奈ちゃんにそっくりだから、タミオが変な気起こさなきゃいいけどな」

「タミオはそがな下種い奴と違うで」

「じゃけど、オカケンの言うことにも一理あるで。大事な一人娘が心配じゃなぁんか?」

「今まで要所要所でタミオがサポートしてくれたおかげで今日の奈々があるんよ。お前らみんな考えが穢れとるよ」

「あのなぁ、キョウジュ。男と女なんてわからねぇもんだよ。俺だって知世ちゃんとそうなるだなんて夢にも考えてなかったしな」

 知世ちゃんは照れて下を向いてしまったが、オカケンは鋭いことを言う。俺だって奈々とこういうことになるだなんて…いや。俺はそれを「宿命」と考えている。コロナで台湾を引き払わず、尾道に戻らなかったら、会うこともなく一生終わっていた。しかし、俺が加奈子と結ばれる未来がなかったのと同じように俺が奈々と邂逅し、運命がうねりださなかった未来もないのだ。

 あまりこの話に執着しすぎると、痛くもない腹を探られる。二の矢三の矢が放たれる前に話題を元に戻さなくては。

「それ、いつ頃の話になる?」

「四月号じゃけ、取材は月末ぐらいじゃろ」

「意外とすぐじゃのう」

「ホンマのこと言うとバンドのこと優先してほしいんじゃけど、こうゆうたら何じゃけど、奈々は去年の鞆の取材の後くらいから性格まで加奈ちゃんに似て来とる。仕事云々よりワシはそこが嬉しいんよなぁ」

 寄せては返す波の音だけを聴きながら、ゆっくりとした白道(月の軌道)だけを感じながら、因縁を超えて一つになったあの甘い一夜のことは俺にだって石に刻印されるほどの特別な出来事だった。俺が初めての男だった奈々ならば猶更のことだ。詳細は口にできないという負い目から俺はいい返事をした。

 キョウジュは喜び、エビスとオカケンとブンチンはどことなく疑ったような濁った眼で俺を見ていた。

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