第30話

 年が明けて、正月の三日。

 オカケンが最終便で東京に帰る日に最初の音合わせを行った。

 元旦と二日はキョウジュの親父さんが地元の後援会の方を「千光寺山荘別館」に招いてお接待をするので、練習場所であるカラオケルームを使えるのは必然的に三日からということになる。

 俺は、年末から新曲を作っていた。

 クリスマスの夜に奈々の寝顔を見ていると何となく、イメージが降ってきた。奈々は今や俺の大切なインスピレーションだ。

 

聖夜と何も起こらない翌日の狭間で

寝返りを打つような拙い歌を紡いでいる

無口な横顔がその答えなんだね

何も言わなくていいそのままがいい

マリア

悪い未来を突き付けられ恫喝されたら

「君がいる」と微笑み返してもいいかな?

仮初の永遠の中で眠りたい

君と一緒に


人は自分の幸福と保身にこだわるあまり

約束の地で待ち合わせしたことを忘れる

僕がここにいることが答えだよ

夢から醒めても何も変わらない

マリア

惨めで憂鬱な現実に帰るその刹那に

いつまでも色褪せない宝物と信じさせて

この世の果てで重なりながら

君と永遠に


マリア

今すぐこの世の終わりが来ても構わない

君の甘い体臭の中で眠りに就けるなら

それで終わりさそれでいいと思わせる

君だから


「マリア」のところは当初「ナナ」にする予定だったが、「ナナ」だとチェッカーズのエロカッコいい同名曲のイメージのほうが強いので、優しさを感じる「マリア」にした。なんだか「僕」というのはこの後、「死」に向かうことを想起する方もいるかもしれないが、そうではなく、「幸福」の極点にあるから、「死」が近くに感じるだけで、「僕」は「死」には親しみや憧憬を抱いていないし、「マリア」即ち、「奈々」とたとえそういう日が訪れても寄り添ったまま「死」を迎えたいということが言いたかったのだ。

 そういうわけで、五人揃っての音出しはやはり、お清めというか、少し勢いが必要とあって、キョウジュが親父さんの酒棚からくすねてきたロンガンを回し飲みして気合いを入れた。こんな貴重な酒をこういう飲み方はどうかと思ったが、ここはキョウジュの心意気に甘えるとしよう。

「さぁ、エンジン掛かってきたころで行こうか」

「よっしゃ!ワン!ツー!スリー!フォー!」

 とブンチンのカウントで始まった曲は『Here comes the nauthyboys』というインスト曲で所謂、俺たちバンドの登場曲として大体どこのステージでも演奏していた。ドラム、ベース、ギター、キーボードと各自、十六小節のソロが入るので、俺以外の四人は大いに見せ場を作れる。これを外して、つかみが上手くいかないと結構、尾を引いてしまうという重要な曲でもある。

 各自、キョウジュからスコアを渡されて練習してきたはずだが、やはり、ブランクのあるブンチンとオカケンはリズムがもたついていて、メインテーマはなんとか誤魔化せても、ソロになると悲惨なものだった。「アドリヴはやらなくていい」とキョウジュから言われていたが、ブンチンはオカズを入れようとしてとちり、オカケンは知世ちゃんの手前、早弾きをしようとして指運が縺れミュートが甘くなったりでアンサンブルとは程遠い出来だった。

 キョウジュは腕を組んで考え込んでしまった。

「初回じゃけん、決まるほうが奇跡よ。ちぃと速度落とすか?」と俺が宥めるように言うと、「速さの問題じゃない。飛び跳ねてないんよ。皆、音が出せてうれしゅうなぁんか?」と少しご機嫌斜めだ。

「ブンチンはこれから毎日、基練とランニングじゃのう。オカケンはいらんことせんでええんよ。キョウジュの譜面で十分、カッコええじゃろうが」

「エビスだって入りのコード間違ってたじゃねぇかよ」

「アホ。チミは代理コードを知らんのか?」

「何だよ、その言い訳はよぉ」

「そうじゃ。エビス。普通、あそこでナインスは入らんど」

 音は全然、決まらなかったが、こうやって揉めながらもコミュニケーションが取れているうちは心配ないし、そのうちバンドは纏まっていく。それに、俺たちはこれからプロを目指すんじゃないし、テクニックに走るわけでもない。チャゲの魂を鎮魂する為にコンサートをやるのだ。そこは忘れてはいけない。

「もう一回やるか?」

「おう。できるまでやるよ。ええか?この曲はスイングせんといけんので。リズム隊、今度はもたつくなよ」

「わかっとるわ。ヘイ。ワン、ツー、スリー、フォー」

 次のテイクは完璧とは言い難いが、ミストーンも少なく、全員が二十何年ぶりかに音が出せることの喜びに満ち溢れた瑞々しい演奏で、俺自身、聴いていてあの頃の岩国のエアベースにいるような気分になり、ウィスキーより瓶のコーラが飲みたくなったくらいだ。

「まぁ、今日のところはこれでええじゃろう。タミオ、何か歌うか?」

「おう。わしゃ見学者じゃなぁで」

 俺とキョウジュの共作の『Jade Sea(翡翠の海)』というプリンセスプリンセスの『Diamond』を意識したキャッチ―でメロディアスなロックのイントロをキョウジュが二小節弾くと、エビスのギターで同じフレーズが重なる。これも今回、アレンジをし直したので、見違えるように洗練されている。ブンチンのフィルインの後、「この翡翠の海の向こうへ行くのが夢だった」と歌い始めると、まだ海外が憧れで、アメリカやイギリスに行けば本物のロックやブルースに出会えるなんて本気で信じていた頃を思い出し、胸が少しほろ苦くなり、頬が赤く染まっていくのを感じるが、カリフォルニアの澄み切った空のような明るさと翼を広げ海を渡っていくようなスケールの大きいメロディが損なわないようにあまり感慨に耽ってるわけにもいかない。かと言って、淡々と歌う曲でもないので、難しい。

 これも二度ほど歌い直して、やっと、曲本来の持つ魅力を活かした納得のいく表現ができ、キョウジュのОKが出た。

 このあと、一時間ほどシュレルズの『Will you love me tororrow』とビートルズの『Nowhereman』のコーラスを練習してお開きとなったが、俺は 『Jade Sea』のサビのフレーズの「Someday across the jade sea and to get there」を頭の中で繰り返しながら思った。

 海の向こうには渡ってみたが、結局、俺の約束の地は尾道であり、奈々だった。もうこれ以上の流浪は沢山だ。たとえ、海の向こうに俺にしか採掘権のない秘宝が眠っているのだとしても奈々がいいと思った。

 だって、俺の秘宝は奈々だから。














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