第28話
年の瀬も押し迫った十二月の第三週の週末に俺たちはミーティングと称した飲み会をすずちゃんに無理を言って「万里の河」を開けてもらって、酒と食べ物持ち込みで行った。
すずちゃんは「時間が良薬」ではないが、当初ほどの憔悴ぶりはなく、「ごめんなぁ。無理をゆうて」と俺が両手を合わせてすまなさそうに言うと「いいえ。目の前でフルチンで死なれるよりはマシですし、あの人も賑やかなんが好きじゃったけぇ、きっと喜んどってですよ」と微笑んで返す余裕すらあった。
第一回目のミーティングで注目されたのは、何と言ってもオカケンの彼女である。
東京の女と言うので、各自、身構えていたが、上戸彩を彷彿とさせる如何にも気の強そうな面立ちをしているものの、これが本当に平成生まれなのかと思えるくらい出しゃばらず、オカケンを立てるし、オカケンが右を向いていろと言うと四六時中、右を向いてそうで、俺たちが持ち寄ったものが乾きものやアルコールばかりだと見るや、「すずさん。一寸、厨房貸してくださる?」と言うや、ものの十分ほどで手際よく、四色ナムルとマーボナスと出汁巻明太と揚げ出し豆腐を作ってしまった。これは元飲食の俺ですら舌を巻き、見惚れるしかなかった。
「見事なもんじゃのう」
「奈々もこれぐらい料理が出来たらええんじゃけど」
「知世ちゃんの飯は早くて何でも美味いからな、おかげでダイエットできないのが悩みだよ」とオカケンがのろける。
「知世ちゃん。こんなん、減塩で脂抜きにしちゃりゃぁええんじゃ」
「この外道は肉食じゃけん、三食キャベツ食わしとけ」
俺とエビスで茶々を入れると、知世ちゃんは困ったようにはにかんでいた。まったく、オカケンには勿体ない女だ。
実際、これがテイクアウトや居酒屋やお総菜コーナーにあるものと違い、味付けが繊細と言うか、風味や旨味や塩気のバランスがミリ単位で計算されつくしたように絶妙なのだ。だからと言って、料亭の味でも家庭の味でもない。しかも、あれだけの短時間で……
圧倒的なものに出会った時と言うのは言葉を失くすしかないものだ。
「皆。どうしたんだよ?何か喋れよ」
「いやぁ。こりゃ参ったのう。美味いしか言えんわ」
「あのタミオが随分と素直だな」
「ほいじゃけゆうて、オカケンのボーカル曲が増えるわけじゃなぁんで」
キョウジュが釘を刺すと、オカケンは企みが見破られたように苦笑した。
「それじゃ、構成はどうするん?まさか一時間チャゲアスばぁやるわけにはいかんじゃろ」
「おい。エビス。カラオケ大会じゃねぇんだぞ」
オカケンが鼻で笑った。
「二部制にするゆうんはどうかのう?チャゲが愛した歌とワシらがチャゲに贈る歌ゆう感じで」
「チャゲが愛した歌ゆうて、結局、チャゲアスじゃなぁん?」
「ブンチンは知らんようじゃのう。米軍キャンプでやっとった曲はチャゲとキョウジュが選曲しとったんで。あいつシュレルズとかロネッツが好きじゃったけぇな」
「コーラスがたいぎい(面倒くさい)あれな?」
「そういうのとチャゲアス二三曲が第一部」
「第二部は?」
「そりゃ、オリジナルじゃろ」
キョウジュが何の迷いなくそう言うと、全員、箸とグラスと咀嚼を止め、瞳孔を開いて驚愕した。無理もない。どれも四半世紀も前の曲だ。よしんば覚えていたとしても、クゥオリティ云々の問題になってくる。
「ワシが新たにアレンジするし、メロディやリリックもダサいところや青臭いところはどんどん変えよう。あと、ラストは『尾道スロウレイン』で〆よう」
「え?」
「何それ?」
「そんなオリジナルがあったのかよ?」
俺とキョウジュ以外の三人が初めて聴くオリジナル曲のタイトルに後ろから不意打ちを喰らわされたように状況が呑み込めていない様子だ。
「皆が知らんのは当たり前じゃ。キョウジュとワシの競作で、どこにも発表してない曲じゃけな」
「え?そんなんいつ作ったんよ?」
「二十三年前かのう」
不思議だが、この時、加奈子が隣にいるような気がした。それも、「フウが悪いけぇやめてぇや」と窘めているのではなく、二人の男から同時に燃え尽きるほどの激情で愛された記憶に自尊心を満たされ、自分は世界一幸せな女であることを全身全霊で滲ませ、菩薩か女神にしかできない高潔で慈愛に溢れる笑みを浮かべている。きっと、キョウジュも同じことを感じているのに違いない。そうでなければ、ここで『尾道スロウレイン』は出てこないはずだ。
「うん。それで異議はないよ」
「ワシもじゃ」
「練習が楽しみじゃのう」
「よし。明日から譜面とスコア書きに大忙しじゃ。タミオは次回までに歌詞を練り直してきてくれ。高校生の言葉じゃ拙いけぇな」
「おう。任しとけ」
予想以上に有益なミーティングになった。
追悼コンサートを言い出したのは俺だが、最初からそうするつもりだったかのようにキョウジュが次々とアイデアを出し、企画を詰めていく。それこそ、CHAGEさんとASKAさん、ジョンとポール、馬場と鶴田、カトケン、ダウンタウンのような完璧なコンビネーションプレイと言ってもいい。そこにはついこの間まで奈々のことで酒に溺れ、鬱屈としていたキョウジュの姿はなかった。
その神様が、或いは、加奈子が共に作業してくれているような流れの美しさに俺はブンチンが差し入れてくれた氷結グレープフルーツのロング缶二本ですっかり酔ってしまった。
洗い物をしたり、オカケンに木挽ブルーのソーダ割を作ったりして、知世ちゃんは相変わらず、甲斐甲斐しく働いているし、すずちゃんはチャゲのことを想いながら時々、いとおしげに天井の方を見ている。きっと、チャゲに「公則さん。お友達があなたの為にコンサートをやってくれるみたいですよ。よかったですね」などと心で会話しているのだろう。
悟っていたつもりだったが、本当に人生には予定外のことが起きる。いや。起きすぎるのだ。
さぁ、世界を漂い、磨かれた感性でどう言葉を紡いでやろうか?
やる気が漲り、熱を帯びてきたのは当然、酔いに後押しされているだけではない。
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