第27話

 俺たち身内の喪失感とは裏腹にその週末に執り行われたチャゲの通夜と本葬は賑やかだった。

 無理もない。北は稚内、南は台湾からチャゲアスファンが集結し、CHAGEさんとASKAさん本人からそれぞれ弔電と献花が届いたのだから。落ち目の芸能人の葬式よりもチャゲの死を悼む人間のほうが遥かに多いという現実は決して喜んではいけないことなのだけど、ファンの子たちは至って規律正しく、行儀がよく、交通整理や車の誘導や店周辺の清掃や必要なものの買い出しなんかも積極的にしかも、無償で買って出てくれるものだから、チャゲのお袋さんは一人息子を亡くした悲しみに打ちひしがれながらも「あの子らぁ、ホンマにありがたいなぁ」と繰り返していた。

 気丈で強い母はそれでもいいが、心身の支えを失ったすずちゃんは、流石に参ってしまっていて、それを我がことのように心配した奈々が仲のいい姉妹かレズカップルのように寄り添い、ずっと手を握りしめながらすずちゃんを励ましていた。奈々がどう言葉を尽くしているのか、一語一句聴いたわけではないのでわからないが、こういう時、奈々の低い声は誠意と説得力を感じ、すずちゃんも暗闇に射し込んだ一条の光を見て感じている、そんな微表情が読み取れた。

 チャゲの本葬で困ったのは、筒井先生が終始、不機嫌だったことだ。

 お経をあげに久保のチャゲの本宅に現れたときは、真昼間から千鳥足で、森本君に介抱されていて、俺やキョウジュが一礼すると、「公則のアホが。恩師よりもはよ死ぬ生徒が三千世界のどこにおるんなら?おう」と酒臭い嘆きを吐き捨て、「聖榮。ワシはよいよやれんど。酒じゃ酒じゃ」とこれでは角打ちで見知らぬ客に絡む近所の面倒くさいおっさんと変わらない。

「センセ。仕事はちゃんとせなあきまへんえ。皆、わろてはりますよ」

「オドレにワシの気持ちがわかるか!」

「ようわかってます。せやから、故人の為に、故人が気持ちよう霊界に旅立てるようにお経をあげてくれはりませんか?」

「何が霊界じゃ。死んだら終わりじゃろうが」

「そんなん真理がうんぬんとちゃいますやん。ホンマに名僧のくせにしょうもないことを仰る」

「しょうもないんは、この国の愚政愚民と公則のような善人をこがいにはように天に召した運命じゃろうが、アホ」

 森本君は駄々をこねる子供を歯科か寝床に連れて行くようにチャゲの早逝を自分のものとして心から悲しみ、怒る筒井先生を促し、「そこのポプラでふなくち買うてきますさけ、それ飲まはったら、仕事しておくれやす」と下手に出たかと思ったら、奥のほうでやり取りを聴いていた茶谷先輩が浦霞の一升瓶を胸に抱えてゆったりとした足取りで現れ、少し恫喝の気配を漂わせながら、筒井先生に笑いかけ「先生がこの場を収めて、仕切ってくれんと、こいつら全員、行き場がなくなるけぇ、これ飲んだら、チャゲの為に機嫌よう仕事してやってつかいや。ワシからもこの通り、頼みます」と頭を下げ、差し出した。

 流石に腕に覚えありの一メートル八十二センチ百キロの茶谷先輩の迫力には酒の力を借りても対等に対抗できないようで、「おう。浩二。ようわかっとるけぇ」と一升瓶を受け取り、二合ほどラッパ飲みで一気で飲むと、何もなかったかのようにチャゲの霊前に向かった。

 茶谷先輩は、胸をなでおろす森本君に剽軽なボディランゲージをして、無邪気に笑ってみせた。


 本葬が済み、焼き場の待合室でキョウジュをはじめ、エビス、オカケン、ブンチンとバンドのメンバーが二十三年ぶりに介したが、こういう場なので、皆、口が重く、思い出話にもなかなか花が咲かないものだ。この中で一番、お喋りな俺ですら、何を喋ったらいいのか苦心する。ブライアンエプスタインを亡くした時のビートルズもこんなふうに沈痛していたのだろうか。

「ふふふ」

 沈黙を破るようにオカケンが思い出し笑いをした。

「オカケン。どしたんや?思い出し笑いか?」

「ふふふ。俺、思ったんだけどさ。あいつ、水死体ごっこをやってたんじゃねぇの?」

 ベースのオカケンは大学で東京に出て、今も東京暮らしなので、高橋幸宏のように都会的でしゅっとした風貌をしていて、あまりこの辺の言葉を喋らないが、元々、小学生の頃、川崎から引っ越してきた奴なので、違和感も嫌味たらしさもない。

「お前もそう思うん?実はワシも亀井君から訃報を聞いたとき、悲しいとか淋しいとかじゃのうて、水死体ごっこのことを考えたんよ」

「え?タミオも?実はワシもなんよ」

「え?エビスもそうなん?ワシもよ」

 偶然の一致に驚き、四人で沈黙を守るキョウジュの顔を覗き込んだら、キョウジュは真顔でまるでそれが当然のことであるかのように大きくうなづくと、今までどう説明しても伝わらず、無視され続けた学説や冗談がやっと理解されたみたいに五人で笑い転げた。

「あのバカ、ええ歳して何考えとるんじゃろうのう」

「ホンマ、死に際までお調子もんなんじゃけん、やれんわ」

「まぁ、あいつらしいゆうたらいけんのんじゃけどな」

「でもさぁ、お前ら、夏になるとやりたくなんねぇか?水死体ごっこ」

「あ。それわかる」

「特に近年は暑いけぇなぁ」

「そう。チャゲはいつでも有言実行じゃった。ワシらが高校生の分際で岩国や広島や福山で分不相応な天国を見れたんもあいつのおかげで。ワシらの永久名誉マネージャーじゃろうが」

 普段、無駄口を叩かないから、こういう時のキョウジュの一言には妙に説得力があるし、誰もがその通りだと思っている。

 その時、俺は天啓を受けた。

 まるでチャゲに命じられたように。

「なぁ。ワシらだけでチャゲの音楽葬をやらんか?あいつ、まだそのへんで『ワシはまだ死んでなぁで』ゆうてごねよるで。じゃけ、あいつの為にコンサートをやったら、『ワシゃホンマに死んだんじゃ』ゆうて納得しよる」

「ええ考えじゃけど、会場とか練習はどうするん?まぁ、箱はすぐに見つかるじゃろうけど、キョウジュとボランティアでダンカイの爺さんや婆さんにギター教室やっとるエビス以外はブランクがあるし、オカケンは東京じゃろ?」

「いいよ。俺、週末には帰ってくるし、いつやるの?」

 正直言って、東京住みのオカケンが同意してくれるのは意外だったので、もう話は決まったようなものだ。俺は、心に浮かぶまま続けた。

「それぞれブランクがあると思うけぇ、来年の春先くらいが妥当じゃろ?コンサートゆうても十何曲もせんでもええ。絞ろう」

「交通費がエグいけど、それでいいよ」

「オカケンがやるんじゃったら、ノーとは言えんのう。倉庫からドラム出さにゃあいけん。師走も近いゆうんにオオゴトじゃ」 

 板金屋のドラムのブンチンが困った顔をしながらも俄然、やる気を出しているのが読み取れる。ジョンレノンのつもりで作ったトレードマークの丸メガネが桂文珍師匠にしか見えなかったので、もう三十年以上も「ブンチン」と呼ばれている。それはエビスも似たようなもので、村上俊幸という昭和のイケメン俳優のような立派な本名があるにもかかわらず、顔が漫画家の蛭子さんに似ているというので、「エビス」だ。  

「とういうことじゃけど、キョウジュはどうするん?」

 再び、八つの目がキョウジュに集中する。有無を言わさない視線とはあまり関係なく、キョウジュは割と簡単に「うん。やろ。練習はうちの一階のパパのムービールームを使うてくれたらええ。流石にこの年齢になって筒井先生に拳骨喰らうんは切ないもんがあるけぇな」と別段、俺に対する皮肉ではないと思うが、提案を快諾してくれた。

「よし。決まりじゃな」

「まさかこの年齢になってベース弾くとは思わなかったぜ。彼女にただのええかっこしいのおっさんじゃないってことを教えてやらないとな」

 オカケンが満更でもなさそうに照れた。

「へぇ。オカケンの彼女って若い子なん?」

「二十三だから、キョウジュの娘と同い年だよ」

「おいおい。ロリコンはいけんのど」とエビスが歌うようにからかうのを俺とキョウジュは複雑な想いで聴いていた。

 いよいよ、チャゲの骨を拾う時間になったが、周囲の重々しい空気と隔離されたように俺たちの場だけ学生の飲み会のように陽気だった。


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