第21話

 夕食には候補が二つあった。

 一つは、この辺らしく名産の鯛づくしの『鯛亭』ともう一つは魚料理全般がおいしい『衣笠』だ。

『鯛亭』の豊田の親父さんは、元々、鞆シーサイドホテルの板長だった人で、俺は高校に入る前の春休みに本家の裕ちゃんの口利きでバイトしたことがあるが、俊敏で機転の利く俺ですらよくつまらぬことでどやされたものだ。おまけに若い頃の梅宮辰夫似の強面ときている。一方、『衣笠』のさっちゃんは裕ちゃんの幼馴染で、俺も高校くらいまでは福山でよく一緒に遊んだ仲だ。

 俺がどちらを選ぶかは明かだ。

 キョウジュと同様、白髪になり幾分、スマートになった白い調理服姿のさっちゃんは顔では驚いていたが、「おう。久しぶりじゃのう。さっき、無我から連絡があったんで。タミ君が女連れて来とるって」と片目を瞑り、笑窪を作った。

 まったく、鈴木君は僧侶になっても口が軽いのは変わらない。

「取材じゃろ?広島のテレビ局や福山のタウン誌はよう来るんじゃけど、尾道のほうは初めてじゃ。お手柔らかにな、お嬢さん」

「はい。タミオさんの推しなので期待してます」とさっちゃんに名刺を渡した。

「藤井奈々ちゃんか。顔も名前もアイドルみたいじゃな。ほいじゃぁ、二階行こうか。そうじゃ。タミ君。面白い奴が待っとるで。ワシが呼んだんよ」

 俺を肘で突っつくとさっちゃんは鼻歌を歌いながら階段を軽いステップで駆け昇って行った。

「誰がいるんですかねぇ?」と奈々は首を傾げて笑ったが、俺には何となく察しがついた。この男とはよくよく縁があるのだろう。

 二階の奥の個室の襖を開けると、そこにいたのは予感通り、本家の裕ちゃんだった。

 鯛の兜煮をつまみに雨後の月の二合瓶をほぼ空にしていて顔が赤いが、この人の酒好きはガキの頃からなので別に驚かない。小四の時、教室に家で漬けた梅酒を持ち込んで飲酒し、大問題になった等の武勇伝をお持ちだ。

 が、奈々が「タ、タ、タ、タミオさんが二人おる!」と驚きのあまり、脱力し、へたりこんでしまった。驚かれる立場からの一瞬での転身だ。

 無理もない。

 俺と義晴は体格が違うので、顔がそっくりでも見分けがつくが、俺と裕ちゃんは、マナカナ以上に見分けがつかない。強いて言えば、裕ちゃんのほうが方言がきつく、遠慮することを知らないことくらいか。

 試しにと高校生の頃、裕ちゃんがあまり気の進まない女とのデートをピンチヒッターで行ったところ、一日中、全く気付かれず、映画を観て、海を見て、飯を食って酒を飲んだら、すっかりいい雰囲気になってしまい、最後まで行ってしまい、裕ちゃんから「タミ君。おどりゃぁ(てめぇ)ワシはこれからどうすりゃええんじゃ!」とこっぴどく怒られたことがあったくらいだ。

「台湾のアパート、もぬけのからじゃったけぇ、帰って来とるとは思うとったけど、まさか助平面してデートとはのう」と俺の不義理を責めているのかと思ったらそうではないようで、「おい。誰なら?この戸田恵梨香は。こんなんラップラオのマイちゃんに見られたら、タミ君、チンチンちょん切られるで」といじめっ子の目で笑った。

 下半身にうすら寒い厭な風が吹いた。

 本家の裕ちゃんとは尾道を出奔したあとも当時、流行ったホットメールを使って密に連絡を取り合っていて、上海で中国人の部下に店を乗っ取られ途方に暮れていた時にバンコクに呼び寄せてくれ、お店の物件探しや求人や仕入れやワーキングビザ取得に尽力してくれた。売り上げは何年も黒字だったが、俺は前述のマイちゃんと些かややこしいことになってしまったので、レジにあった金をかき集めてフランスに逃げたが、裕ちゃんはその事後処理もやってくれたらしいので、それくらいのどきつい冗談を言われても、「勘弁してよ」で笑って流さないといけない。

 因みに、裕ちゃんやさっちゃんには加奈子のことは紹介していないので、奈々を見ても、お決まりの反応はない。

「裕ちゃん、覚えとるか?ワシのツレのキョウジュの娘よ」

「あのうらなりくんの娘か?全然、似とらんし、別嬪じゃのう。お母さん似でえかったな。おう。姉ちゃんも一杯やるか?」

「いえ。これから取材ですから。衣笠さん、始めましょうか」  

「ほうか。その前に、サチヲ。タミ君にも酒つかいや(ちょうだい)。あとワタリガニの卵焼きも頼むわ」

「こりゃ気が利かんことで」と商売人というよりも悪ガキのような笑顔を貼り付け、さっちゃんは一旦、退室した。

 

「このご時世でワシの会社もパンクしてのう、全ては熱帯の夜の夢じゃ。Uターンってゆうたらカッコええんじゃけどのう、すってんてんで負けじゃ」

 裕ちゃんは亀齢に切り替え、それを俺にも注ぎ、ため息交じりにボヤいた。

「嘘?千万は貯金あるじゃろ?」

 実を言うと俺も広島で言ったら吉島あたりにマンションを買えるくらいの臍繰りはあるので、長年、タイで順調にビジネスを展開していた裕ちゃんが「すってんてん」だなんて俄かに信じ難いので、大袈裟に仰け反り、ついつい大きな声になってしまった。

「それがのう、長年の親不孝を詫びよう思うて、親父とお袋にマンション買うたったら、姉貴と妹が店出すとかゆうてきて強請るもんじゃけ、気付いたら食い散らかされてワシは骨で。よいよ冴えん話よ」

「叔父さんと叔母さんは元気なん?」

「過疎った鞆を出て、岡山の都心じゃろ?ピンピンしとるわ」

「え?岡山?裕ちゃん、えらい無理したんじゃな」

「その代わり、鞆の家はワシが管理することになったんじゃけど、あそこで商売するんもたいぎい(面倒くさい)けぇ、福山で外国人派遣の会社をてご(手伝い)しょーるんじゃけど、あれ、ワシ、あんまり好きじゃないんよ」

「裕ちゃんは移民政策反対じゃったもんな」

「亡国の法で、あんなん。日本人が住みやすい日本を作れぇゆう話じゃ」

 そんな不景気で冴えないおじさん二人を横目に奈々の取材は順調なようで、このへんの名物であるうずみや鯛めし、そして、一番人気の四季定食の説明をさっちゃんから受けているところだ。こちらと違って、お膳は随分と華やかだ。

 ひと段落ついて、奈々がvaioを開いて写真を取り込みながら取材の要点をタイプする姿を頼もしそうな眼差しで捉え、気分よく乗せられ、転がされながら取材を受けたさっちゃんは「おい。裕次郎。奈々ちゃんは只者じゃないど。開口一番、うちの看板を褒めたんよ」とご満悦の様子だ。

 裕ちゃんが長男なのに裕次郎なのは、本家の叔父が裕次郎ファンだからというシンプル極まりない理由であって、次男なのにイチローのような捻くれたなぞなぞ感はない。裕ちゃんに店の開店資金をねだったというお姉さんは小百合で妹はルリ子というわかりやすさだ。

「看板がどうかしたんか?」

「あれは外林省二先生の書で」

 俺は二十年ほど前に上海で個展をやっていたこのへんが地元という具志堅用高によく似た書家のことを思い出した。確か、パンフレット片手に何か物思いに耽ったようにひと作品ずつ時間をかけて鑑賞する俺に気さくに声をかけてきてくれた。

――あの繊細でありながらダイナミックな字。

「あの人のことか!」と全身に電流が走ったが、話を振られた裕ちゃんはあまり関心がなさそうだ。

「その様子じゃタミ君は知っとるみたいじゃな。あんたらええカップルじゃ」

 さっちゃんは顎をさすりながら満足そうに笑った。

「タミ君は飲みが足りんけぇ、そがなアカデミックな話を好むんよ。飲め飲め歌え、そして飲め。ワシが許す!」と盃を満たした。

 現実世界と言葉はともかく、俺と再会できたことは相当、うれしいようだ。

 キョウジュが親友ならば、裕ちゃんは兄弟と言ってもいい。

 今宵は兄弟の為に飲む!

 奈々は一瞬、心配そうな目で俺を見た。

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