第20話


 前回と同様、奈々は、カフェの取材から開始した。

 前述の『ポート』やバスセンター横に今もある『ゴロ―』のような純喫茶は昔からあったが、尾道同様、カフェやゲストハウスは二十一世紀になってから亀井のような他所から移住してきた非地元民が古い民家や蔵なんかをリノベーションしてオープンしている場合がほとんどだ。地元民よりも地元の良さがわかっているというのは、海外で暮したことがある人ならば誰でもわかる道理だ。

 渡船場の二階の『SHION(潮音)』は海に面した開放的なカウンター席から百貫島が真正面に見え、青いソーダフロートの中で仙酔島行のいろは丸が通り過ぎる。「まるでユーミンの歌の世界だ」なんて見惚れていると、奈々はジンジャーティとチーズケーキを写真に収ると、両手を頬に充て、海を見て羨望のため息をつき、「デートでこんなとこに来れたら最高でしょうね」と独り言のように呟くと、「あれ?お二人はデートじゃないんですか?」と先ほどインタビューを終えた地元らしからぬ、しゅっとしてスマートな身のこなしをしたオーナーが興味深そうに輪に加わってくるので「佐藤さん。これデートコースの取材じゃ。おまけに日帰りじゃけぇ、おっちゃんはついていくんが大変じゃ」と自虐し、話を本筋から逸らすと、「それはそれは」と爽やかに笑った。

 絶景カフェはここだけではない。

 医王寺参道、坂の傾斜が比較的楽な明圓寺サイドの高台にある『さらすわてぃ』には大正ロマンを感じる広々とした和の空間に服や陶器のギャラリーがあり、緑あふれる見事な中庭からはポニョのモデルになった赤い屋根の家が見え、カウンター席からは鞆港を一望というカフェ好きの女性でなくとも、忖度抜きで絶賛するのは間違いないのだが、猫を数匹放し飼いにしているので、猫アレルギーの俺はくしゃみが止まらなくなってしまったので、ここの取材は奈々一人でやることになった。「残念。猫、こんなにかわいいのにねぇ」と三毛猫を抱いた『さらすわてぃ』の品のいい奥さんと黒猫の頭を撫でる奈々が気の毒そうに苦笑した。

 仕方がないので俺は予定になかったが、上杉家の菩提寺医王寺が目と鼻の先なので、さらに坂を登ってじいちゃんと大叔父に挨拶に行った。

 本来ならじいちゃんにはボルドーワインを、大叔父にはジョニーウォーカーを花とともに供え、墓前で小一時間は心で語り合いたいところなのだが、長引いて奈々を待たせて不安にさせてもいけないので、静かに手を合わせ、じいちゃんには義晴が吉川さんと共にじいちゃんの味を復活させ、広島の皆から愛されてることを報告し、大叔父には葬儀に参列できなかった不義理を詫びた。

 奈々が喜ぶかと思って携帯のカメラで墓の建つ小高い丘の上から瀬戸内海と鞆港の写真を数枚収めた。どのアングルから撮っても美しく、不変の風景だ。どこかミコノスから臨むエーゲ海を思い出す。

 ――これは絶景だ。

 尋常小学校を出てすぐに満洲に渡り、馬賊になった大叔父とランボーやコクトーに憧れてパリに渡ったじいちゃん。あの戦争を経験したとはいえ、自由奔放に生きた二人だが、この海を見ながら眠っているのはきっと幸福なことなのだろう。

 三十分ほどして戻ると、奈々は余程ここが気に入ったらしく、中庭のテーブル席で奥さんと旅行者っぽい欧米人の老夫婦と何やら話し込んでいた。耳をそばだてると、あまり会話は成立していないようだったが、真に素晴らしいものを素晴らしいと語るときは言葉など超越してしまうものなのかもしれない。

 このあと、鞆観光定食コースの福禅寺の対潮楼や常夜灯にただ行くのも味気ないので、俺はわざと裏道を通った。

 特に岡本亀太郎商店から常夜灯に抜けるまでの裏道は「すごい!京都みたい」と奈々はしきりにシャッターを押していた。

 グーグルマップなしで観光客では見れない風景と出会う。そうでなければ俺が抜擢された意味はないし、これで『さらすわてぃ』での失点はほぼ取り戻せたと思う。

 しかも、対潮楼に関しては、本家の大叔母が十年ほど前までもぎりのパートをやっていたので住職のおつさんが「おう。尾道のタミくんか。あがれあがれ」と無料で入れてくれ、お茶ときんつばが振舞われ、取材にも快く応じてくれ、江戸時代にここを宿泊施設として使った朝鮮通信使の話なども詳細に語ってくれた。通常の取材ならばこうはいくまい。奈々は、その朝鮮通信使から「日東第一形勝(日本一の景勝)」と絶賛されたこの瀬戸内海の風景よりも来歴に興味を持っていた。このへん、作家としての資質を感じる。

「同じ瀬戸内の港町なのに、尾道と全然違う。面白い。取材を忘れてしまいそう」

 静観寺、顕政寺、安国寺と古寺巡りを終え、それぞれの住職から鞆の歴史や俺でもナントカ理解できる水準の少し入り組んだ仏教の話や説法を聞かされた奈々は退屈するどころか、目を輝かせている。花も恥じらう二十三歳の乙女にしては少し変わっているが、歴史好きなキョウジュの血と想えば、納得がいく。

「海に坂に寺までは一緒なんじゃけどな。なんでじゃろ?」

「独特ですよね。ガラは悪いのに優しいというか…」

「昔はもっと治安が悪ぅて混沌としとったもんじゃが、確かに優しかったわ」

 俺は本家の二軒隣の沖辰商店の先代のおじさんとおばさんのことを思い出した。本家の大叔母の実家でもあるので、俺と裕ちゃんが一緒に訪ねていくと「尾道のタミくんが来た」と我が孫のように優しい笑顔で迎い入れてくれ、売り物のバナナやエリーゼを食わしてくれた。

 海外で煮詰まった時に明らかに壁や問題が自分の裁量を超えている時はそういう幸せだった過去を思い出して、「生きてまたあの人たちに会うんだ」と自分を奮い立たせてきたものだが、加奈子も沖辰商店のおじさんたちももういないというどうしようもない現実と隣に奈々がいるという温もりと重みのある現実。

 どっちが軽くてどっちが重いということはない。

 皆、大事な人だ。

 ただ、「時が止まっている」と揶揄されることがあるこの鞆の町にも確実に昭和の灯りが消えはじめている。

「奈々ちゃん。このあとはどうするん?カフェ、行ってないとこあるけど、それとも誰かにアポ取る?」

「夕食、タミオさんに任せます」

「え?記事になるんじゃろ?」

「今日はここまでタミオさんの才覚とネットワークで仕事ができてます。だから」

 確かに、対潮楼もそうだったが、安国寺の藤井さんや顕政寺の鈴木君はガキの頃から知っているから、万事、協力的で便宜を図ってもらえた一面があるし、奈々が飛び込みで行って、取材OKになったところで当たり障りのないインタヴューになって終わりだっただろう。

「だから、今回は最後までタミオさんを頼ろうと思います」

 奈々の切れ長の真っ直ぐな瞳が俺を捉える。

「はい」としか言えるわけがない。

 俺は奈々の期待をなぞる言葉しか言いたくない。

 笑顔が見たいとか、いい人でいたいとか、そんな下の下の計算や時折、俺の人生を邪魔してきた天邪鬼が立ち入る隙もないほどに奈々の俺を見る瞳は真っ直ぐだった。 

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