第18話

 それから二週間ほどして、珍しくキョウジュから飲みに誘われた。

 賑やかなことや場所が嫌いで、子供の頃からみなとまつりやベッチャーにすら参加したことがないキョウジュが自分から飲みに誘うなんてどういう風の吹き回しだ?と訝ったが、奈々の広島の記事が大好評で、尾道のタウン誌でありながら、県内の他地域や他府県からも問い合わせと発注が相次ぎ、重版が決まり、その重版も追いついていないとのこと。編集長はじめ、上の人間も嬉しい悲鳴をあげていて、奈々は、来月からデスクに昇進するとのこと。それで、どうしても俺に御礼がしたいので、ということらしい。

 滅多に取材に応じない義晴が機嫌よくインタビューに答えているわけだから、全国のカープファンが「いったい何事だ!」と騒めき立つのも想像に難しくない。あの前田智徳がドリフの新メンバーに加わったくらいの衝撃だろう。渉外をやったのは俺かもしれないが、肝腎な記事を書いたのは奈々だ。なので、「魚信か西山旅館の個室を予約する」という有難い申し出は辞退して、気楽なチャゲの店で会うことになった。

 新開の店に着くと、まだ明るい時間なのに、「本日臨休」の札が掛かっていたが、店内を覗くと小上がりでいつになく嬉しそうなキョウジュと赤ら顔のチャゲがエビマヨと中華風サラダと野菜の餡のかかった握り拳くらいありそうな鶏のから揚げをつまみにキョウジュが持ち込んだと思われるクリュッグを飲んでいた。奈々とすずちゃんはいないようだ。今日のBGMはチャゲアスの『BigTree』だ。

「チャゲ。臨休ってどういうことや?ここらへん夜に開いとるラーメン屋がないけぇ、観光客が困るじゃろうが」

「おう。タミオ。あがれあがれ。まぁ、やいこしいこと言わんと飲めや」

 シャンパングラスなど当然なく、クリュッグは「万里の河」のロゴ入りグラスに乱雑に注がれ、三人の喉を潤す。よく冷えているせいか細かいことはあまり気にならない。共に苦労してきた糟糠の妻がモエシャンなら、簡単に心変わりしてしまいそうなくらい危険な味だ。

「パパが『タミオくんに飲ましちゃれぇ』ゆうて、クリュッグ六本も持たせてくれたで。広島では奈々がすっかりお世話になって」

「お、おう」

 そういわれると二の句が出ない。あの夜の幻想のような甘い出来事を思うと、キョウジュの前では秘密の片鱗さえ見せまいと防衛本能が働く。

「タミオは読んだんか?奈々ちゃんの記事。ありゃ、天才で。作家になるべきじゃ」

 チャゲが興奮気味に称賛すると、キョウジュは満更でもなさそうに「加奈ちゃんが死なんかったら、詩音か文音にするつもりじゃったけぇな」と淡々でありながらも誇らしげだ。 

 なるほど。加奈子を忘れないために奈々か。意地らしい野郎だ。

「まだ読んどらんけど、大好評らしいのう」

「おいおい。功労者が読んどらんとは実に嘆かわしいのう」

 チャゲは大袈裟に首を振ると「これじゃ」と頁を開いた。

「伝説の右腕の思い出のタンシチュー」か。なるほど。見出しから心を鷲摑みにされるし、構成や展開も上手い。そして、いつ取材したのやら?吉川さんのことにまで触れている。いつしか奈々の文章の吸引力に抗えなくなりそうで、逃げ出そうと必死に手足をバタつかせなきゃいけないと心が焦る。

「たいしたもんじゃ」

「いや。タミオのアシストあってこそじゃ」

「今日、奈々ちゃんは?」

「このところずっと日またぎよ。版元や取次との交渉とか、次号の特集の打ち合わせとかでゆっくり風呂につかる時間もないゆうて文句ばぁゆうとる」

「ふーん。売れっ子になるんも大変じゃの」

「で、言いにくいんじゃが、タミオに相談がある」

 キョウジュはすなまそうに両手を合わせ、直箸でから揚げを俺の皿に置いた。

「相談って?」

「奈々のことじゃ」

「うん」

 厭な汗が背中を伝う。ひょっとして奈々が俺のことを一切話したのだろうか?それを受けてキョウジュが?それにしては随分、冷静だ。

「もう一回、奈々の力になってやってほしいんよ」

「え?」

「実はのう、次の特集が鞆らしいんよ。鞆じゃったら、タミオ詳しいじゃろ?」

 ジブリの『崖の上のポニョ』やドラマ『流星ワゴン』の舞台で知られる、瀬戸の潮待ちの港町鞆の浦(と呼ぶのは観光客だけだ)は、我が上杉家の本家と菩提寺があるので、ガキの頃から最低でも年四回は通っているし、昭和平成と経て、町はだいぶ変わってしまってはいるが、土地勘どころか裏道やちょっとした人間関係にも詳しい。

「ほら?よっちゃんを取材したことで奈々は、特別な感性と交渉能力があると期待されての抜擢なんよ。タミオじゃったら、観光客が行かんところでも知っとるじゃろ」

「まぁ」

「頼む。奈々はタミオには心開くし、言うことも聞く。親バカじゃと笑うかもしれんけど、この通りじゃ」

 奈々がどういったテーマを持って、どういった場所を取材しようとしているのか知らないが、断る理由はないだろう。それにその忙しさではデートに誘うことすら憚られる。寧ろ好都合だ。

「別にええよ」

「おう!流石、タミオじゃ。頼れる男じゃ。ありがとう。奈々も喜ぶわ。詳しい日時は奈々のほうから連絡させるわ」

「しかし、広島の記事ってなんかタミオと奈々ちゃんがデートしょうるようにも読めるんは気のせいかのう」

「広島秋冬おススメデートコースじゃけな。そう読めんかったら、奈々ちゃんは文才がないということになるで」

「それもそうじゃのう」

 喜ぶキョウジュを横目に意地悪く、唇を斜めにして言うチャゲを制し、俺は三杯目のクリュッグを飲み干した。

「ところで、すずちゃんは?」

「明日から暫く店閉めて、ASKAの復活ツアーに参戦じゃけな。上で荷造りしょうるわ。おっと!ワシも準備せんといけん」

「え?まさかお前ら全国まわるんか?」

「色々あったけど、スーパースターがワシらの前に帰ってきてくれるんで。ファンとして礼儀じゃ。おう。冷蔵庫にチャーシュー残っとるけぇ、勝手にさらえとってぇや。ワシは何して何してくるけぇ」

 チャゲが「すずちゃぁぁん」と叫びながら階段を駆け上ってゆくのを俺とキョウジュは顔を見合わせてあきれた。あれだけのバイタリティがあるなら、CHAGEさんとASKAさんの手を握らせるくらいできるんじゃないかと割と本気で思ってしまう。但し、CHAGEさんにASKAさんを許す度量があるだろうか?

 などと考えていると、俺と奈々のことをキョウジュが知った時、世界は、関係は、どう変わってしまうのだろう?そこにキョウジュの許しはあるのだろうか?そこであの時のASKAさんのように全方位から責められ、色んなものを失ってしまうのだろうか?と近い未来に必ず訪れる全く未知の世界を想うと、俺も不死鳥の如く蘇ったASKAさんを応援しようという気になるのだ。 

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