第十八話 霊媒師二階堂2

 真由美の魂を戻せる。二階堂は、はっきりと言った。

 光陽みつひろの心が、ふわっと軽くなった。

 助かる。真由美は助かるんだ。

 光陽の脳裏に、笑顔で起き上がる真由美の姿が浮かんできた。

 頭の中ではなく、顔を合わせた状態でまた真由美と話ができるのだ。


 笑顔になっている光陽とは反対に、二階堂は真顔のまま口を開く。

「ただし、先ほども申しましたとおり、沢村さんたちに起きている現象は、わたしも初めて触れるものです。沢村さんの中にある藤堂さんの魂を、元の肉体に戻すという作業は、わたしの霊能力を持ってしても、一回では成功しないでしょう。従って、複数回に渡って術を掛ける必要があります。そうなると、その都度ここへ足を運んでもらうことになり、費用も高くなってしまいます。それでもよろしいでしょうか?」


 真由美を元に戻せるのなら、いくら掛かってもいい。今の給料や貯金で足りないのなら、掛け持ちでバイトもする。それでも足りないなら、親に頭を下げて金を借りよう。とにかく、真由美を助けるためなら、何だってやってやる。


「はい、かまいません。お金はいくら掛かってもいいので、どうか真由美を助けてください」

 そう光陽が答えた直後、ダメ! という真由美の声が聞こえてきた。

 ――光陽、ちょっと待って。この人の言ってることは怪しいわ。そんな簡単に信用してはダメ。この人が本当に私の魂を戻せる力があるかどうか試す方法があるわ。私と交信できるか訊いてみて。

「あの、先生、私の中にいる真由美と会話はできるでしょうか?」


 それまで即座に答えていた二階堂だったが、この質問にはすぐに答えなかった。


「それは、藤堂さんの提案でしょうか?」

「はい。真由美がそう訊けと言ってきました」

「そうですか。……時間を掛ければ可能だと思います。しかし今すぐには難しいかもしれません。というのも、わたしが普段やりとりをするのは、あちらの世界にいった魂です。藤堂さんの場合は、まだこの世界で生きている。同じ魂には違いないのですが、現世から離れた魂と現世に留まっている魂とでは、種類が違うのです。俗っぽい言い方をすると、周波数が違うということになります。そういうわけで、その周波数を合わせるために、時間が必要になるのです。ですから今回は、沢村さんにあいだに入ってもらう形で、わたしと藤堂さんで話しましょう。よろしいですか?」

 ――それらしいことを言ってるけど、綻びが出てきた感じね。時間稼ぎをしようとしてるようにも見える。とりあえず、今はその話に乗ることにしましょう。

「はい、かまいません」


 二階堂は深呼吸しながら目を瞑り、十秒ほどして目を開けた。


「藤堂さん、あなたは、沢村さんの目を通して色んなものを見ている。だから、時には女性のあなたが見たくないものまで見えてしまう時がある。どうですか?」

 ――そうだけど……。

「そうだと言っています」


 二階堂は頷いた。


「たとえば、トイレで、沢村さんが他の男性の性器を不意に見た時には、驚きの声を上げたことがあるでしょう。どうですか?」

「ええ、そういったことは以前ありました」

 真由美が答えるより早く光陽は言った。

 二階堂は二度頷いて微笑をつくった。


「そうでしょう。あなたは、とても心の優しい方だ。見たくない物を見てしまうということにおいても、沢村さんに対して、その旨を伝える時は心苦しく思っている。自分の魂を早く元の肉体に戻してほしいという思いがある一方で、そのことで沢村さんに負担をかけたくないと思っている。どうですか?」

 ――……YES。


 光陽は首肯した。二階堂も微笑のまま頷いた。


「他の人間が藤堂さんの立場になったら、沢村さんに対して、仕事やプライベートの時間を削らせて自分の魂を元に戻す方法を見つけ出させようとするでしょう。いつまでもその方法を見つけられないと、ヒステリックに叫ぶかもしれない。しかし藤堂さんはそういった感情的な言葉は吐かない。思い遣りのある方ですし、現在のところ肉体の容態も安定しているので、急かすようなことはしない。霊媒師に頼ってみようと思ったのも、藤堂さんではなく、沢村さんの提案ではないですか?」


 光陽は生唾をごくりと飲み込んで頷いた。二階堂の言ったことは、全て当たっている。


「ところで藤堂さんは、霊媒師の力を、いや、わたしのことをあまり信用していないみたいですね? そのようなことを、先ほどからあなたに言っているとお見受けする。いかがですか?」

 

 光陽の顔は驚きに満ちていた。真由美の思考をここまではっきりと言い当てられると、もう疑いの余地はないように思われた。やはり、この男は本物なのではないか。

 しかし真由美はその問いには答えなかった。


「真由美?」

 光陽は小声で話しかける。声は聞こえてこない。

「何か言ってくれ」


 いったいどうしたというのだろう。光陽は焦った。対照的に、正面に座る二階堂は微笑を浮かべている。 


 一分ほどして、やっと真由美は言葉を発した。


 ――なるほど。そういうことか。この人が何をしているのか、やっとわかった。この人、インチキよ。ペテン師だわ。

 光陽とは反対の感想を真由美は抱いていた。

 

 光陽は返答の言葉を迷った。はっきり言うのは憚られたので、オブラートに包んで伝えることにした。

「真由美は、先生のことを、信用できないと言っています」


 二階堂の表情に、僅かばかりの変化もなかった。


「そうだと思いました。ですが、それはかまいません。沢村さんも、そのことを気にする必要はありません。ただ、そういう気持ちのままだと、術があまり掛からない可能性がありますので、藤堂さんにも心を委ねてもらう必要があります」


 ――この人がなぜインチキなのかはあとで説明するけど、こう言って。『真由美があなたのことをインチキだと言って、このまま帰れと言っています』って。そうすると二階堂は、『急いで藤堂さんの魂を肉体に戻す必要があります。魂の入っていない肉体は、どんどん弱っていくからです』みたいなことを言って、あなたを引き止めようとするはずよ。今までそんな危険な状態にあるって全く言わなかったのに、急にあなたを不安にさせるようなことを必ず言うわ。私を信用して、今の台詞を言ってみて。

「わかったよ。――あの、先生、失礼ですが、真由美があなたのことをインチキだと言っているのです。だからこのまま帰れと」


 そう言うとわかっていた。そんな表情で二階堂は二度頷いた。


「そうですか。先ほど申しましたとおり、信用しないこと自体はかまわないのです。術を掛ける時にだけ心を預けてもらえれば。ただ、藤堂さんの状態、肉体の方という意味ですが、あまり芳しくありません。今は容態が安定していますが、それは表面的なものだけです。と申しますのも、長いあいだ魂が空っぽの状態になっていると、もう正常な肉体としては機能しなくなるのです。前述したとおり魂が死ぬことはありませんし、肉体もすぐに滅びるというわけではありません。しかし、魂と肉体が乖離している状態が長ければ長いほど、元に戻すことは難しくなります。時間としては、今くらいがぎりぎりなのです。明日には、もう取り返しのつかない事態になっているかもしれません」


 二階堂が話し終えると、光陽は大きく一度頷いてから立ち上がった。そして言った。

「すいません。今日はこれで帰ります」




 車に乗り込むと、光陽は真由美の肉体が眠る病院まで車を走らせた。

「なあ、何でインチキだと思ったの? 当たってたこともあったけど」

 ――あれはホット・リーディングというものよ。

「ホット・リーディング?」

 ――ええ。事前に相手の調査をして、詳細な情報を得た上で相手の心を読んだかのように思わせる話術のこと。厳密には、情報収集したことを相手に知られないようにして使うんだろうけど、まあ同じことよね。二階堂は事前にメールで色々と訊いてきたでしょう。私の性格や思想、価値観なんかを知っていれば、私が何を見て驚くか、あるいは驚かないか、光陽に対して普段何を思っているのか、そして霊媒師のような存在に対してどういう思いを抱いているか、言い当てることは難しくはない。ホット・リーディングとは反対の、コールド・リーディングという話術も使っていたかもしれないけど、いずれにしても二階堂はペテン師よ。


 光陽は眉を潜めた。

「えっ、ちょっと待ってくれ。それが事実なら、二階堂は俺の中に真由美の魂がいると信じて会話をしていたってことなのか?」

 ――いいえ。あの男は、あなたを、精神を病んだ人間だとしか見ていないわ。声が聞こえるというのも、戯言としか思っていないのよ。二階堂にとって大事なのは、

あなたに『当たっている』と思わせることなの。『こういう質問に対して、真由美ならこう答えるだろうな、こういう反応をするだろうな』とあなたに思わせることができれば、それで勝ちなのよ。


 真由美の方が正しいことを言っているのだろうなとは思っていたが、ここまでくるとその思いは確信に変わった。同時に、光陽は深い溜息を吐いた。


「二階堂は、偽物だったということか……」

 ――少なくとも、私の魂を元に戻す力がないのは確かね。最後に襤褸ぼろを出したでしょう。一回では成功しないから、何度か術を掛ける必要があるってくだり。何で初めての経験なのに一回では成功しないって言い切れるの? お金をふんだくるためよ。


 光陽の胸中は驚きと落胆で埋まっていた。

 あの短時間でそこまで見抜いた真由美の洞察力に驚き、結局偽物だったのかという落胆。

 これで全てが終わったわけではない。望みが完全に絶たれたわけでもない。

 だが、暗澹あんたんたる気持ちだった。真由美も同じ気持ちだっただろう。

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