第十七話 霊媒師二階堂1

 光陽みつひろの運転する車は、高級住宅街を走っていた。当分のあいだ光陽には手の届かない瀟洒しょうしゃな家が建ち並んでいる。向かっている先は、霊媒師の住む屋敷である。


 光陽たちの置かれた状況を、普通の人に話しても理解してもらえない。では普通じゃない人に話してみてはどうか。先日、光陽はそのような思考になった。そしてその時、頭に浮かんできたのは、霊媒師という存在だった。


 その時点では、霊媒師がどういうことを行うのか、大まかにしか知らなかったが、そういう人たちは魂の存在を信じているはずだし、光陽の話を笑わずに聞いてくれるのではと思った。耳を傾けてもらわないことには、話は進められないのだ。


 光陽はネットで霊媒師についての情報を集めた。


 霊媒師とは、人間や動物の霊、神仏や精霊など、超自然的存在を媒介する能力を持ち、その超自然的存在のメッセージを伝えることができる。他には、除霊やお祓いで人を救うこともできる。簡潔に言うと、そのような職業になる。

 真由美は死霊ではないが、魂と霊を同一のものとして見なしてもいいのなら、霊媒師は魂の扱い方を知っているはずである。


 霊媒師を胡散臭いという者は多くいると思う。その見方を否定はしない。

 だが、正攻法ではダメなのだ。どんな医師も科学者も真由美を助けられないのだから、角度を変えて攻める必要があった。


 住宅街に入って三分ほど進んだところで、目的地に着いた。光陽は車を停める。


 ――凄い豪邸ね。

 真由美の口調は少し呆れていた。

「ほんとだな……」


 霊媒師が住む屋敷は、高い塀に囲まれて家屋全体は見渡せなかったが、巨人が通れそうなくらいの大きな門と、塀の上から見えている入母屋屋根いりもややねが、全てを見なくてもそれが豪邸であることをわからせた。


 光陽の依頼を受けてくれた霊媒師は、毎週のようにテレビに出ていて、雑誌でも頻繁に特集を組まれている「売れっ子」だった。名前を二階堂と言い、その手の番組をあまり観ない光陽でも顔と名前は知っていた。


 依頼するのなら、世間に顔を知られている霊媒師の方が安心感がある。

 そう思った光陽は、二階堂のホームページ上にあった≪相談所≫という項目をクリックし、名前と年齢を書いたあと、<魂に関する話で、相談したいことがあります>とだけ書いて送信した。


<現在、二階堂先生は多忙を極めており、面会できるまでに二ヵ月掛かります。それでもよろしければ、相談の内容を詳しくお聞かせください>

 一時間後に送られてきた返信の内容。


 真由美の容態は安定しているし、いつまでに真由美の魂を元に戻さないといけないというタイムリミットが目に見えているわけでもないが、悠長に待っていられる精神状態ではない。ほんの少しでも光が見えた今、すぐにでも話を聞いてもらいたかった。


 だから光陽はすぐに返信の文章を書いた。

<今、自分の身に起こっていることは、恐らく二階堂先生でさえ見聞きしたことのない事象だと思います。一秒でも早く解決してほしいのです。解決のためなら、お金はいくらでも払います。お話だけでも聞いていただけないでしょうか>


 二時間後、再び返事がくる。

<二階堂先生に沢村様の事情をお話しましたところ、興味を持たれたようで、プライベートの時間を割いてお会いになってもいいというお返事をいただきました。沢村様のご都合のいい時間をお教えください。こちらで対応致します。その際に、沢村様が直面している事象について具体的にお教えください。他にも、沢村様の生年月日、血液型、家族構成、今までの人生で負った最も大きな精神的な傷についてもお教えください>


 高名な霊媒師に話を聞いてもらえる。それだけで光陽の心は躍った。

 真由美の魂が自分の中で生きていること、そうなった原因、現在の真由美の肉体の状態、様々な方法で魂を戻そうとしたこと。言われたとおり、事の顛末を書いて送った。


 二階堂は、光陽の中に婚約者の魂が入り込んでいるという話を信じたみたいだった。その上で、あらゆることを訊いてきた。真由美の性格や身体的特徴、最も印象に残っているふたりの思い出、普段どんな会話をしているのか等々。それもこれも全部、『魂を戻すには必要なこと』のようだった。


 光陽は、自分の話が信じてもらえたことに安堵感を覚えていた。闇の中に、一筋の光が射し込んだように思えた。


 そんな光陽とは対照的に、真由美は二階堂という霊媒師に、どこか胡散臭さを感じているようだった。


 確かにネット上では、二階堂を批判する書き込みをいくつか目にしていた。辻褄の合っていない発言が多いだとか、過去に何をしていたのか一切不明なのは詐欺師の典型であるとか、除霊してもらったが何の効果もなかったとか――。


 ただ、その「悪口」にどれほどの真実性があるのだろうか。目立てば叩かれるというだけの話ではないのか。いつの世も同じだ。正しいことをしていても、気に入らないという理由だけで誹謗中傷する輩はいる。そんな声を一々信用していたら人間不信になってしまう。書き込みの中には、二階堂に助けられたという声も多数あるのだ。


 二階堂に対する印象は、光陽と真由美ではっきりと分かれたが、今日ここにくることを真由美は反対しなかった。相手が誰であれ、一縷の望みを託したいという思いがあるからだろう。その真由美の悲痛な願いを叶えてあげたかった。


 車から降りた光陽は、門扉の前まで進み、インターホンを押した。十秒ほどして応答があった。


「はい。どちら様でしょうか」

「予約していた沢村です」 

「お待ちしておりました。どうぞ、お入りください」


 高さ五メートルほどの門が自動で開き始めた。一瞬にして厳かな空気に包まれる。

 門を潜り、敷地内に足を踏み入れる。見える範囲一面に、砂利が敷き詰められていた。足を地面に着ける度に、砂利を踏む音が響いている。

 想像したとおり、屋敷はとても大きかった。映画の中に出てくる、権力者が住む建物を彷彿とさせる造りである。

 光陽が玄関に着くと同時に引き戸が開き、縁なし眼鏡を掛けた痩身の男が現れた。この男が、光陽とメールのやりとりをしていた秘書なのだろう。ぱっと見た感じ、冷たい印象を受ける。


「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」

 光陽は靴を脱ぎ、男の後ろを付いていく。

 長い廊下を歩いていくと、男は襖の前で止まった。

「先生、沢村様をお連れいたしました」


 襖の向こうから、「お通ししなさい」という声が聞こえてきた。

 男は返事をして両手で襖を開けた。その状態で、光陽に「どうぞ」と促す。光陽は軽く頭を下げて中に入った。


 その和室は、広さ三十畳ほどはあるだろうか。家具が一切なく、あるのは畳だけだった。

 そんなだだっ広い部屋の中央に、二階堂は座っていた。紺の着物姿で、座布団の上に正座している。テレビで観た時とは違って、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。


「初めまして。沢村光陽といいます」

 光陽が会釈すると、唇を真一文字にしていた二階堂は少しだけ口角を上げた。

「よくいらっしゃいました。どうぞ、そこへお座りになってください」

 光陽は頷くと、二階堂の前に対座した。

「秘書から事情は聞きました。意識不明の婚約者の声が聞こえるとか」

「はい。交通事故に遭った翌日からです……。そのような相談は今までありましたか?」

「いえ、初めてです。亡くなった者の声が聞こえるという相談は数多ありますが、生きている人間の魂が他人の身体に入り込むという話は、今回初めて聞いた事象です」


 二階堂の語調は、とてもしっかりしたものだった。威厳があるが、決して相手を縮こませる声音と表情ではない。安心できる響きが含まれている。


「こんな話は、誰にも言えません。言えば、確実に精神病扱いされるからです。先生のところにも、そういう悩みを持つ方は多くこられるのではないですか?」

「そうですね。亡くなった者の声が聞こえるとか、霊に取り憑かれているとか、そういうご相談が主です。そして、今沢村さんが仰ったように、そういった現象を信じない方々は、懐疑的な眼差しでわたしたちを見ます。ですが、それは仕方のないことです。自分の理解の範疇を超えた物事を理解しろという方が傲慢です。仮に立場が逆なら、わたしもそういった目で見ていたかもしれません」


 光陽は頷いた。二階堂は続ける。


「では、本題に入りましょう。わたしは先ほど、沢村さんのような方に出会ったことはないと言いました。話を聞く限り、藤堂真由美さんは生きておられる。これまでわたしが数多く行ってきた、亡くなった者との交信とは明らかにケースが違う。それでも、わたしが沢村さんの依頼をお受けしようと思ったのは、あなたを助けられるのはわたししかいないと思ったからです」


 二階堂は深く長い息を吐いた。


「沢村さんは、魂というものがいったい何なのか、ご存じですか?」

「……いえ、わかりません」

「魂とは、決して朽ちることのないものです。我々人間というのは、何度もこの世界に生まれ、そして何度もこの世界から消えていきます。これは永遠に変わりません。そのサイクルにズレはあっても、必ずまたこの世界に戻ってきます。つまり、その時代における肉体というのは、受け皿に過ぎないのです。それはわたしも例外ではありません。肉体は大事なものであるということに相違はありませんが、魂と違って常永遠のものではないのです。たとえば、病院に長いあいだ昏睡状態の方がおられますが、ああいう方の中には、魂が肉体から飛び出してしまっている状態の方もいます。肉体に戻れないから、いつまで経っても昏睡状態なのです」


 二階堂はそこで一度言葉を切り、湯飲み茶碗を持って茶を飲んだ。再び光陽に視線を合わせて口を開く。


「話を藤堂さんに戻しましょう。なぜ藤堂さんの魂が沢村さんの肉体に入り込んでしまったのか……恐らく、肉体を襲ったあまりの衝撃に、魂が驚いたのでしょう。藤堂さんの魂は、一種のパニック状態になって外へ飛び出したのだと考えられます。そのあと、無意識にでも肉体に戻ろうとしたはずです。しかし、そこで問題が起きた。受け皿である肉体が二つあったから。結果から想像するに、その時の藤堂さんの魂には思考能力はなかったのでしょう。どちらが正解か見分けられなかったから、沢村さんの肉体へ入ってしまった。事故に遭った時、沢村さんの意識がはっきりしている状態であれば、藤堂さんの魂が入ってくることを防げたと思われます。しかし残念なことに、沢村さんも気を失っておられた。つまり、他人の魂が自由に入れる状態だったのです。――これが、わたしの出した答えです。細かいところでは誤りがあるかもしれませんが、大筋では合っているはずです」


 この話を聞いて、真由美はどう思っただろう。光陽は、二階堂の言うこと一々に頷いていた。とても説得力があると思った。この男は本物かもしれない。そう思った。


「それで、真由美の魂を元に戻すことは可能なんでしょうか?」

「もちろんです」

 二階堂の口調はとても力強く、自信に満ち溢れていた。

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