第十話 朗報

 再び集中治療室のあるフロアに着くと、先ほどの看護師が光陽みつひろを見つけて歩み寄ってきた。光陽は会釈して、再度ここにきた事情を説明する。

「私の婚約者の母親がきているので、話せないかなと思ってきました」

 事情を汲んでくれた看護師は、真由美の眠る部屋の前まで連れていってくれた。看護師がドアをノックすると、真由美の母親が顔を出した。

「あら、光陽さん」

「すみません。真由美さんの顔を見たくてきてしまいました。面会させてもらえないでしょうか?」

「ええ、私は構いませんけど」

 真由美の母親は看護師に顔を向ける。

「親族の方が許可されるのであれば構いませんよ。でも、まだ意識が戻らない状態なので、面会時間は十分でお願いします」

「ありがとうございます」

 光陽は頭を下げて集中治療室へと入った。


 ベッドの上の真由美は、人工呼吸器を付けられていた。ガラスの破片によってついたという顔の傷は、包帯とガーゼが貼られていて見えなかったが、とても痛々しかった。真由美への罪悪感がまた膨らんだ。

「真由美、光陽さんがきてくれたわよ」

 真由美の母親が、眠っている彼女の耳元で話す。

 そこに真由美はいないんです。真由美はこの身体の中にいます。そう言いたくなる気持ちをぐっと堪えた。

 真由美の肉体に触れば魂を戻せるかもしれない。しかし真由美の母親が見ている前だし、彼女の肉体はとても弱っている。触れるにしても、真由美の身体を動かさないようにする必要があった。

 光陽は両手で真由美の左手を握った。優しく、包み込むように。その状態で、真由美の名前を呼んだり、励ましの言葉をかけたりする。もちろん、母親の手前こうしているだけだ。光陽は真由美の声が聞こえてくるのを待った。


 手を握ってから一分ほど経って、真由美が話しかけてきた。

 ――ダメだわ。自分の肉体に戻るように意識してるんだけど、全然戻れる気がしない。視覚と聴覚以外の感覚がないからはっきりとは言えないけど、前兆みたいなものは何もないわ。もっと身体に密着したり、息を吹き込むようにキスをしたりしてほしいけど、さすがにこの状態じゃ無理ね。

 言葉は返せないので、大きく頷くことで光陽は返事をした。


 真由美の母親と目が合う。光陽は真由美の手を握ったまま、深く頭を下げた。

「お義母さん、すみません。真由美さんをこんな目に遭わせてしまって」

「光陽さんは悪くない。今はただ、真由美が目を覚ますことだけを祈ってほしい」

「はい……」

 真由美の母親は、ガーゼの上にそっと手を置く。

「この子が目を覚ますことを信じて、顔の傷を治せる病院を探してるの。目覚めても、すぐに手術はできないだろうけど、腕の良いお医者さんを見つけておくに越したことはないから。――ねえ光陽さん。顔の傷が完全には消えなくても、この子を愛してくれるでしょう?」

「もちろんです。どんな姿になっても、真由美は真由美ですから。俺が好きなのは、彼女自身です」

「そう言ってくれて嬉しい。この子も今の言葉を聞いてるはずよ。きっと喜んでるわ」

 面会時間の十分があっという間にやってきた。看護師に促されて、光陽は真由美の肉体が眠る部屋を去った。


 自分の病室に戻る。しばらくして母親は帰っていった。真由美との会話を再開させる。

 ――私の身体が集中治療室にあるあいだは、今日以上のことはできないわね。早く一般病棟に移してほしいわ。光陽が自由に出入りできるようになったら、もっと色々なことを試せるからね。

「数値自体は安定してきてるみたいだから、一般病棟に移される可能性はあると思うな」

 ――ねえ、さっき私のお母さんに言ったこと、本当に嬉しかった。

「本心だよ。俺は真由美の性格に惚れたんだ」

 ――外見はどうでもよかったの?

「いや、最初は容姿に惹かれた面もあるけど、そういうのはきっかけみたいなものだろう。言い方が難しいけど、内面の方が大事ってことだよ」

 ――ふふふ。ちょっと意地悪な訊き方しちゃったわね。言いたいことはわかるわよ。ありがとう。顔に傷がついたからっていう理由で婚約破棄されなくて良かった。

「俺がそんなこと言うわけないだろ!」

 室内に光陽の声が響いた。

 ――びっくりした。声が大きいよ。

「ごめん……」

 ――でもさ、そんな風に言ってくれるなら、少しくらい太っても大丈夫ってことよね?

「ああ。元に戻ったら、好きなだけ食べていいよ。十キロ太ろうが二十キロ太ろうが、真由美は真由美だ」

 ――いやいや、さすがにそこまでは増量しないよ。私のお気に入りの服全部着られなくなっちゃうし。

 そんな他愛のない会話が心地良かった。こんなことになる前は、常にこんな調子だったはずだが、それも遠い昔のことのように感じる。早く元のふたりに戻って、顔を合わせて話をしたかった。





 翌日。朗報が届く。

 真由美の人工呼吸器が外されたことを、真由美の母親から知らされた。安定した自発呼吸ができるようになって、脈拍等も正常になってきたので、明日には一般病棟に移されることになるようだった。

 真由美の魂が肉体に接近したことがプラスに働いたのだろうか。

 もしそれが事実なら、光陽の身体を真由美の肉体にもっと密着させれば、本当に魂を元に戻せるかもしれない。暗闇に一筋の光明が差した気分だった。

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