第九話 希望
病室に戻ると、
「強行突破は無理。面会できるかどうかは、真由美のお母さん次第だ」
――大丈夫。お母さんなら入っていいって言うわよ。
「そうだといいんだけど……」
――ねえ、私たちのようになってしまった事例って世の中にないのかな。
「それは俺も考えてた。もし同じ体験をした人間がいるのなら、戻す方法を知ってるかもしれないからな」
――オカルト的なものでも、信憑性が乏しいものでも構わないから、情報が欲しいわ。他の多くの人にとっては役に立たない情報でも、私たちには有意義なものかもしれないし。
「そうだな。ネットで調べてみるか」
――お願い。
光陽はサイドテーブルに置いていたスマホを手に取り、『人格転移』や『憑依』、『意識とは』、『魂とは』、『テレパシー』、『生死の境』等々、思いつく限りの言葉を検索していく。
まず『意識とは』や『魂とは』について検索してみる。どのサイトを見ても哲学的な言葉が並べられていて、それらを読み続けていると高尚な気分になったが、光陽たちの状況を好転させるような情報は載っていなかった。
次に『テレパシー』や『憑依』等の単語を検索してみる。
テレパシーは言葉を発せずに脳内でやりとりができる。憑依は動物霊や死霊に憑かれて意識を乗っ取られる。端的に言うとそんな感じだった。
憑依は生きている人間の霊、つまり生霊に憑かれることもあると書いているサイトもあって、光陽たちの置かれている状況に似ている部分もあるように見えた。
しかし厳密には違う。最大の違いは、憑依された人間は意識を乗っ取られる、というところにある。光陽はこうして考えることができているし、身体も自由に動かせる。真由美は視覚と聴覚はあるが、それ以外の感覚はなく、受動的な立場だ。これを憑依とは言わないだろう。
そんな風に、様々なサイトを見ていると、ある文章の中に『幽体離脱』という文字があった。言葉自体は聞いたことがある。確か、魂が肉体から離れる現象を指す言葉だったか……。早速検索してみると、数えきれないくらいのサイトがヒットした。
上から順にサイトを開いていき、書かれていることをじっくりと読んでいく。
最も興味を惹いたのは、≪幽体離脱は意識してできる≫という文章だった。その手の内容を掲載しているサイトは一つや二つではなかった。ざっと見ただけでも、十以上のサイトで懇切丁寧に幽体離脱のやり方を解説していた。
緊張が一気に高まる。
意識して魂を肉体から離せるというのならば、同じように意識すれば戻れるはず。光陽は図解入りの文章を凝視して読み続ける。
幽体離脱後の手順として、魂が外に出たあとはすぐに肉体から離れなければならないとあった。いつまでも肉体の側にいると、魂が引き戻されてしまうからというのがその理由。戻りたい場合は、肉体の側まで行けば自然に戻れると書かれてある。他のサイトでは、一定時間が経過すれば自然に肉体に戻れると書かれているものもあった。
「真由美に起こっている現象が、この幽体離脱と同じだとすれば、戻る方法は大まかに分けてこの二つみたいだな。一定の時間って、どのくらいのものなんだろう。真由美の魂が俺の中に入ってきてから、もう二十四時間以上経過してるよな……」
――ねえ、その幽体離脱のことだけど、どのサイトにも、他人の身体に入り込めるとまでは書いてないわよね。あくまでも、魂を外に出すやり方しか書かれていない。その辺はどうなのかしら?
確かに、真由美が言ったように、幽体離脱ができたからといって、他人の身体に入れるとまではどこにも書かれていなかった。今の光陽たちのように、ひとりの身体にふたつの魂が同居している状態は、幽体離脱という超常現象をもってしても不可能なことなのだろうか。
「真由美の魂が肉体から離れている状態だけを見れば、幽体離脱が起こっていると解釈していいと思うけど、俺の身体に入り込んでしまった現象は、また別の何かなのかもしれない。いずれにしても、真由美の肉体に近づいてみたいな。ここに書かれているとおり、案外すんなりと戻れるかもしれない」
――そうね。そうだといいな。
尿意を催したので、光陽は立ち上がった。
――どこに行くの?
「ん? ああ、トイレだよ」
――あぁ……トイレね。
「どうかしたの?」
――ううん。何でもない。
光陽はトイレに向かった。昨日、光陽にお大事にと声を掛けてきた車椅子の老人と擦れ違った。またお大事にと言われた。小便をし、洗面台で手を洗い、ハンカチで手を拭きながら鏡を見ている時、「あっ!」と光陽は思った。
真由美は、光陽の見たものは全て見えている。彼女は確かにそう言った。ということは、彼が用を足している時も、アレを見ているということになる。
「なあ、真由美、俺の見たものは全部見えてるんだよな?」
鏡の中の自分を見つめながら、光陽は訊ねた。
真由美が答えるまで、結構な間があった。
――……ええ。
「……俺のアレも、見てるんだよな?」
――だって、仕方がないじゃない。私は、目は瞑れないんだから。別に、悪気があって見てるわけじゃないのよ。
光陽の頭の中は物凄い早さで過去を振り返っていた。
目覚めてから、自分は何回トイレに足を運んだだろうか……大も小も合わせて……六回か。全部、見られていたのだ。この特殊な状況下で、そんなことを気にするのはひどく馬鹿げた気もしたが、恥ずかしいものは恥ずかしい。
光陽は、鏡の中の自分の目を見ることができなくなった。
――そんな、気にすることじゃないわよ。だって、ねえ、あなたの、アレ、初めて見たわけじゃないし……。人間は、というか動物はみんなそういうことするんだし……私だってするし……だから、別に、恥ずかしいことじゃないでしょう……。大丈夫?
「まあ、大丈夫だけど……。なあ、どうにかして、見ないようにはできないの?」
――私も努力したわよ。でも、無理なの。
「音も聞こえてるんだよな。俺が大の方をしてる時の音……」
――……だって、聞こえるんだもん。
しばらく、沈黙が続いた。
――女だったら、見ずにすることはできるんだけど……何とか、見ないようにしてできない?
「やろうと思えばできるけど、慣れるまでは尿を辺りに撒き散らすことになりそうだな……。あ、そうだ、女と同じように小の時も座ってすればいいんだ。何だ、簡単じゃないか……でも、音は防げないな」
――女子トイレだと、擬似音が出る機械が付いてるところもあるけど、男子トイレの方は付いてない?
「ここは付いてないな。ちなみに、会社の男子トイレも」
――じゃあ、水を流しながらするといいわ。それならほとんど聞こえないはず。
「水が勿体無いけど、今度からそうさせてもらうよ」
人が入ってきたので光陽はトイレを出た。
廊下を歩きながら光陽は小声で言った。
「コレが逆じゃなくてよかったな。俺の魂が真由美の中に入っていたらイヤだろう?」
――……うん。
病室のドアを開けると、母親が戻ってきていた。
「ああ、光陽。トイレにいってたの?」
「そうだよ」
「さっき、入口のところで真由美さんのお母さんに会ったよ。早く真由美さんが目覚めてくれればいいんだけど……」
真由美の母親がきている!
考えるより早く足が動いていた。
「ちょっと、光陽、どこにいくの?」
「真由美のところだよ。親族以外は面会できないから、頼んでみる」
――光陽。そんなに早足にならなくても大丈夫よ。身体が痛むでしょう。
そう言われたが、歩く速度は緩まなかった。
真由美の肉体に近づけば、あるいは肉体に触れば、真由美の魂は元に戻れるかもしれない。その思考が光陽を進ませていた。
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