第三話 暗転
この町の人間が全員集合しているのではないかと思うほど、ショッピングモールは人でごった返していた。スムーズに進めないし、落ち着いて商品を見られない。みんな新しくできた店が好きだなと思いながら
映画館で4DXの映画を観たり、ゲームコーナーでUFOキャッチャーをしたり、珍しい雑貨屋で商品を見たり、一通り遊んだあと、それぞれ好みの服屋を見つけて秋用の洋服を購入した。
それでもう帰るつもりだったが、真由美が玩具売り場に寄りたいと言ったので付き合うことにした。
広い玩具売り場には、子供たちの笑い声が響いていた。子供たちが手に持っている玩具の中には、光陽たちが勤める会社の物もあって、遊ぶ子供たちの姿を見ると自然と頬が緩んだ。
そんな子供たちを、真由美は遠巻きに眺めながら歩いていた。
どの玩具に興味を示し、どういう反応をしているか。真由美は子供たちの様子を見ている。光陽たちのような仕事をしている者にとって、玩具売り場は子供の反応を見るのに最適の場所と言えた。
あるテレビ番組で取り上げられたのがきっかけで、全国の子供たちに大人気になったキャラクターがある。
それは真由美が創作したもので、小学校に入学する前の子供たちに対して、小学校はこういうところですよ、こんなことをしますよ、という説明をするキャラクターだった。
本来なら、その一回だけで出番は終了するはずだったのだが、外見や説明の仕方に個性があったことから人気が出て、それから何度も表に出てくることになった。
今では、光陽たちの会社の名前を出せば、人々の頭に真っ先に浮かんでくるのは真由美の創作したキャラクターになっている。
その会社を代表するキャラクターを用いて新作の玩具を作るというのが、真由美に与えられた仕事となっている。真由美はリーダーの立場だ。当然プレッシャーはあるはずだが、光陽にはそれを感じ取ることはできなかった。常にプラス思考の彼女なら、きっと素晴らしい玩具のアイデアを捻り出すだろう。
玩具売り場を一周したところで真由美は足を止めた。
「付き合ってくれてありがとう。子供たちの笑顔を見てたら脳が強く刺激されたわ。一筋の光明が見えた感じ」
「それは良かった。――夕食、食べて帰る? 最近見つけたお洒落な店があるんだけど、どう?」
「私のために探してくれたの?」
「もちろん。結婚しても、そういうのは続けていこうと思ってるよ。って、まだ夫婦じゃないけどさ」
「嬉しい。そのお店に連れていって」
「了解」
光陽は真由美の自宅に向かって車を走らせていた。太陽はすでに沈み、暗闇が世界を包んでいた。
長いあいだ続いていた会話が一旦途切れた車内では、真由美が流れゆく夜景を静かに眺めていた。
その目は、少し虚ろだ。フランス料理店で飲んだワインが回っているのだろう。
「あぁ、やっぱりちょっと飲みすぎたみたい。瞼が重くなってきちゃった。私だけ飲んでごめんね」
「いいよ。俺は帰ってからたっぷり飲むから。それにしても、あのくらいの量で酔うなんて、酒に弱くなったんじゃないか?」
「ううん……どうかな……。というか、元々、お酒、強くないし……」
そう言って真由美は笑ったが、目はほとんど閉じていた。
「眠ってていいよ。家に着くまでまだ二十分くらいあるし。着いたら、お姫様抱っこして部屋まで運ぶからさ」
「変なことしない?」
「二十分後の俺に訊いてくれ」
不意に前の車のテールランプが強く光った。真っ赤なテールランプを見た瞬間に、光陽もブレーキペダルを踏んでいた。それと同時に、光陽は反射的に左腕を真由美の前に突き出していた。シートベルトをしていたので、ふたりとも大事には至らなかった。
「大丈夫か?」
真由美は眠気が吹っ飛んだのか、目を見開いていた。
「ああ、びっくりした。うん、大丈夫。ありがとう」
視線を前方に戻す。どうやら子供が飛び出してきたみたいだった。生活道路を走っていたので、そんなにスピードを出していなかったことが幸いした。
子供は転がっていたボールを拾い上げると、逃げるように走り去っていった。怪我はないようだ。車はまた走り始める。
生活道路を抜けると、片側三車線のバイパスに出る。土曜日の夜。当然のように道路は混んでいる。自分の足で走った方が速いのでは、というくらいのスピードで光陽たちの乗った車は進んでいた。
遠くにある信号が赤に変わり、前方の車が順々に止まっていく。光陽の番がきて、ブレーキペダルを踏んだ。
ふと視線を感じた。
隣を見る。
真由美がじっと光陽を見つめていた。
「どうしたの?」
「さっき急ブレーキした時、手を出して守ってくれたね」
「ああ、さっきのね。それがどうかしたの?」
「格好良かった」
カッコいいのは前からだよ。
そんな軽口を叩こうかと思ったが、真由美の雰囲気がいつもと違ったので、光陽は違う言葉を口にする。
「どうしたの?」
そう訊ねたが、真由美は答えない。光陽を見つめたまま。そのままの格好で、真由美が光陽の膝の上に手を置いた。
「何?」
「キスして」
真由美は目を瞑って唇を閉じた。
光陽は隣の車に目をやる。家族連れが乗っていて、楽しそうに話している。こちらを見ることはない。
早くしてと、真由美が光陽の膝を二度叩いた。
光陽は真由美の肩に手をのせて、唇を重ねる。
唇を離すと、真由美はゆっくりと目を開けた。
「ありがとう」
キスしてお礼を言われる男もそういないだろうな、と光陽は思った。
やはり、今夜の真由美はいつもとは少し違う。酔っているからだろうか。
ふと、どこからかサイレンが聴こえてきた。パトカーのサイレンだ。ただし音は小さい。かなり遠くの方を走っているようだ。
前方の車が動き出したので、光陽もその流れに乗った。
走り始めてすぐ、真由美が話しかけてくる。
「ねえ、あなたの車を運転している時の顔が二番目に好きな顔だって言ったこと、覚えてる?」
「今日言われたことだからな。そのくらいの記憶力はあるよ。あっ、その話を今するってことは、一番好きな顔になったのか? いつだ? さっきのキスした時の顔か?」
「キスする時は目を瞑ってるから、顔は見えないわよ」
「それはそうだな。じゃあ、いったいどの時の顔?」
その時になったら教えてあげる、と言って真由美はまた目を瞑った。
今教えてくれないのなら、なぜ今その話を持ち出したのだろうと光陽は思った。相当酔っているのかもしれない。
二、三分前までは小さかったパトカーのサイレン音が、どんどん大きくなっていることに気づいた。こちらに近づいてきているようだ。
耳を澄ます。
……左側の方から近づいてきているように聞こえる。
二〇〇メートルほど先にある交差点が見えてきた。信号は青。その交差点の左の方からサイレン音は近づいてきているようだった。
光陽の車は、三車線の真ん中を走っている。
前を走る車は止まることなくどんどん交差点を突っ切っていく。サイレン音は近づいてきているが、すぐにはやってこない。そういう判断なのだろう。確かに、直前まできているような聞こえ方ではなかった。
まだ余裕はある。
光陽も大丈夫だと判断し、左側を注視しながら、交差点に進入しようとした。
それは一瞬だった。
赤信号のはずの左側から物凄いスピードで車が突っ込んでくるのが視界に入った。
光陽は真由美を守ろうと腕を伸ばしたが、そこで意識は途切れた。
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