第二話 幸福なふたり2

 家を出る頃には、虹は消えていた。


 光陽みつひろは助手席に真由美を乗せて、愛車の四駆を走らせていた。向かっている先は、二ヵ月半後に結婚式を挙げるレストラン。

 最初、ホテルと教会のどちらで式を挙げようかと話し合っていたのだが、テレビで取り上げられていたハウスウエディングに惹かれて、海が見渡せるレストランで挙式することを決めた。


 赤信号で停まる。視線を感じたので顔を横に向けると、真由美がじっと見つめていた。


「何?」

「二番目に好きなのよ」

「何が?」

「あなたの運転してる横顔」


 光陽は照れた笑みを浮かべた。


「そんなの、初めて聞いたな」

「だって、初めて言ったもん」

「え、じゃあ、俺が何をしてる時が一番好きな顔なの?」

「それは秘密」

「秘密にするようなことなのか?」

「言うのが恥ずかしいのよ」

「……ああ、そういうことか」

 光陽がイヤらしい笑みをつくると、真由美は首を横に振った。

「残念だけど、今、光陽が考えていることはハズレよ。そっち系じゃないの」


 シグナルが青に変わった。光陽は再びアクセルペダルを踏む。


「なあんだ。そっち系じゃないのか。じゃあ、どんな顔だろうな……」

「今度その顔をしたら、その時に教えてあげる」

 真由美は悪戯っぽい笑みを浮かべた。


 光陽たちの乗った車は、海岸沿いの県道に出た。開けた窓から、潮の匂いが車内に入り込んでくる。この匂いを嗅ぐと、心が落ち着く。

 やがて前方にレストランが見えてきた。外観は真っ白で、白以外の色が一切存在しない。光陽の脳裏に、純白のウエディングドレスを着た真由美の姿が浮かんだ。


 駐車場に車を停めてレストランに入る。土曜日ということもあって、席は八割ほど埋まっている。受付で名前を名乗り待っていると、すぐに支配人が現れて奥の席に通された。


 支配人は四十歳前後に見える女性。これまで何度も顔を合わせていて、常にニコニコしているのだが、その瞳は意思の強さを感じさせる。仕事ができる人なのだろうな。そう思わせるだけの目力があった。


 照明の色。店内に流す音楽。列席者に出す料理。

 光陽と真由美は、最高の結婚式にするために、一つずつ支配人に伝えていく。要望を全て伝え終えると、支配人は光陽たちの仕事について訊ねてきた。


「沢村さんたちは、今までに一緒に何かを作られたことはあるのですか?」

 

 そう訊ねられて、光陽は過去を振り返った。


「一緒にですか? そうですね……新人の頃は同じチームで仕事をしていましたけど、商品になるような物を作ったことはないですね。それ以降も、一緒に何かを作ったということはないです」

 横を見ると、真由美も頷いていた。


 光陽と真由美は、幼児から高校生までを対象とした本や玩具を販売する会社に勤めている。光陽は小学校高学年を対象とした部署、真由美は小学校低学年を対象とした部署で働いている。


 ふたりは同期入社だったが、光陽の心が真由美に惹かれるまでに時間は掛からなかった。黒く光沢のある長い髪、吸い込まれそうな大きな瞳、耳に心地良い声音。男はもちろん、女性でも振り返る人がいるほど、真由美は綺麗だった。彼女と目が合う度に、光陽は心を矢で射抜かれたような感覚になっていた。


 もちろん外見だけではなく、内面にも惹かれていた。思い遣りがあって、明るい性格。真由美は光陽よりも高学歴だが、それを鼻にかけることもないし、何より話がよく合った。まるで昔からの友達のように。


 光陽の返答を聞いて、支配人の女性は少し残念そうな表情になった。

「そうですか。ご一緒に作られた物があれば、スクリーンに映して皆様にご紹介しようと思ったのですが……」


 そこまで支配人が話したところで、真由美が手を叩いた。


「あ、一緒に作った物、一つだけあったわ!」

「え、あったっけ?」

「ほら、カンガルーの目覚まし時計」

「ああ……アレか。でも、あれは試作品じゃないか」

「そうだけど、それでも、ふたりだけで作った物には変わりないじゃない」

「すみません。その、カンガルーの目覚まし時計というのは、どんな物なのですか?」

「私たちの新人時代に、研修最後の課題として、二人一組で三歳児向けの玩具を作ることになったんです。その時に、私と光陽で一緒に作ったのが、カンガルーの目覚まし時計でした。指定した時間がくると、母親のお腹の袋に入っている子供のカンガルーが顔を出し入れするという仕掛けでした」

「制作費が五千円だったということを考えると、出来の良い物は作れたと思います。でも、その時の上司に『発想は良いけど、三歳児に目覚まし時計は早いだろう』って指摘されました。言われてみて、確かにそうだなって、ふたりで苦笑しました」


 当時と同じように光陽と真由美は笑った。


「それは、とても興味を惹かれるエピソードですね。そのカンガルーの目覚まし時計は、まだお手元にあるのですか?」

「はい。私の家に置いてあります」

 へえ、と光陽は思った。それは知らなかった。

「とても良いエピソードだと思うので、おふたりの出会いを振り返るナレーションを入れている時に、その作品をスクリーンに映し出したいと思うのですが、いかがでしょうか?」

 光陽と真由美は顔を見合わせて、同時に頷いた。

「わかりました。今度持ってきます」

「笑いも取りたいので、当日はその上司の一言も紹介してください」


 それから更に三十分ほど支配人と話をしたあと、レストランで昼食を取って外に出た。

 駐車している車の向こう側には、海が見えている。


「真由美、寄っていかないか?」


 光陽は海を指差す。

 真由美は海を見つめたまま頷いた。


 駐車場を通り抜け、石段を下りて砂浜に立つ。そのまま波打ち際まで歩いていき、湿った砂と乾いた砂の境界で足を止めた。


 真由美はしゃがんで貝殻を手に取った。そのまま耳に当てる。


「何か聞こえる?」

 光陽の問いに、真由美は目を瞑ったまま首肯した。


「何が聞こえるの?」

「光陽の声」

 と、真由美は真顔のまま言った。


 光陽も腰を下ろして貝殻を拾い、耳に当てた。


「何か聞こえる?」

 今度は真由美が訊ねてくる。


「ああ、聞こえるよ」

「何が聞こえるの?」

「真由美の声」

「真似しないでよ」


 ふたりが笑い合っていると、足元から五センチほど前で止まっていた波が、不意に勢いを増してふたりの靴にまで届いた。真由美の白いハイヒールと光陽の青いスニーカーの先端が少し濡れた。

 光陽は立ち上がり、海を眺める。


「せっかく海が見えるところで挙式するんだから、この海で何かできないかなぁって思案してたんだけど、大したアイデアは浮かんでこなかったな」

「大したアイデアじゃないものには、どんなものがあるの?」

「たとえば、俺が水上バイクを運転して、ウエディングドレス姿の真由美を人間凧にして飛ばしたりとか、海の中に沈めた結婚指輪をふたりで探したりとか、そういうの」

「……あなたがそれを大したアイデアじゃないって言ってくれる人で良かった」

「さて、そろそろ行こうか」


 ほっとしたような表情の真由美と手を繋いで、ふたりは車へと戻った。

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