第117話 ドラゴン

「――っ!?」


書類の束に目を通していると、突然背筋に寒気が走った。

俺は椅子から立ち上がり、雨樋を開けて外へと視線をやる。


「もう……か」


この窓は北向きに付けられていた。

いつでも北を――深淵の洞窟の様子を執務室から一望できる様に。

そしてその役割は今日果たされた。


遠方にある深淵の洞窟からは、月明りに向かって真っすぐ光が立ち昇り。

その中を一人の天使が昇って行くのが微かに見えた。

間違いなくあれが魔王だろう。

その圧倒的威圧感からか、恐怖で全身が震える。


「ふぅーーー」


大きく息を吸い込み、心を落ち着かせた。

俺はこの国の皇帝だ。

震えている場合ではない。


「警戒態勢だ!急げ!」


「はっ!」


執務室の扉を乱暴に開け、控えている兵士達に命じる。

俺の言葉を聞いた兵士達が顔色を変えて散って行く。


ここは魔王封印のお膝元。

復活すれば、真っ先にこの帝都が狙われるのは目に見えている。

そのためルグラント帝国では、いつ魔王が復活してもいい様常に備えを用意してあった。


大音量の警鐘が鳴り響く。

錬金術で作成された魔法具マジックアイテムによる物だ。

警鐘はここ帝都だけではなく、帝国内の全てに同時に鳴り響く様になっている。


警鐘の種類は3種類あり。

警戒警報、危険警報、そして緊急警報の3つだ。

今回鳴らされているのは、言うまでもなく最も危険度の高い事を知らせる緊急警報である。


――窓から空を見上げると、月夜に黒い染みが広がっていくのが見えた。


そこから見た事も無い化け物達が姿を現し、この帝都の空を覆い尽くしていく。

下手をすれば、他の街や村も同じ状態の可能性がある。

間違いなくこれは、帝国始まって以来最大級の緊急事態だ。


「よし!」


私は宝物庫にある白銀の鎧と、パーマソーに用意させた聖剣を身に着ける。

そこに大臣が飛び込んできた。


「へへへ、陛下!」


「騒々しいぞ。お前らはさっさと地下へと避難しろ」


彼は優秀な男ではあるが、それは政務についての話だけだ。

事戦闘に関しては、そこらで悪さをしている悪ガキ以下である。

居ても邪魔にしかならん。


「陛下はどうされるのですか!?」


「知れておろう。この剣で帝都に群がる痴れ者どもを切って捨てる」


住民達にも緊急時の避難場所や経路は徹底してあるが、それでも現状を考えると万全には程遠い。

少しでも多くの民を守る為、俺が剣を振るう必要がある。


「どうかお気を付けて」


大臣は一礼し、去って行く。

まあ気を付け様にも、どうしようもないひっ迫した状況だ。

もし魔王が乗り込んできたら、ほぼ間違いなく帝国は滅びるだろう。


「あのカオスという男が異変に気付き、魔王を倒す事を期待するしかない……か」


我ながら希望的かつ能天気な考えだ。

だが希望が無ければ人は戦えない。

今はとにかく、希望を信じてやれる事をするとしよう。


俺は兵士達を引き連れ、襲撃者の対応に当たる。



★☆★☆★☆★


「ふむ……」


主の手によって転移させられた人間達の街は、既に戦場と化していた。

放っておけば、恐らく半日とせず壊滅してしまうだろう。

正直人間に特段の思い入れはないが、まあ主の命とあれば従うしかない。


「しかし、厄介だな」


魔物の強さはそれ程でもなかった。

数が幾ら集まろうとも、自分の敵では無いだろう。

問題はその多くが街に降り立ってしまっている事だ。


自身の巨体で街中を暴れ周れば、人間まで巻き込んでしまう事になる。

街を守れと言われた私が人間を手にかけるのは少々不味い。


「取り敢えず上空の物だけでも蹴散らすか」


大きく息を吸い込み、力を込めた必殺のブレスを雑魚共へと放つ。

月夜が真っ赤にそまり。

私の吐き出した炎は空飛ぶ魔物達を一瞬で蒸発させる。


「鬱陶しいな」


十数度ブレスを吐きかけた所で思わずつぶやいた。

相手は弱いが兎に角数が多い。

しかも空に広がる染みの様な物から次から次へと湧き続けてくる。


正直、キリがない。


「だがまあ、一応効果はある様だ」


地上を見ると、魔物の数が明らかに先程よりも減っていた。

上空からの追加が途絶えた事で、人間達が反撃を加え数を減らして行っているのだろう。


「地味に続けるとするか」


魔物叩きは確かにキリがない。

だが私の受けた命は人間の街を守る事だ。

相手を全滅させる事ではない。

そっちは主に任せ、私は与えられた使命として時間稼ぎに努めるとする。


「ん?」


地上から何かが上がって来る。

一瞬魔物かとも思ったが、違う。

この気配は――


「竜人か」


竜人。

それは竜と人の血を引く混血種。

一応、親戚に当たるとも言えなくもない。


「助太刀感謝する。私はこの国の皇帝、牙竜ガリュウという物だ。名を訪ねてもよいか?」


「名などない。人は私の事を死の山のドラゴンと呼ぶがな」


「死の山の……成程。ガリア王国の……」


白銀の鎧を身に着けた男は口元に手をやり、考え込む。

私はそれを無視して、染みから現れた魔物達へとブレスを浴びせかけた。


「素晴らしい威力だ」


男が恍惚の表情で熱い視線を送って来る。


「その力で魔王を倒す事は――「不可能だ」」


大方私に魔王討伐を頼むつもりだったのだろうが、私は言葉を遮って無理だと伝える。

残念ながら私の力では、あの神にも等しき強大な力を持つ魔王には到底かなわない。

それ所か戦いにすらならないだろう。


「そうか」


「だが安心しろ。今我が主、カオスが魔王と相対している。かの御方ならきっと何とかしてくれるだろう」


正直、これは希望的観測に近い。

カオスは出鱈目な強さではあるが、魔王の強さはそれを上回る。

しかもカオスは倒すのではなく、手中に収める事をまだ諦めていない様子だった。

そのため勝機は限りなく0に近いと言っていい。


「あの男が……」


だが私は奴の勝利に……そのあくなき渇望に賭けた。


だから信じる。

必ずやカオスが、魔王を掌握して見せると。


「まあ魔王の事は彼に任せるとして。時に、そなたには番はいるか?」


「は?」


「特におらぬとと言うのなら、余の妻にならんか?」


「馬鹿か貴様は?」


「余は本気だ。其方の様な美しい竜を見るのは初めてだ。是非我が妃として迎え入れたい」


開いた口が塞がらないとはこの事だ。

こんな世界の命運に際している状況でドラゴンを口説くなどと、正気を疑う。


「残念ながら私はカオスに仕える身だ。貴様の妃にはなれん」


尻尾で跳ね飛ばしてやろうとも持ったが、人間を守れと言われている以上そういう訳にも行かない。

取り敢えず適当な理由で断りを入れておいた。


「そうか、ならば後程彼と交渉するとしよう。まあ今は余も仕事があるのでここで失礼させて貰う。ではまた後で」


そういうと、男は地上へと降りていく。

彼が本気でカオスと交渉し、私が払い下げられる事を想像するとぞっとする。


まあ流石にそれは無いか…………


ないよね?

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