第114話 希望

「――っ!?」


男は嫌な予感を本能的に感じ、ベッドから跳ね起きる。

そして雨樋を開けて夜空を見上げ、そこに広がる光景に目を見開いた。


空一面に黒い染みの様な物が広がり。

そこから白い羽根を持った不気味な黒い生き物が、ぞろぞろと姿を現してくるのが見えたからだ。


「アレサ起きろ!」


明らかな緊急事態に、男はベッドで寝ていた女性の体を揺すって覚醒を促した。


「なによぉ……アレクったら、まだ足りないの」


アレサが上半身を起こすと、被っていたシーツがはらりと流れ落ち胸元が顕わになる。

どうやら彼女は裸の様だ。


まあちっぱいなのでどうでもいいが。


「馬鹿な事言ってる場合じゃない!やばいぞ、早く起きて着替えろ!」


アレクの必死の形相から、冗談ではないと判断したアレサも飛び起き、手早く衣類を身に着ける。


流石は常に迅速な動きが要求される冒険者。

しかもS級チームの人間だけはある。

服を着るのに10秒と掛かっていない。


「皆を叩き起こすぞ」


彼らが寝泊まりしているのは、疾風怒濤が用意している共有の宿泊所だ。

アレク達は手分けして残りの3人を起こし、冒険者ギルドへと急いで向かう。

上空の魔物達を相手に、バラバラに対処するのは得策ではないと判断したからだ。


「紅蓮斬!」


宿泊所を出た時点で魔物達は直ぐ傍まで迫っており、アレク達は魔物を倒しながら進む。


「しっ!」


シーフであるジャンが、前方の魔物に弓を3連打。

受けた魔物は空中から落下して地面に転がる。

だが死んではいない。


「ふんっ!」


起き上ろうとする魔物に、戦闘を行く重戦士のウォーテスがハルバートの斧部分を叩きつけて止めを刺した。


「上級モンスターぐらいだな」


「ああ、だが数が多すぎる」


周囲で人々が襲われ、そこかしこから絶叫と悲鳴が聞こえて来る。


「エレメントファイヤー!」


アレサの魔法が魔物を焼き、襲われていた人物を救う。

だが次の瞬間、別の魔物に捕まり喉笛を噛み千切られてしまった。


「くそったれが!紅蓮斬!」


アレクは紅蓮斬を連打するが、倒しても倒しても魔物は湧いてくる。

周囲には魔物と、それに襲われた人々の死体が転がり、まるで地獄絵図となっていた。


「先輩!」


アレクが声に振り返ると、傷だらけでボロボロの後輩――カーズの姿が目に入る。

それに数人の冒険者。

アレクの所属する疾風怒濤と親交の深い、疾風迅雷の面々だ。

彼らは魔物に襲われながらも、それをなんとか凌いでアレク達へと駆け寄った。


「無事だったか!」


アレクは紅蓮斬で後輩たちのサポートをしつつ、合流する。

そしてお互いの無事を喜び合う。

勿論ハグしている余裕などはないが。


「なんなんですかこいつら!?」


「分からん!今はとにかく生き延びるために戦うぞ!」


襲ってくる魔物は見た事も無い相手で、その数も尋常ではない。

その場にいるパーティーメンバーの大半は、自分達の死を半ば覚悟していた。

だがそれでも戦いを止めないのは、彼らが冒険者だからだ。


冒険者は最後まで生きる事を決して諦めない。

最後の最後まで戦い続ける。


――彼らと魔物達の激戦は終わる事なく続く。


「ぐぅっ!」


魔物の一体がアレクの紅蓮斬を躱し、その鋭い爪で彼の肩を切り裂いた。

何とか反撃の一太刀でその魔物を斬り捨てるが、その傷口は深い。

止め処なく血が溢れ、アレクは疲労と痛みからその場に膝を付いた。


「アレク!」


その横にアレサが駆けつける。

彼女は怪我こそ負っていないが、その疲労の色は濃かった。

もはや真面に魔法を扱う事が出来ない様な状態だ。


それは彼女だけではない。

周りの者達の疲労はピークに達している。

決壊するのは時間の問題だった。


「ここ迄みたいね」


「アレサ……」


「短い間だったけど、私……あなたの傍に居られて幸せだったわ」


「俺もだよ。君といられて幸せだった」


アレクが酷い振られ方をして自暴自棄になった際、アレサはそんな彼を必死に支えた。

そんな彼女の思いに応え、二人は両想いとなって愛し合う様になる。

だがそれもごく短い期間でしかなかった。


彼らに未来はない。

ここで彼らは――


「銀妖剣!」


月夜に、銀色に輝く無数の刃が躍る。

それはアレク達を取り巻く魔物達の首を正確に跳ね飛ばし、刃が収束した場所に銀髪の美しい女性が姿を現した。


「乱舞の太刀……にん」


「ポーチさん!」


アレクは目を見開く。


その強さに。

その美しさに。

そして、自分を救ってくれた奇跡に。


「ファイアブレスだべ!」


突如業火が渦巻き、天が赤く染まる。

まるでそれは全てを焼き尽くす終焉の炎であるかの様に、天に羽搏く翼ある魔物達を焼き尽くしていく。


「鬼ロリさん!」


カーズが半べそをかきながら、翼をもつゴスロリ少女に歓喜の声を上げる。

彼らは以前ベーアに救われた事があり、それ以来彼女の事を鬼ロリと呼んでいた。

もっとも、今の一撃を見てしまった以上、次の渾名は更に厳つい物へと進化する事は疑いようがない。


「こらー!妾達を置いていくなー!」


「お怪我は大丈夫ですか?」


二匹の小型の竜に跨り、少女と優し気な女性が続いて姿を現した。

女性はドラゴンから降りるとアレクに駆け寄り、回復魔法を詠唱する。


「む!回復なら妾も得意じゃぞ!」


それに続いて少女もドラゴンから飛び降りて怪我人の回復を始め出した。


「他の所を殲滅してくるべ!ポーチはそいつらの面倒を頼むべ!」


そう言うとベーアは翼を羽搏かせ、飛んで行ってしまった。


「俺達は大丈夫です。回復のお陰で楽になりましたし、この辺りにはもうそれ程魔物もいないみたいですから、ポーチさんもどうか行ってください」


「大丈夫でござるか?」


「大丈夫ですよ。惚れた女性――っと、そうじゃなくって!俺達は冒険者ですから!」


アレクは自身の失言を咄嗟に大声で誤魔化す。

勿論そんな物で誤魔化される訳もなく。


「アレク……後でじっくり話し合いましょうね」


「う……」


アレサの額には、ぴくぴくと動く青筋が浮かんでいた。

この地獄を生き延びても、この後彼には更なる地獄が待っている事だろう。


「分かったで御座る。達者で!」


「あ、待つのじゃ!妾達を置いていくな!」


ポーチが駆けだし。

それを追う様に回復をかけ終えた二人がドラゴンに跨ってその後を追う。


「さて、それじゃ気合入れ直すか」


魔物は全て消え去った訳ではない。

まだまだ大量に街中を我が物顔で闊歩している。

ベーア達が始末しきるのにも、それなりの時間がかかるだろう。


「俺達は生き残りの救助に当たるぞ!一人でも多く救うんだ!」


アレクが激を飛ばす。

希望を見出したその瞳には生への活力が溢れ、その立ち姿は雄々しい。


但し、その視線は気まずさから決して恋人アレサに向けられる事は無かった。

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