第106話 横乳

飛行魔法を使ってゆっくりと穴の中を降りて行くと、光がどんどんと大きくなってくる。

縦穴の底。

そこは円形の空間となっていた。


「人間か?」


中心部分には、光る球体が浮いている。

その中に人影が見えた。

背には白い翼が生えており、膝を抱え球体の中で丸まっている姿勢だ。


「まるで赤ん坊みたいだな」


実際に赤ん坊が入っている訳ではない。

体格からして、成人付近だろう。

只、丸まって光の球の中にいる姿が、羊水の中の赤ん坊を想起させたのでそう思っただけだ。


周囲を見渡すが、他に繋がる通路なんかは見当たらなかった。

つまりここが最下層。

ゴールという事になる。


「て事は、こいつが魔王か?」


てっきり自分と同じような化け物を想像していたのだが、実際はその真逆。

まるで天使の様な姿をしている。


「どれ、顔でも拝んでやるか」


横に回り込んで、その俯いた顔を覗き込む。

その際、光の球には近づきすぎない様にしておく。

下手に刺激して、万一魔王が目覚めたら厄介だからな。


「――っ!?」


その横顔を見て、俺は思わず目を見開く。


「……おいおい、冗談だろ」


我が目を疑わざるを得ない。

何故なら、それは俺のよく知る顔だったからだ。


小さい頃から、いつも顔を突き合わせて生きて来た。

ある程度歳がいくと少々疎遠気味になってはいたが、そんな相手を俺が見間違えるはずもない。


そう、その顔は――


玲音レオン……」


俺の幼馴染だった女と瓜二つだった。


「いや、違うな」


だが、これは玲音ではない。

彼女であるはずがなかった。


何故なら――


その胸元が大きく膨らんでいたからだ。


「玲音は絶壁だった」


だが蹲る天使の胸元には、押しつぶされた双丘が見て取れる。

「あら!玲音ちゃんの胸はお父さん似ねぇ!」と、近所のおばちゃんに揶揄われていた彼女の胸がこんな大きい筈がない。


つまり、こいつは似ていても玲音じゃ――


その時気付く。

天使の肩にある小さな痣を。


玲音の肩には、小さな時から特徴的な痣があった。

そしてそれと全く同じ痣が、蹲る天使の肩にも……


ただの偶然とは思えない。

同じ顔に同じ場所にある痣。

此処までくれば、もう同一人物と考えてしまっていいだろう。


つまりこの天使――魔王の正体は玲音だったという事になる。


だが重要なのはそこではない。


「まさか玲音、お前――」


玲音の胸元を見ながらある考えが頭を過る。


豊胸レベルアッパー


俺が生前何度か彼女に進め、その度にぶん殴られてきた禁断の果実。

どうやら彼女は、遂に踏み切ってくれた様だ。

俺はその勇気に賞賛を送ろうと思う。


「ブラボー!!」


全力で手を叩く。


世の中には豊胸を揶揄する者もいる。

だが胸に貴賤はない。

小さいのは論外だが、大きい胸なら天然だろうと養殖だろうと俺はすべからく愛する――だからこそ、豊胸薬サルベイションの製作にも迷わず着手したのだ。


そう、重要なのは大きい事だ。

あと顔。

それ以外は些細な事でしかない。


「遂に巨乳の良さに気づいてくれたんだな。俺は嬉しいよ」


俺が感激して潰れた横乳を堪能していると、玲音の首が動いた。

驚いて視線を少し上にあげると、さっきまで閉じていた瞼が開き、その黒い瞳が俺をじっと見つめていた。


「よお、元気にしてたか?随分でっかくなったじゃねぇか。オラワクワクすっぞ」


片手を軽く上げて、久しぶりの幼馴染にフレンドリーに挨拶する。

だが返事は帰ってこない。

聞こえていないのか、あるいは見えていない――いや、見えてはいる様だ。


玲音は膝を抱えていた手を伸ばし、指を広げてその掌を俺に向ける。

俺は少し横にずれてみた。

その動きに合わせて彼女の体は緩やかに旋回し、俺に向かって掌を見せ続ける。


「玲音……」


俺は横に動く。

それに合わせて玲音も動く。


彼女が何を思って手を伸ばしているのかは分からない。

ひょっとして救いを求めているのだろうか?

だが乳神様は、魔王は経験値を求める本能だけで動いていると言っていた。


……ひょっとしたら彼女は、俺を狩ってレベルを上げようとしているのかもしれない。


そんな事を考えながら、俺は横に少し素早く動く。

だが玲音は此方の動きにぴったりと合わせて旋回してくる。


「それはそれで、お前らしいか」


アイツはレベル上げが、やり込みが大好きだった。

魔王の話を聞いた時、馬鹿な奴もいる物だと思ったが、玲音なら納得だ。


俺は更にスピードを上げた。

最早全力疾走に近い速度で、光の球の周りをぐるぐると旋回する。

だが玲音もまた、駒の様にくるくる回って俺の視界を掌で防ぐ。


「もう元には戻れないのか?玲音。俺達は戦うしかないのか?」


走っても走っても、玲音の掌は吸い付くかの様に俺に向けられたままだ。

もう少し、ほんの少しだというのに。

後僅かが届かない。


「くそがっ!!」


玲音が右手を俺に伸ばした事で、腕に押し隠されていた右乳は開放されていた。

なので、後ほんの少し横に回り込めればコンニチハ出来る所まで来ている。


そう、後ほんの少し。

掌の角度をずらす事さえできれば……


「俺を!!舐めるな!!!」


俺は力を開放し、真の姿を解き放つ。

今の俺は音速すら遥かに超える。

踏み締める足は大地を砕き、引き裂かれた空気は荒れ狂う暴風の様に暴れまわった。


「カオスダーッシュ!!」


俺は自らの勝利を確信する。

だが魔王はその更に上を行く。


「馬鹿な!このスピードについてくるだと!?」


この後、自らの限界を超えるべく24時間程頑張ってみたが願い届かず。

無念の敗退となる。


「魔王……恐るべし」


魔王の恐ろしさを。

その一端を。

俺はこの一件で思い知らされる。

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