第39話 暗殺

「やっと捕えおったか」


枯れ木の様に草臥くたびれた老人が深く椅子に腰かけ、疲れたきったしゃがれ声で呟いた。


室内は広く、しっかりと清掃が行き届いているのか塵一つ落ちてはいない。

そこに置かれている調度品に華美さはなかったが、見る者が見れば、その作りから全てが一級品である事に気づいたであろう。


そんな室内において、唯一大仰な意匠を施されているのが老人の腰掛ける椅子だった。

その背もたれ部分には、炎とそこから生まれる鳥の姿が彫り込まれている。


この紋章はガリア王国、フェニックス家の家紋だ。

国の始まりから王家に仕え、その権勢は国内随一を誇る名門である。

ガリア国民でこの名を知らぬ者はいないだろう。


老人の名はサーダル・フェニックス。

名門フェニックス家の当主である。


その顔には深い皺が刻み込まれ、頭部はまばらに残った僅かな白髪を除き、綺麗に禿げあがっていた。

表情に精彩はなく、顔色は土気色にくすみ、その表情は疲れきっている。


恐らく老人の命はもう長くはもたない。

そう思わせる程に、サーダル・フェニックスはいに蝕まれていた。


だがそれもその筈。

彼は既に齢90を軽く超え、再来年には100に届く年月を生きて来たのだから。


「これでわしは……」


彼は16で家を継いで以降、長きに渡り名門フェニックス家を党首として率いてきた。

若かりし頃には精力的に国事に関わってきた彼も、80を迎えた辺りから急速に陰りが見え始める。

やがて90を迎える頃には足腰が弱って杖無しでは歩けなくなり、国の大事でもない限り、彼が屋敷から外に出る事はなくなった。


かつては国や家の為、命すらかける覚悟を持って政治に臨んでいた男だった。

だが目の前に迫る死期に恐怖し、老いた彼は、いつしか自らの事ばかり考える様になっていく。


只々、少しでも長く生きたい。

それが彼の今の願いだ。


だが現実は残酷だった。

彼の願いとは裏腹に、残された時間はどんどんと先細りしていく。

どれ程権力を持とうとも、時間の流れとは平等であり残酷なのだ。


――このまま朽ち果てるしかないのか?


そう半分諦めたかけた頃、そんな彼に奇跡の報がもたらされる。

ある若者が、森でエルフの集落を見つけたという知らせだ。


只のエルフの集落であったなら、サーダルは大して気にも留めなかっただろう。

エルフの心臓が長寿の秘薬だという噂が出鱈目だという事を、彼は知っていたからだ。


――だがその中には、ハイエルフの少女の情報が含まれていた。


彼は自らの幸運に狂喜する。

これで生き延びられると。


何故ならただのエルフとは違い、高貴な存在であるハイエルフの心臓には本当に長寿の効果があるからだ。


早速サーダルは私兵を投入し、ハイエルフの略取を試みる。

その行動はエルフや幼いハイエルフへの慈悲はなく、只々己の欲望を満たすべく醜い物だった。


だが彼の思惑は上手くは進まなかった。

エルフは人間より身体能力に秀でた亜人であり、彼らのホームである森においては、フェニックス家の優秀な私兵であっても攻略は容易い事では無かったからだ。


それに業を煮やしたサーダルは、哭死鳥へと接触する。


危険な裏組織ではあったが、流石にこれ以上の大軍を動かせなかった老人は――その為には国の許可(正当な手続き)が必要――莫大な報酬を支払い彼らと契約する。


不老長寿の秘薬である、ハイエルフの心臓を手に入れる為に。


「まったく……逃げられたと聞いた時は血の気が引いたものじゃ……」


森を制圧した際、ハイエルフを逃がしたという報告を受けたサーダルは激怒している。

だがまあ間に合ったのであれば、その辺りの失態は不問にしてやろうと彼は満悦の表情で一人毒づいた。


「入れ」


扉を叩く音が聞こえ、サーダルが入室を許可する。

入って来たのは長年彼に仕えてきた執事だ。


だがその姿を見て、サーダルは眉をしかめる。

執事の手の中にある筈のものが無かったからだ。


「心臓は何処だ?」


哭死鳥が持ってきた筈の心臓を、執事は手にしていなかった。

その事をサーダルは問いただす。


「は、それが……他の者に途中で偽物とすり替えられてしまうかもしれない為、直接手渡したいと。そうおっしゃられまして」


その言葉にサーダルは一瞬顔を顰めた。

だが直ぐに気を取り直し、此処へ通せと執事に指示する。

哭死鳥の遣いの心配は、尤もな事だったからだ。


近しい配下の者は、彼がハイエルフの心臓を求めている事を知っている。

そしてそれがとんでもない価値のあるものだという事も。

欲に目が眩んだ者が、事前に用意した偽物とすり替える可能性は十分あり得る事だった。


「裏家業の者だけあって……慎重だな」


とは言え、本来なら暗殺を警戒して直接会ったりはしない。

だが今回に限って言えば、その心配は限りなく0に近いと言えた。

サーダルを殺したいのならば、心臓を持ってこなければいいだけの話だからだ。


放っておけば1年と持ちそうにない死に体の老体。

高いリスクを冒してまで、直接手を下すメリットは少ない。


暫くすると再び扉がノックされる。

サーダルが許可を出すと、黒い帽子を目深まぶかに被った男を連れて執事が部屋へと戻って来た。


その男の手には包みが握られている。

成人男性の拳より一回り小さいサイズをしているそれこそ、ハイエルフの心臓だろうとサーダルは嬉しそうに目を細めた。


「ご苦労だったな。それを渡して去るが良い」


暗殺の心配がないとはいえ、薄汚い裏家業の人間を傍に寄せる気のないサーダルは執事に心臓を渡せと指示を出す。

自分の目の前で執事に渡せば十分だろうとの判断だ。


「それなのだが……申し訳ないが、卿に渡す事は出来ない」


「なに!?」


「実は組織の上の人間が心臓を欲しがってね」


「なんだと!契約を破る気か!?」


サーダルが叫ぶと同時に、執事が懐に忍ばせていた隠刀で哭死鳥の使者に切りつけた。

彼は只の執事ではなく、サーダルの護衛も兼ねているのだ。


だがその一撃は容易く躱され、執事の喉元が手刀で切り裂かれる。


「貴様……」


「依頼品を横取りしたとなると、今後の仕事に差し障るのでね。貴方には死んでもらう」


「ふざけ――」


言葉を最後まで言い終える事無く老人の首は宙を跳ね、置いて行かれた胴体の首部分から鮮血が吹き上がる。

サーダルを殺した男は執事の方を振り返ると、倒れている彼ににやりと笑う。


そして――


「どうされました!!」


叫び声と激しいノックが室内に響く。

ついで扉が勢いよく開け放たれ、外にいた警備兵が執務室へと飛び込んでくる。

彼らは室内で大きな音がしたので、緊急事態と判断したのだろう。


「んなっ!?」


中の惨状を目にし、彼らは絶句する。

椅子には首のない死体が凭れ掛かり、その足元に大きな血溜まりを作っていた。

そして床の上に党首の物と思しき老人の首が転がり、その傍には瀕死の執事が倒れている。


「何があった!?」


兵士の1人が執事に駆け寄り、抱き起し尋ねる。


「こ……哭死鳥の……暗殺だ……」


重症ではある様だが、致命傷ではないのか執事は意識を保っていた。

彼は苦し気に犯人を告げる。

その言葉を聞いて、警備兵たちは執事が連れてきた男の姿を探す。


――だがそこには誰の姿も無かった。


窓は割れておらず、しっかりと内側から施錠されていた。

唯一つの扉は、兵士達が見張っている。

つまり、誰にも出入りは出来なかった筈なのだ。


――にも拘らず、男の姿はそこにはなかった。


兵士達はその事を不思議に思いつつも直ぐに知らせを出し、街道などの封鎖を行う。

暗殺犯を捉える為に。

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