第35話 F90
エルフ――それは透き通るような白い肌に笹状の長い耳もつ、森の中で生きる美しき種族。
その寿命は長く。
一般種で数百年。
上位種となるハイエルフの寿命に至っては、1000年を軽く超えるという。
そのあまりにも長すぎる寿命ゆえ、彼女達の心臓は不老長寿の秘薬になると真しやかに囁かれ。
そんな馬鹿な噂のせいで、人によるエルフ狩りは遥か昔から行われてきた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
少女が走っている。
その姿は、まごう事無くエルフのそれであった。
年のころは10才前後だろうか。
大人の男女――これもまたエルフ――によって手を引かれ、森の中を駆けていた。
――その表情は苦し気に歪んでいる。
エルフは森の中で生きる種族である。
そのため、子供とは言えその体力は人間を遥かにしのぐ。
そんなエルフの少女がこれだけ息を乱しているという事は、相当な距離を走ってきたという事だろう。
「くそ!」
男のエルフが、憎々し気に言葉を吐き捨てる。
それは自分達が追い付かれた事を意味していた。
三人のエルフの前で影が揺らぎ、突如一人の男が姿を現す。
全身黒づくめの、まるで忍者の様な出で立ち。
醸し出す雰囲気は尋常ではなく、その
「娘を置いていけ。そうすれば命だけは――」
「断る!誰が貴様ら等に姫様を渡す物か!」
エルフの男が腰から剣を引き抜き、視線で二人に先に行くよう指示する。
それを見て姫と呼ばれた少女は泣きそうな表情を見せるが、男は柔らかく笑う。
「すぐに後を追いますから」
その言葉が気休めだという事を、彼女にはよく分かっていた。
ここに至るまで、既に自分に仕えるエルフ達がそう言って何人も命を落としてきている事を知っているからだ。
「わかった。直ぐに追いついて来るのだぞ。これは命令じゃ」
分かってはいた。
だが、彼女は涙を押し留め、そ知らぬふりでエルフの男に言葉をかける。
直ぐに合流するのだと。
自分が不安がれば、男の決意を無駄にしてしまう。
だから約束して、彼女は先を急ぐ。
――少女は森の中を駆ける。
――エルフの女性に手を引かれ、未来に向かって。
彼女の住処は、死の森より遥かに北方にある。
グラン王国北部の森の中。
そこに小さな集落を形成し、暮らしていたエルフの隠れ里が少女の故郷だ。
その里唯一のハイエルフが彼女であったため、その集落では少女を姫と称え、崇めていた。
里での暮らしは平穏で温かく、幸せな毎日だった。
だが里の場所が人間に知られた事で、その全てが崩壊してしまう。
森で死にかけていた男を、優しいエルフ達が善意で救ったのが始まりだ。
男は恩を仇で返し、里の位置を貴族に金で売り払ってしまったのだ。
そして欲深い貴族は私兵を使い、エルフの里を襲わせた。
基本的にエルフの能力は、人間よりも高い。
訓練された屈強な軍が相手であろうと、森の中での戦いならまず遅れを取る事は無かった。
実際、最初の数回はその攻撃を見事に跳ねのけている。
だが貴族の私兵に、ある集団が参加した事で風向きが変わってしまう。
それは危険な暗殺集団の名であり。
その名は各国で恐れられている程の巨大な裏組織だった。
貴族は自らの欲望を満たす為、大枚を叩いて彼らを用意したのだ。
全ては、ハイエルフである少女の心臓を手に入れる為に。
貴族は知識層である。
当然エルフの心臓に不老長寿の効果がない事は承知していた。
だがハイエルフとなれば話は別だ。
エルフのそれは只の噂でしかないが、ハイエルフの心臓は、本当に寿命を延ばす効果を秘めていた。
だからこそ、その貴族は出鱈目な額を投入してでもハイエルフを手に入れようとしたのだ。
哭死鳥の投入により、戦況はあっという間にひっくり返されてしまう。
その強さもさる事ながら、彼らは勝つためには手段を択ばなかった。
さも当然の様に森に火を放ち。
消火に当たるエルフ達を暗殺して回る。
そんな真似を平然とやってのけた。
そして追い込まれたエルフ達は森を捨て、逃げ込んだ先がこの死の森だった。
この森を抜ければ国境に差し掛かる。
エルフ達はそこに希望を賭けていた。
隣国であるファーエン聖王国は、神への信仰厚き国だ。
助けを求めれば保護して貰えるかもしれない。
そんな微かな希望に縋り、少女は駆ける。
だが――
「追いかけっこはもうお終いだ」
「――っ!?」
再び前方が揺らぎ、黒づくめの男が姿を現す。
それは先程のエルフの死を意味していた。
「姫様!もう少しで国境です!ここは私が!」
「どうしろというのじゃ……皆を失って……私ただ一人生き延びて……それで……」
ここまで気丈に振る舞い。
歯を食いしばり、必死に逃げてきた。
だがそれももう限界だった。
例えこの場を生き延びても、待っているのは孤独だ。
それならいっそこの場で、最後は皆と一緒に……
そう彼女は考える。
「姫様。貴方は我々の希望です。どうか……どうか最後まで諦めず生きてください」
そう言うと短刀を手に、エルフの女性――ニーアが魔法を唱え始める。
「ニーア……分かった。私は生き――」
ニーアの意を汲み。
生きるために足掻こう。
そう口にしようとした瞬間、黒づくめの男が一瞬で間合いを詰める。
尋常ではない速さだ。
「言ったはずだぞ。追いかけっこはお終いだと」
男は無慈悲に、赤黒く染まった刃を少女へと振り下ろす。
「姫様!」
そこにニーアが割り込み、凶刃を受ける。
その刃は肩から胸へかけて深々と彼女を切り裂いた。
「くっ!」
だが彼女も只ではやられない。
唱えていた魔法を、最後の力を振り絞り黒衣の男へと放つ。
その魔法は激しい風を起こし、男を吹き飛ばした。
「ニーア!!」
ハイエルフの少女の前でゆっくりとニーアの体が傾き、崩れ落ちる。
いや――
崩れ落ちそうになった所を、一人の男がその女性の体を受け止めた。
それは何処にでもいる様な、平凡な顔立ちの男だ。
「間に合うかな?カオスヒール」
そう口にすると、男は無詠唱で魔法を発動させる。
男の両手に黒い光が宿り、その闇色の輝きはニーアを瞬く間に包み込んだ。
「凄い……」
少女は思わず呟く。
何故なら輝きに包まれた途端、剣によって抉られたニーアの胸元の傷が見る間に塞がっていったからだ。
即死レベルの致命傷を一瞬で癒す。
それはまるで神の奇跡の様だと、そう彼女は感じた。
「う……」
ニーアが小さく呻き声を上げる。
彼女の肩から胸にかけての深い傷は、完全に塞がっていた。
男は優しい慈愛の籠った眼差しをニーアに向け。
そしてこうつぶやいた――
「Fの90か……合格!」
と。
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