悪い夢

赤羽 るーと

前編

夢を見た。なんの夢だったかもう忘れてしまったけれど。とても悲しい夢だった。そしてとても幸せな夢だった気がする。

ベッドから這い出でて、彼の姿を探す。


さとる~?」


しかし、返事がない。

キッチンに行っても、ベランダへ出てみても。しかし、靴とスマホはある。

私は彼がどこかに隠れて、私を驚かそうとしているんじゃないかと思い、いろんなところを探す。しかしどこにもいなかった。


「にゃー。」


突然後ろから猫の鳴き声がして驚く。マンションの4階に猫がいるわけないから。さっきベランダを開けたときにお隣から入ってきてしまったのだろうか。虫ならベランダから投げて逃がすけど、猫はさすがに…


大まかには白く、黒い手足が靴を履いているような上品な猫。首輪はしていないが、誰かが放し飼いしているのかもしれない。

撫でてやると途端に目を閉じ喉を鳴らす。

のんきな猫だ。悟そっくり。


「悟、どこ行ったんだろう。どこ探してもいないし。」


今日は一緒に、服を買いに行く約束だったのに。悟のバカ。


猫をゆっくり下して再び辺りを見渡す。そしてベッドに戻る。悟がいた痕跡はある。

しかし、肝心の悟はどこにもいないのだ。そのあとも探し続けた。外にも行った。一緒に行ったことのあるカフェ、公園、映画館。どこにも彼の姿はない。


気づけばもう20時を過ぎていた。あたりはもう暗く、街灯や自販機の光で道がようやく見える。私の足は家に向かっていた。


これは大事なのではないかと思い、警察に捜索願を出そうかとも考えた。しかし、彼のことだから、そのうちひょっこり顔を出して周りの人に迷惑をかけてしまってはいけないし、何よりそれで傷つくのは彼本人なのだ。


彼は昔から他人に迷惑をかけてしまうことを一番嫌って嘆いていた。

思えば彼はとても弱い人間だった。ちゃんと意見は言わないし、何を考えているのかもちゃんと教えてくれない。何も言わずに何でも自分一人でやろうとする。でも結局一人では何もできない。正直、なんで彼のことを好きだと思ったのか、1年たった今ではよくわからない。


家に着くと、逃がしたはずの猫がまた家の中にいた。私が扉を開けたとたんに足元にやってきたのだから驚いた。

どうやらまたベランダから入ってきたようだ。私がカギを閉め割れていたから。


また猫はか細く一言「にゃー」と鳴いた。よく見ると背中に葉っぱがついていたり、ほほに泥がついていたり、外で散々な目にあった様子だ。水で毛を軽く洗ってやったあと、おなかがすいていると思い、ツナ缶を開けておいてみる。少し匂いを嗅いだ後ゆっくりと食べ始めた。何度かこちらの様子を確認しているあたり、どうやら何かを気にしているようだった。


私もシャワーを浴びて、ベッドへ倒れこむ。一日歩き続けたのだ。さすがにもう眠い。


「悟、どこ行ったんだろ。」


あんな奴でもいないとこんなに寂しいのか。ずっと一緒にいたから気づかなかった。

気づくと私は泣いていた。そんなことないと言い聞かせている。でもやっぱり頭から離れない。


「私、嫌われちゃったのかな…」


口にすると、いよいよ現実感が増して、嗚咽まで出始める。


そんな私を心配してか、猫がベットへぴょんと乗り込んできた。

そしてすぐに流れ始めた涙をなめる。こういうシーンを昔アニメで見たことがあるな。なんてくだらないことを考えていると、猫は私から少し離れて、丸くなった。


「猫も眠いか。てかもっとこっちこいよ。寂しいから。」


私はそう言って猫を引き寄せる。最初はバタバタと暴れそうだったが、最後には諦めて私と一緒に布団に入った。布団からちょこっと顔を出している姿がとてもかわいい。


そうして、私はいつの間にか眠ってしまった。深い、深い眠り。彼がいない夜はあったけれど、どれも浅い眠りだったのに。きっと疲れちゃったんだ。きっとそうだ。







目が覚める。するといつもの匂いがした。優しくて甘い匂い。私はすぐに悟だと気が付いて、目を開く。


背中がこちらを向いているが、きっと悟だ。


しかし、ここで私はあることに気が付く。


悟の背中、こんなに大きかったっけ?


なにかがおかしいと気づき始めてすぐに、自分の体の感覚の違和感が頭を襲った。腰の下。ちょうどお尻の真ん中あたりにものすごい違和感があるのだ。


『何?!』


気づいて腰に触れようとするも手が届かない。というか、私の手は、まるで。


『猫…?』

「にゃー?」


一瞬、頭がどうにかなりそうだった。だって意味が分からないし、何より体の違和感がとてつもないのだから。目が覚めてきて、これが現実であることが明らかであるとわかる。


私はすぐに悟に手を伸ばす。しかし、爪が出てしまい、寸でのところで手を止められた。危なかった。もう少しで彼に爪を立ててしまうところだったのだ。


私は、とにかく自分の姿を確認するためにベッドから出た。

ベットから出てみると、明らかに私の今まで見てきたものよりも全体的に大きくなってしまっている。それに二足歩行は不可能だとすぐにわかった。

それでも自分の姿を確認するために、四つの足を使って洗面台へと走る。


洗面台は高く、飛ばなければ届かない。私は猫の真似をして勢いよく飛び上がる。ものすごいスピードで近づいてくる天井などに驚き顔をそらしてしまった。猫の脚力を甘く見ていた。こんなに飛ぶとは。


勢いはなくなり、最後に感じたのは浮遊感。そしてもちろん。天井に着くなんてことはなかったものの。次に訪れるのは重力。そして私の体は落下する。


「にゃっ!!」


トン


目を閉じていたが、猫とは本当にすごい。地面に簡単に着地できたし、どの足も痛くない。肉球がすべてを吸収してくれたようだ。これから猫を触るときは真っ先に肉球を触ろうと思う。


『そうじゃなくて…』


もう一度ジャンプする。次は難なく洗面台にたどり着き、私がやはり猫であることを目を通して脳へと伝達する。

白い毛並み、長靴をはいたような四つの足。その姿はまるで昨日見た猫のような。

私ははっとして、考える。

私が今猫だということは、別の人が猫になっていても不思議ではない。

つまり、昨日私の家にいた猫は…


『悟?』


でもどうして?なんで?

わからない。いくら考えてみても。特におかしなことをしたり、変なものを食べた記憶もない。悟が猫になった前日だって。宝石店で石をみて、近くの河原でお昼ご飯を食べて、それから…ただ一緒にいただけなのに。


何か私は悪いことをしてしまったのだろうか。きっとそうに違いない。だから彼と私は猫に…。


美沙みさ~?」


名前を呼ばれてはっと我に返る。私はどうも悪いことが起きるとネガティブになりがちなようだ。なんどか悟にも指摘されていた。


私はすぐに悟のところへと走る。悟はあたりをきょろきょろと見まわしている。


私は彼の後ろから声をかける。


『悟!私!ここにいるよ!』

「にゃー!にゃー!」


悟は一瞬びくっとして振り返る。悟が昨日の猫だったなら、私の姿を見てすぐにわかってくれるはず。

しかし、そんな期待はあっけなく打ち砕かれる。


「猫?どっから入ってきたの?ベランダかな。いや、ちゃんと鍵は閉めてあるし…。」


など口に出しながら頭を悩ませている。私って気づいて。気づいてよ。

しかし声をいくら出そうとしても、出てくるのは猫の鳴き声だけ。何も伝わらない。


悟はぶんぶんと顔を振って、私を外に出すと自分もまたどこかへと歩き始めた。私も後をついていく。彼は私に気づいていないみたい。どれだけ念じても、思っても、私の想いなんて届かないのだ。もういっそ諦めてしまうしかないのだろうか。

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