球技大会――4

 体育館の近くにある自販機へ向かい、俺はスポーツドリンクを買ってグイッとあおった。


『水よりもヒトの身体に近い』とうたっているだけはある。火照ほてった体と渇いたのどに、冷たいうるおいが優しく染みこんでいくようだ。


「お。相原も水分補給?」


 そこに、俺とチームを組んでいるクラスメイトがやってきた。翔と同じ、バスケ部に所属する生徒だ。


「ああ」と答えて場所をゆずると、彼も俺と同じスポーツドリンクを購入し、腰に当てて豪快にあおった。


「ぷはーっ! 生き返るぜ!」

「言動がおっさんだぞ。残業帰りのサラリーマンか」

「言うねえ。相原って結構愉快ゆかいなやつだな」


 一年生のときはクラスが別で、彼とはあまり話したことがなかった。しかし、彼はなかなかノリがいいやつらしい。俺のツッコみにケラケラ笑っていた。


 球技大会の目的は、『新しいクラスメイトとの親睦を深めること』。目的はちゃんと果たせているようだ。


「にしても大健闘だいけんとうだよなあ、俺たち。完全にダークホースじゃん。行けても準決までだと思ってたわ」

「チーム内のバスケ部員、翔とお前だけだしな」

「それな! 熱海と俺でなんとか踏ん張ろうって覚悟してたんだよなー」


 談笑だんしょうするなか、彼が気のいい笑顔を俺に向ける。


「けど、相原がいたおかげでなんとかなったわ!」


 瞬間、俺の心臓が跳ね上がった。


 全身の汗腺かんせんから冷や汗が噴き出す。俺の顔は青ざめていないだろうか?


 動揺を悟られたらマズいと、にぶくなった思考をなんとか働かせ、俺ははぐらかしの言葉をひねり出す。


「か、活躍したのは翔だろ? 俺は特別なにもしてないぞ?」

「そんなことねーよ! 熱海が活躍できてんのは相原がサポートしてくれてるからだって! あんなイキイキしてる熱海、はじめて見たわ! それに、上手くチームを回してくれてんのは相原だろ?」


「お手柄てがらだ!」と言わんばかりに彼が親指を立てた。


 彼に悪気はないのだろう。純粋に俺を賞賛しょうさんしてくれているのだろう。


 だがそれは、彼が俺のプレイを評価しているということだ。


 俺が活躍してしまったということだ。


 手先が温度を失う。呼吸が速まっていく。


「相原って、もしかしてバスケ経験者? よかったらバスケ部入らねえ? お前なら即戦力だよ!」


 彼がなにか言っているようだが、俺の耳にはもう入らなかった。


 世界から光が失われ、俺は暗闇へと落ちていく。


 頭の奥からいままわしい記憶が引きずり出され、浴びせかけられた罵声ばせいよみがえった。




 ――お前、なに活躍してくれてんの?




 思わず叫び出しそうになった――そのとき。




「申し訳ありません。兄さんには事情がありまして、バスケ部には入部できないのです」




 優しい手が俺の肩に置かれ、すずやかな声が聞こえた。


 目の前にいるバスケ部員が見るからに緊張した面持おももちで直立する。『深窓の令嬢』相原玲那が現れたからだ。


「兄さんは母の仕事のお手伝いをしていまして、その関係で、放課後はなかなか時間が作れないのですよ」

「そ、そうなんすか」

「ええ。大変申し訳ないのですが……」

「いいいいえ! 相原さんが謝ることなんてないっすよ!」


 俺たちと同じく体操服を着た玲那に深々ふかぶかと頭を下げられ、バスケ部員がブンブンと首を横に振る。女性に免疫めんえきがないかのような慌てっぷりだった。


『俺が母さんの仕事を手伝っている』というのは嘘だ。そもそも母さんは、父さんと引っ越して俺たちと別居している。玲那はバスケ部員の勧誘かんゆうを断るため、理由をでっち上げてくれたんだ。


 バスケ部員が残念そうに嘆息たんそくした。


「それなら仕方ないっすね。けど、相原! 俺はいつでも歓迎するぜ! 入部したくなったらいつでも言ってくれよな!」

「あ、ああ……ありがとう」

「じゃあ、決勝も頑張ろうぜ!」


 歯を見せる快活かいかつな笑顔を残し、バスケ部員が立ち去る。弱々しく返事して手を挙げるのが、俺にはやっとだった。


 鼓動がいまだに荒ぶっている。全力疾走したあとも、ここまで激しくはならないだろう。


 体操服はビチョビチョになっていた。試合で掻いた汗によってじゃない。いまあふれた冷や汗によってだ。


「……お兄ちゃん、大丈夫ですか?」


『深窓の令嬢』の仮面を外し、玲那が心配そうにのぞき込んできた。学校のなかであるにもかかわらず。


 それだけ俺がひどい状態だということだ。事実、俺はパニックに陥りかけていた。玲那が来なかったら、完全に我を忘れ、取り乱していただろう。


 情けなくて仕方ない。俺は今日もトラウマを乗り越えられなかったんだ。


 知らず噛みしめていた奥歯が、ギリリときしみを立てる。


「大丈夫とは……言えないな」


 俺の手はブルブルと震えていた。止めようと思っても止められない。


「このざまじゃ、まともなプレイなんてできっこない……」





 俺たちは決勝で敗退した。


 それまでの活躍が嘘みたいなボロ負け。


 敗因は、俺がミスを連発したせいだった。

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