第107話 零戦61型

1944年6月4日


「F6Fか。初手合わせだな」


 空母「蒼龍」艦戦隊長馬場晋作少佐は、まばらに出現し始めた敵機を見つめながら呟いた。


 F6F「ヘルキャット」は今年2月のマリアナ航空戦で初見参した機体であり、米軍の生産力を考慮すると米空母の戦闘機は全てF4FからF6Fに置き換わっていると考えられた。


 だが、この戦いに新鋭機を投入したのは米軍だけではない。


 零戦はラバウル沖海戦の戦訓から数多の改良が試みられ、航空本部の不断の努力によって「61型」まで進化している。この61型は「加賀」「翔鶴」「大鳳」「鳳龍」「蒼龍」「飛龍」にそれぞれ20機が搭載されているのみであったが、最高時速580キロメートル毎時を誇る新型零戦はF6Fを相手に回しても互角以上の戦いを演じる事ができるはずであった。


 馬場は海面をちらっと見た。


 眼下には広大な海原が広がっているのみであり、敵艦は1隻たりとも確認できない。


 第1次攻撃隊はまだ敵を発見できていない状況下で敵機の攻撃に晒されようとしているのだ。


 だが、馬場にとっては望むところであり、零戦を駆る者として迫り来る脅威は排除するのみであった。


「加藤1番より全機へ、かかれ!」


 攻撃隊の総指揮を務めている「大鳳」艦戦隊長加藤孝義少佐の叩きつけるような声が機上レシーバー越しに聞こえ、10機の「大鳳」戦闘機隊がF6Fに向けて突進していく。


「『蒼龍』隊追随せよ! 右前方のF6Fを叩く!」


 馬場は宣言するように叫び、零戦のエンジン・スロットルを徐々に開け始めた。


 「誉」――――中島飛行機と日本海軍航空技術廠発動機部が開発した空冷式航空機用レシプロエンジンが力強い咆哮を上げ、32型よりも遙かに重量が増した61型の機体を力強く引っ張る。


 1個中隊規模のF6Fが「蒼龍」隊の前方から突っ込んでくる。


 どうやらF6Fの外観はF4Fと極めて酷似しているようだが、F6FはF4Fよりも一回り大きいようだ。禍々しい機体であり、F6Fの存在は正しく日本軍機を地獄へと叩き落とす「魔女ヘルキャット」そのものであろう。


 F6F数機が両翼に発射炎を閃かせ、次の瞬間には何十条もの火箭が零戦に殺到してきた。機銃弾を「発射する」というよりは「ぶちまける」といった表現が適切なのではないかと思わせる弾量であり、一度絡め取られれば四散してしまうことは確実である。

 

 敵弾が来たときには零戦隊はそこには存在しない。各機が旋回、降下、ひねり込みといった空戦技術を用いて敵弾をしっかりと回避している。母艦航空隊の搭乗員の技量は度重なる戦いによって低下気味であったが、南方ボルネオの日本軍泊地での月月火水木金金の猛訓練が成果を見せているのだ。


 機銃弾の嵐を回避したのも束の間、別のF6Fが馬場機の真っ正面から突っ込んできた。


 馬場はほぼ反射的に操縦桿を右に思いっきり倒した。


「・・・!!」


 操縦桿は極めて重い。まるでセメントで固められているかのようであり、ともすれば、力を入れすぎると操縦桿ごと引っこ抜いてしまうのではないかと思わせる程であった。


 多数の機銃弾が馬場機の左側を通過し、覆い被さるようにしてF6Fが通過していく。


 馬場は機体を即座に反転させて、F6Fの後方から20ミリ弾をたらふく叩き込んでやりたい衝動に駆られたが、その余裕はない。


 61型は速度性能や防弾性能が上昇した反面、翼が切り詰められた事によって格闘性能が低下してしまっているからである。


 馬場は下方にいたF6Fに狙いを定め、突進する。


「喰らえ!」


 両翼からほとばしった20ミリ弾の火箭がF6F1番機の水平尾翼付近に命中し、破片らしきものが大量に飛び散った。


 F6Fは落ちない。水平尾翼を傷つけられた事によって大きくよろめいたものの、防御力の高さが物をいい、墜落を免れたのだ。


 だが、そのF6Fの頭上から真っ赤な火箭が殺到し、機体にヤモリの舌のように纏わり付いた。


 おそらく、エンジンに命中したのだろう。そのF6Fは機首から大量の黒煙を噴き出して墜落していった。


 馬場が1機撃墜の戦果を挙げた時には、「蒼龍」隊の他の61型も戦果を挙げている。


 敵機に対して真っ正面から突っ込んでいった零戦が20ミリ弾でF6Fの機体を切り刻み、F6Fの風防内に飛び込んだ7.7ミリ弾が搭乗員を殺傷する。


 主翼に大穴を穿たれ、叩き折られたF6Fは独楽のように回転しながら墜落していき、操縦者を射殺されたF6Fは日を噴く事なく海面に叩きつけられる。


 日本側も無傷とはいかない。


 F6Fに正面攻撃を仕掛けた零戦が12.7ミリ弾の投網に搦め取られて墜落する。


 サッチウェーブ戦法に翻弄された零戦が撃墜され、プロペラを吹き飛ばされた零戦は揚力を喪失し、錐もみ状に回転しながら墜落する。


 全般的には互角かやや日本側優位といった所であろう。


 そして、空戦開始から20分が経過した所で敵艦隊が水平線上の向こうに見えてきた。


 司令部呼称敵「甲」部隊で間違いないだろう。


 風防越しに各空母から発進した新型艦爆「彗星」が突撃していくのが確認できる。


 ここからは艦爆隊の仕事であった。













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