第102話 前進あるのみ

1944年2月12日


 敵戦艦3隻を前にして多田は決断を強いられた。


 軽巡3、駆逐艦1の小艦隊で3万トン級の戦艦3隻に挑みかかろうなど、自殺行為以外の何者でもないが、ここで引き返してしまっては泊地突入の好機は永遠に失われてしまう。


 一瞬迷った末に多田は魚雷による強行突破を選んだ。


「敵戦艦との距離知らせ!」


「しっ、司令官!」


 多田が自分達とは比較にならないくらい強大な敵に立ち向かおうとしている事を悟った参謀の一人が狼狽した様子で翻意を促したが、多田の決意は固かった。


「ここを抜かなければマリアナは叩けぬ」


(多田司令官のお人柄はどんなものかと思っていたが、面白い人だ)


 敵戦艦部隊と真っ正面から戦うことを宣言した多田を横目に見ながら、杉野は腹の底で呟いた。


 多田司令官は艦隊勤務よりも軍政関連の経歴が長い士官であり、杉野は保守的で消極的な人物だと考えていたが、実態は全く異なるようだ。


 とにかく、「球磨」の艦長職を預かる者としては、積極果敢な司令官の元で戦う事が出来るのは有り難かった。


「敵距離9000メートル!」


「『多摩』『木曾』『萩風』に信号。『雷撃距離4000メートル』!!!」


 多田は見張り員からの報告を聞いて魚雷投下時期を決定した。


 この敵戦艦3隻と相対している現状下で彼我の距離を5000メートル縮めるという判断は多分にリスクを伴うものであったが、雷撃の機会がたったの1度しかないことを考えると、十分に距離を縮めて、命中率を上げたかった。


「左方2000メートル! 渡辺艦隊です!」


 このタイミングでずっと状況が不明だった友軍艦隊の存在が確認された。艦隊は6隻揃っているようであり、多田艦隊とは違って落伍艦を1隻も出していないようだった。


「このままの位置なら挟撃を仕掛けられるな・・・」


 こちらと同様に敵戦艦部隊を肉迫にしつつある友軍艦隊を見て、多田はほくそえんだ。渡辺少将もまた多田と同様、敵戦艦に魚雷をお見舞いしてやろうという腹づもりなのであろう。


「距離7500メートル!」


「・・・!!!」


 彼我の距離が7500メートルにまで縮まった時、敵戦艦3隻の艦上に相次いで閃光が走り、発射された巨弾の内3分の2が渡辺艦隊に、3分の1がこっちに飛翔してきた。


 敵戦艦の主砲の口径が36センチか、40センチかは知ったことではなかったが、いずれにしても1発当たってしまえば昇天確実の死の拳である。


 若干の間を置いて、「球磨」の前方に弾着の飛沫が上がり、長大な水柱が天に向かって突き上がる。


 水柱が前方の視界を覆い隠し、それが晴れたときには多田も膝下の艦艇に反撃の砲撃を命じている。


 「球磨」の残存5基の主砲が主砲弾を敵戦艦に向けて発射し、「多摩」「木曾」「萩風」も撃ちまくる。


 14センチぽっちの主砲で敵戦艦に打撃を与えることなど不可能であったが、少しでも敵戦艦の主砲を担当している奴の意識をそらすことが出来れば、儲けものである。


 軽巡の14センチ主砲、駆逐艦の12.7センチ主砲の発射間隔は非常に短い。5秒から6秒置きに多数の砲弾を撃ち出し、敵戦艦との距離を縮めていく。


 敵戦艦から放たれる主砲弾も間断なく飛来し、彼我の距離が6000メートルを切った所で、その砲撃に高角砲が加わる。


 砲弾弾着時の水柱の数が飛躍的に増加し、「球磨」の基準排水量5500トンの艦体が波によって大きく揺さぶられる。


 最初に直撃弾を得たのは被弾面積の差もあって日本側だった。


 「球磨」から放たれた14センチ砲弾が2発命中し、「多摩」「木曾」「萩風」から放たれた砲弾も次々に命中する。


 そして、そのときには他の2隻の戦艦にも被弾が発生している。


 旗艦「鳥海」以下の渡辺艦隊が20センチ砲弾、12.7センチ砲弾を敵戦艦に浴びせかけているのだ。


 3隻の戦艦に命中している弾数は凄まじいものであり、この砲撃だけで敵戦艦を失血死させれるのではないかと思わせるほどであった。


 だが・・・


 敵戦艦から放たれた巨弾の内、1発が渡辺艦隊の4番艦――――即ち、「親潮」に吸い込まれた瞬間、「親潮」の全長110メートルの艦体が真っ赤に照らし出された。


 おどろおどろしい爆発音が耳を打ち、駆逐艦1隻の轟沈を知らせる。


 「木曾」に高角砲の射弾が集中する。


 第1主砲、第3主砲、第7主砲、後甲板、機銃座、射出機が次々に被弾し、左舷に取り付けられていた六年式53センチ連装発射管に砲弾が命中したとき、「木曾」の命運は決した。


 敵戦艦の下腹を抉るはずだった53センチ魚雷8本が一時に「木曾」の艦内で誘爆を開始し、「木曾」の艦体を真っ二つに引き裂いたのだ。


 味方艦が次々に失われる中、遂に待ち望んだ瞬間がやってきた。


「4000!」


「全艦魚雷発射!」


「宜候!」


 「球磨」の魚雷発射管から待ってましたとばかりに8本の魚雷が射出され、「多摩」「萩風」の艦長の各自魚雷の発射を命じる。


 渡辺艦隊の方でも先頭艦の「鳥海」から順に魚雷が発射され始めたが、3番艦の「高雄」は魚雷を発射することが出来なかった。


 「高雄」が魚雷を発射するために転舵した瞬間、敵戦艦から放たれた巨弾が何と3発も同時に「高雄」に命中したのだ。


 防御力に定評のある高雄型重巡に類別される「高雄」であったが、この打撃に耐えられる道理はなかった。


 「高雄」が爆沈し、その仇を取らんと「早潮」「夏潮」が魚雷を投下し終え、日本海軍の全艦が魚雷投下を終えたのだった・・・







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