第32話 夕暮れ
第6次空襲は夕暮れと共に終わりを告げた。
南太平洋に煌めく夕日は美しかったが、その美しさを気にする余裕は日本軍の将兵には微塵もなかった。
投弾・投雷を終えた米軍機は彼方へ飛び去りつつあり、「大鷹」の飛行甲板には零戦・陣風が着艦し始めていた。
「世の中とは頑張ればなんとかなる物だな」
「大鷹」艦長高次貫一大佐は疲れ切った声で呟いた。普段は思慮深く疲れた様子など滅多に見せない高次ではあったが、流石にこの日は体の疲れを隠す事は出来なかった。
それほど米軍機の6次に渡る波状攻撃は心身に堪えたのであり、それは副長の岸田とて同じであった。
「第3次空襲からラバウル航空隊所属の『陣風』が戦闘に参加してくれたのが大きかったですな。『大鷹』の艦載機だけでは到底持たなかったはずですから・・・」
岸田が私見を述べた。
「全くだ」
高次が岸田の意見に対して頷いた。
「実の所、俺は今日の航空戦で最低でも第2戦隊の戦艦2隻の内、1隻程度は失われるものだと考えていた。それが、2隻とも中破程度の損害で済んだのだから大したものだ。『大鷹』の零戦隊の活躍ももちろん素晴らしかったが、やはり基地航空隊の連中には感謝しなければなるまい」
この空襲で生き残ったのは「大鷹」もまた同様である。第4次空襲の際にハボックによる集中攻撃によって直撃弾1発が命中してしまったが、被弾場所が飛行甲板の縁であり、致命傷には至らなかったのだ。
「大鷹」の飛行甲板には次々に零戦・陣風(一部が「大鷹」で燃料補給を繰り返し、闘っていた)が着艦しており、その列も終わりに近づいていたが、収容された機体で無傷なものは4~5機程度しかなかった。
零戦であれ、陣風であれ被弾痕が全体的に目立っており、酷いものだと着艦と同時に翼がポキッと折れてしまう機体すらあった。
損傷を受けているのは機体だけではなく、その機体を操っている搭乗員も例外ではない。
風防に12.7ミリ弾が命中した際にガラスが腕に突き刺さってしまった者、足に銃弾が擦ったが何とか一命だけは取り留めた者、目が損傷し、そこから血が溢れんばかりの勢いで流れている者もいた。
「零戦8機、陣風9機を収容しました」
飛行長からの報告が上がってきた。
報告するために艦橋に足を運んだ飛行長の顔は沈痛そのものといった感じであり、多数の部下を失ってしまった事実に心を痛めているのかもしれなかった。
「搭載機数零戦29機の内、21機喪失ですか・・・」
飛行長からの報告を聞いた岸田が小さな声で呟いた。
「確かに搭載機の被害は甚大であったが、その献身的な犠牲があった結果、今がある。今はこれからの事について考えるべきだろう」
そう言った高次は、南太平洋が主に記されている海図に視線を移した。
「ポートモレスビーまで後4時間といった所か・・・。午後11時にはポートモレスビーの飛行場を火の海にする事ができるな」
「これから更なる航空攻撃が行われる可能性はありませんか?」
岸田が高次に疑問をぶつけた。夜間攻撃によって第6艦隊が重大な損害を受けてしまう事を危惧したのだろう。
現在「大鷹」に搭載されている零戦・陣風は夜間戦に対応している機体ではなく、夜間は高角砲・機銃の命中率も著しく低下してしまうからだ。
「米軍が夜間攻撃をかけてくる可能性は低いだろう。夜間の戦いが厳しいのはあっちも同じだろうしな」
「なるほど」
こんな会話をしていると艦橋に1人の通信兵が飛び込んできた。
「旗艦『伊勢』より命令です。『第6艦隊全艦16ノットで進軍再開』」
「『伊勢』に返信。『了解』」
「伊勢」に座乗している宇垣長官からの命令電に高次は即座に返答した。「大鷹」に着艦してきた機体は順次エレベーターによって艦内の格納庫に収納されつつあり、あと1機か2機でその作業も終わりそうだった。
「第9駆逐隊、第10駆逐隊隊列整えています!」
新しい報告が入った。空襲終了後から溺者救助や消火活動に奔走していた8隻の駆逐艦が隊列を整えようとしているのだろう。
6次に渡る空襲によって8隻の駆逐艦の内2隻が大破してしまったものの、沈没艦は1隻もなく全艦が海の上に浮いていた。
「そういえばこの戦いが終わった後、戦局は大きく動くかもしれぬな」
「大鷹」が前の「伊勢」「日向」に追随すべく転舵を開始したタイミングで高次は思い出したように呟いた。
「どういう事でしょうか?」
「この第6艦隊の手によってポートモレスビーの飛行場が壊滅したとする。そうすると南太平洋には一時的に制空権の空白地帯が生まれるわけだ。このタイミングで例えば我が軍の機動部隊が殺到したらどうなるかな?」
「・・・成る程! 米軍から見るとポートモレスビーを取られるのは必死。そうさせないために現在、クエゼリン環礁に展開しているとかいうあっちの機動部隊も出てくるという訳ですね?」
岸田も高次が考えている事が理解でき、高次に対して答え合わせを求めた。
「その通りだ。これから暫くの間面白くなるぞ」
高次の口元が思わず緩んだのはその時であった。
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