032

「――何が起きても動揺するな。そして、あらゆる可能性を想定しろ」



 早朝。隊舎前にて、私は簡素に作られた壇上に立っていた。


 目前には二十九人の隊員が二列の横隊に並び、彼らと私の間には、二十九人の遠征隊を統括する指揮官が一糸乱れぬ姿で立っている。


 きっと、おそらく……彼女、彼らは感じていることだろう。


 帰還し、再び横隊に並んだその時。果たして今隣にいる同胞は、そこにいるのだろうか。あるいは、己は再びこの地を踏みしめることができるのだろうか、と。



 ——ふふっ……悩め。震えろ。そして噛み締めろ。その恐怖が人を強くする。



 失いたくないから全力を尽くす。命を懸けることができる。故に、私は勇者諸君に伝えなければならない。否、命令しなければならない。


 

「魔王の支配領域に絶対はない。安全という言葉もない。いつ誰が死に、どこで誰がのたれ死ぬかもわからない。そのほとんどが、この地に帰ってくることはできないだろう。たとえ骨の一本……いや、血の一滴さえも滑り落ちていく。――ああ、つまり私はこう言いたいのだよ。


 ――キミたちには死んでほしい。人類の、明日のために」


『―――』


 

 動揺が走り抜けながらも、それでも後退る者は一人もいなかった。苦悶を漏らすものは一人もいなかった。その練度の高さに、モーゼス共々賞賛を贈りたい。



「生きていようが死んでいようが、見える世界に大差はない。今回生き残っても、次の戦争で死ぬかもしれない。徒花上等と叫べる気概も、魔王やその側近を前にして枯れ落ちるかもしれない。


 五体満足で帰ってこられたのならそれはもう奇跡だ。今そこにある目が、腕が、足が、潰れ捻れ切断され、凄絶な幻痛に生涯を悩まされるだろう。


 いいや、あるいは、その身が汚らしい魔種の器に堕ちるかもしれない。耐え難い……死すらも生ぬるい絶望が、キミらの体を犯して侵して冒しつくすやもしれん」



 第六位魔王は吸血鬼。人間種も魔人種も等しく彼らの餌であり、彼らの同胞に成り下がる存在だ。


 戦闘中、味方が屍食鬼グールとなって襲われるかもしれない。愛する同胞を、魔王の同胞として討たなければならない時がくるかもしれない。いや、来る。


 身が捩れるような痛み。想像すらつかない痛みだ。生き残ると誓った同胞を、その手でくびり殺すなど質の悪いフィクションのようだ。


 それでも、それでも、魔種を討て。



「殺せ。敵は殺せ。殺し尽くせ。たとえ味方であろうと、魔王の手先に堕ちたのならば殺せ。それが弔いで、それが救いで、そして掴んだ勝利の果てに、彼らの意思と生に意味が宿る」



 勝たなければ意味がない。負ければそれで終わりなど、それこそが負け犬の遠吠えだ。



「たとえ一人の命が、数十人の命がゴミクズのように失われようとも……ああ、安心していい。私が、必ずキミたちの生に光を与えよう。無意味な死だったと、そんなふざけたことは誰にも言わせない。


 キミたちの死が、人類の栄光の土台になったという事実を……私が歴史に刻み込む。人類の魂に刻み込む。誰にも、忘れさせなどしない――」



 恒星の眩い光が、私の後ろから差し込む。背中に感じる熱は、あの時……愛おしい彼女に抱かれた時の体温に似ていて――うん、マグノリア。私は、負けないよ。



「故に、勝利を望むなら――私のために死ね」



 締めくくりの言葉に、返答は一人の軍靴から発せられた。



「っ――敬礼ッ!!」



 軍靴を鳴らし、美しい敬礼をみせる女。その指揮に、微塵の遅れもみせず二十九人が私に敬礼した。



「ふふっ――よろしい。ならば出発としようか、死にたがりの勇者諸君。貴殿らに幸運を」



 壇上から降りた私に、煙草を燻らせたアルマが肩をすくめて言った。



「あんなビビらせることもなかったと思うけどな……ホント、お嬢はスパルタで困るよ」


「ふふん、キミも少しは私を見習いたまえ」


「バランスを取ってんだよ。まあいいや――オイおまえら。いつも通りに頼むぜ。今回のヤマはかなりデケエ。最優先はお嬢の命、その次は生き残ること。支配領域に入ったら即状況開始、以上。気合入れてけよー」


「「うーい」」


「了解……」



 約二名、超絶やる気のなさそうに目を擦っているが、まあいい。私はマリィの肩に手を回し、彼女の金髪に頬を寄せる。



「マリィ。キミが私の命綱だ。キミが私の武器だ。キミが私の全てだ。魅せてみろ、キミの可能性を」


御意、我が主イエス、マイロード――必ずや、魔王を打倒して喰らってみせましょう」



 マリィの鈴音のような返事に満足した私は、三十人と五人を引き連れて王都を出発した。向かうは東へ五日、千年ほど前に大英帝国として栄えた国の跡地だ。


 かつての戦争で国は荒廃し、未知の有害物質により汚染された大地は草木などの生存を許さない。


 呼吸を許されているのは、魑魅魍魎の異形。俗に魔物と呼ばれる、この世界の奇形腫のみ。


 土地の属性ゆえか、生存する魔物の強さは冒険者ギルドの等級で示すと、その全てがA級以上。並の冒険者ならまず近づくことすらはばかれる異端の地。


 故に、合流地点はそこしか考えられなかった。


 一眼のつかない、冒険者ですら寄り付かない、特に被害があるワケでもないのだから近づかないに越したことのないその場所が、逢い引きにちょうどいい。


 

「――へえ。こりゃ、なんと粋なサプライズなんでしょうか」



 予定より早く旧大英帝国跡地に到着した私たちの前に聳え立つ、一つの山。


 腐臭、血臭、死屍累々の積み重ねられた魔物の死骸。跡地に生息する魔物の情報と、山を築く死骸の姿形が一致した。


 つまり、何者かがここ一帯に根付く魔物を一掃したという事実に他ならず、そんなことをやってのける暇人には心当たりしかない。



「お早い到着ですね。ええ、掃除が間に合ってよかったです。出発前に、そちらの兵を浪費させるワケにはいきませんからね」



 歪な音を立てて、空間が上下に開く。その奥から顔を覗かせた黒髪のお嬢様に、身構える兵士を手で制しながら言った。



「言ってくれるじゃないか。後で、数を減らしておけばよかったって泣くことになると思うけど」


「そんな日は来ません。わたくしたち、お友達でしょう?」


「お友達……ねえ。白々しいこと言ってくれる」



 わざわざ、武力を見せつけるかのように魔物を積み上げてくれちゃって。畏怖しろよ人間種と胸を張っているようにしか見えないのだけれど。


 まあともかく、無駄な戦闘と疲労を回避できたことに関しては素直にありがたい。腹立たしいことこの上ないが、兵を減らさずに済んだことを鑑みればどうだっていいことだ。



「シュティーナ。そっちは何人連れてきた?」


「第七方面軍、約二万人と二人の大将軍、それと――」


「――ベリトであるッ」



 シュティーナの紹介を遮るようにして、黒金の女が名乗り出た。こぼれ落ちそうな胸元をぷるんとスライムのように揺らし、そいつは意気揚々と謳った。



「この場に集まった人間種諸君ッ! ベリトの名はバルベリト・マドレーヌッ!

 みよッ! この美貌ッ! みよッ! このスタイルッ!

 そして刮目せよッ! 八面玲瓏はちめんれいろうとはこのことッ!

 我、超絶かわいいのだッ! そして強いぞ頼れ、魔王をともに討ち倒そうぞ!

 

 ふぅぅぅはっはっはっは―――ッッ!!」



 場を掻き乱すバカ女の高笑い。微笑みを浮かべていられるのは、そいつの隣に立つシュティーナだけだった。



「おい、そこのバカを黙らせろ」


「な、なんだとっ!? 誰がバカだ、我のほうが其方そなたより胸がデカイぞっ!?」


「胸の大きさで頭の優劣を測るなッ!!」


「むむっ? 古代の文献では、頭を良くする成分はバストとヒップに蓄積されるから、おっぱいの大きい女性は頭が良いと――」


「頭は良くても場の空気が読めてないからバカなんだよ、バカッ」


「ゆ、許さんぞバカ! そこまでバカにバカと呼ばれる筋合いはないぞ、このバカ!」


「はぁぁぁッ!!? ふっざけんじゃないわよこのバカ女ッ! おまえはバカが認めたバカなんだよ、ということは私より格下じゃねえかこのバァカッ!!」


「な、何を貴様――」


「んだよこの――」


「お嬢様、落ち着いてください」


「バルベリト、落ち着きなさい」



 互いに距離を詰めようとしたところで、私とバルベリトは互いの陣営の仲間たちに体を押さえつけられた。


 客観的に見て、犬のような喧嘩を繰り広げていた私たちは、気が落ち着くまで約五分もの時間を要した。



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