027

「取引をしましょう」



 生暖かい微風が運ぶ悪臭に眉ひとつ動かさず、数十メートル先で向かい合ったシュティーナがあえかに笑った。



「わたくしとあなたで、魔王を滅ぼしましょう。きっと、互いの手は取り合えるはず」


「……魔王を、滅ぼすだと?」



 手を取り合うだと?



「なんの冗談だよ。そもそも、お前らにメリットがないだろうし、それは裏切り行為じゃないの?」



 いくら魔王の庇護下に入れなかったとはいえ、同胞であるには変わりない。わざわざ憎み合う人間種と手を取ってまで成し遂げたいことではないはずだ。


 そんな私の心情を察しているのか、シュティーナは温和に答えた。



「あなた方人間種とて、同胞間で争い殺し合っているではないですか。それとこれは何も変わりませんし、そもそも……わたくしたち魔人種は、魔王と称される種と同胞なんかではありません」


「……同胞じゃない? どういうこと?」



 いや、言葉のままの意味なのだろうけれど、信じられないが故に問わざるを得なかった。私の動揺を面白がるようにシュティーナも笑みを綻ばせる。



「そのままの意味です。人間種と魔人種の起源が違うように、魔人種と魔王の起源も違うのですよ。まったくの別物、まったく別の種……まったくの無関係」


「それは……いやでも、待って。私が集めた情報では、第二位魔王は魔人種の配下を大勢囲っていると聞いた」


「すべての個が他種を毛嫌いしているワケではありません。魔王とて例外ではない。自分とはまったく違う、別の種を愛することだってあるでしょう。亜人種という存在がいい例ではありませんか」



 シュティーナの視線が、この場で唯一の亜人種であるエレオノーレに向く。


 彼女の言う通り、人間種は亜人種と比較的友好関係を結ぶ国が多い。種という壁を超えて愛し合い、生まれた子どももたくさんいるし珍しくはない。


 

「……やばい、頭が痛くなってきた」


 

 理解を拒む。頭の中がごちゃごちゃになって思考がうまくまとまらないし、飲み込めない。



「つまるところ、魔王と魔人種はまったくの別物……と、今はそれだけを覚えておいてください」


「……。魔王と別種。それはわかった。けどよくよく考えればどうでもいいことだと、ふと思っちゃったよ。違うからといって私たちが長い間殺し合って来たことには変わりないし、それを許そうとは思わないのも同じでしょ?」


「いいえ、許します」


「……は?」



 シュティーナはにっこりと笑った。私は、思わず椅子から立ち上がって、



「はぁ?」



 素っ頓狂な声を上げた。シュティーナは、変わらずにっこりと笑みを貼り付けたまま、口を動かした。

 


「あなた方の侵略行為は許しましょう。第五方面軍、及びに第三方面軍や過去にうしなった魔人種共々すべて、わたくし名の下に許しましょう」


「ちょ、ちょっと待ってそんなのって——」


「わたくしは、争いを好みません。これまでの遺恨を未来の子どもたちに残さぬために、すべてわたくしの代で終わらせたいのです」


「なッ……」



 ギリッと、奥歯から音がなった。無意識のうちに握りしめた手のひらに爪が刺さり、血が流れる。



「なので、あなたたちも受け入れてはくれないでしょうか? 許せとは言いません。ただ、争わずに干渉しない……最低限、血を流さないよう尽力しませんか?」


「っ……ふざ、けるなよ……ッ! ふざけるな魔人種ッ!!」



 たまらず、私は声を荒げた。


 脳裏で、四年前の地獄が明滅する。


 争いが嫌い? 

 

 血を流さないよう尽力?


 ふざけるな、どの口が言ってやがる……!



「なら——なら、なぜ私の同胞を殺した?! なぜ私の仲間が死ななくちゃいけなかった!? そこの魔人に殺させたのはお前だろうッ!?」



 数人の魔人に囲まれ、治療されているヴァレリアとバルベリトを指さす。


 あの二人が殺したのだ。みんな……みんな。私の仲間たちを——。



「四年前……みんなが殺されてなかったら、私は魔王だけを憎み続けていた。——お前らが、始めたことだろうが……ッ」


「自慢気に苦労話をするのはやめませんか。老人ではあるまいし」


「———」



 瞬間、私は自らを抑えきれずに剣を抜き、飛びかかっていた。袈裟に振り抜いた剣は、しかしシュティーナに届くことはなく、



「あなた方だけが胸を痛めているワケではありません。わたくしたちも、先人からの忌まわしい引き継ぎのせいで数多くのものを失ってきました。故に、終わりにしたいと願う。そう思うのはおかしなことでしょうか?」


「思ってるよ……ッ! 願ってもいるよ、けどそう簡単に割り切れるようなモノじゃない……仲良く不干渉しましょうって手を取り合うには、遅過ぎたんだよ……ッ」



 老執事に、いとも容易く二本の指で挟まれた剣。どれだけ力を込めても、ピクリともしない。凄まじい指圧で、剣を止められている。


 それどころか、この執事は私に一切目線を合わせていない。歯牙にも掛けていない。取るに足らない雑魚だと言わんばかりに、足元に転がった剣を拾い上げただけだと言わんばかりの表情で、飄々としていやがる。 


 そのすぐ傍らで、何事もなかったかのようにティーカップを啜ったシュティーナが話を続けた。



「では猶予を決めましょう。そう簡単に割り切れないのは、ええまったくもってその通り。なので、しばらく時間をかけゆっくりと考えてください。先にも言いましたが、わたくしの名の下に、人間種より受けた数多の非道を許しましょう」



 シュティーナが瞳を細める。穏やかに、ふわりと舞う花びらのような奥ゆかしさを帯びながら。


 

「——どうして、そんなふうに笑えるんだよ……ッ」


 

 同じ気持ちではないのか?


 お前も、殺されてきたんだろう。憎んできたんだろう。なら同じ感情を深く抱いているに違いないのに。


 どうして、お前はそうやって笑える許せる



「……争うなり、相互に不干渉を決めるなり、はたまた友好的な関係を築くなり、それら全てを決めるのは最後——魔王をこの宇宙から消し去った後に、じっくりお茶でも飲みながら話しましょう」



 時を巻き戻すかのように、シュティーナは当初の議論を投げかけた。



「お嬢様。お席にお戻りになられてください」


「………」


 

 マリィに諭されるように言われ、私は剣に加えていた力を緩めた。敵意がなくなったと判断したのか、老執事は何事もなかったかのように指を離すと、初めの位置に戻った。



「ふんっ……それで?」



 席にふんぞり返った私は、シュティーナをめつけながら問う。



「面倒なことは後回し。それはいい、賛成する。それで、魔王が云々って話……協力しろって、そんな話に乗ると思う?」


「わたくしたちもあなた方同様、魔王に何度も煮湯を飲まされています。人間種あなたはまだ話の通じる方ですが、魔王の多くは話し合いがイコールで殺し合いという、野蛮な方ばかり。故に疎ましく、獣染みたアレらを消し去りたいと願うのです」



 瞼の裏で、一人の妖女が嗤う。そのほとんどがぼやけて覚えてはいないが、鮮明に覚えているのは、嬉々として故郷の住人を皆殺しにしていた姿。私に、手を伸ばす母の皮を被った魔王バケモノ。そして、どうしようもない怒りと憎悪。


 シュティーナの言う通り話し合いにならないのは明白で、そもそも興味を示すような輩ではないと私も感じた。



「そして、魔王を討てばわたくしたちの関係も改善される見込みがあります」


「見込み……?」


「要は、安易に手が伸ばせないところへと互いに身を置くこと。魔王を打倒した暁には、魔王の支配領域の一つを譲っていただき、そこを我々大旆を掲げる者フライコールの星にすれば争いが起こることもないでしょう。互いに相互不干渉の掟を結べられば、の話ですが」


「ちょっと……待ってほしいんだけど」


「はい?」


「どういうことなのか、さっぱりなんだけど。星って、お前……魔王の支配領域は、この星に存在しないって……そういうふうに聞こえるんだけど……」


「そういうふうに言っています」



 どうしよう。頭がパンクしそうだ。理解できるけど信じられないことばかりで、頭が痛くなってきた。



「う……薄々、この大地に魔王がいないのは気がついていたけど……」


「この件に関しても、同盟を結んでくださるのでしたら全てお話ししましょう。我々が持ち得る、魔王の全ての情報を開示します。魔王を打倒する、という並々ならぬ目的を掲げていても、魔王の居場所がわからなければ無駄足どころか失笑ものですよ」


「チッ……」


「言っておきますが、武力行使も意味がありません。体験した通り、わたくしのスキルは時の逆行。まあ、記憶を引き継いでいることに関しては正直おどろきましたが。むしろ話が早くて好都合でした」



 私の考えていることは全て見透かしている、か。つくづく、嫌な女だ。一眼見た時から感じていたが、シュティーナとは反りが合わないのは絶対の事実だった。


 しかし、と一度深呼吸をして、ざわつく心を落ち着かせる。


 シュティーナの言う通り、散々殺すだのなんだの喚いているくせして魔王の居場所を知らないのではいい笑いものだ。馬鹿にされるのも当たり前で、彼女の言葉を借りるなら失笑ものだ。


 さらに、闇雲に魔王を探しても見つからないということを知ってしまったのだ。情報量というアドバンテージは向こうにあって、しかも武力で吐かせられないときた。



「ああああああ、つくづく……つくづくあんたの手のひらってワケ!? 腹立つよ、こんな煮湯を飲まされたのはいつぶりだろうかッ!?」


「落ち着いてくださいお嬢様」


「お嬢が荒れてる……」


「まったく話についていけねえ……あたしもムシャクシャしてきたぜ」 


「なんかお前、早死にしそうだな」


「あァ?」



 後ろが何やら騒がしいが、私は髪を掻きむしるのをやめて大きく息を吐くと、アルマに視線を投げた。



「助言をおくれよ、アルマ。一人で決めるには重すぎる内容だ」


 

 実質、私が人間種代表のようなものだ。これを受け入れるということはすなわち、全人類の総意だとみなされ、最悪全人類を敵に回す可能性がある。


 それもそうだろう。大国のほとんどが魔人種に対し手を加えていないとはいえ、憎んでいないはずがない。武力、資金、時間があれば魔人種殲滅のために動いてもいいよってぐらい、私たちと断絶してはいるが。


 それに魔人種・魔王殲滅のために作った部隊になんて説明する? 志を共にして出資してくれている皆様になんと説明すればいい?


 魔王を斃すために魔人種と手を組みました? ——阿呆が乱心か、と王家に密告され処刑されるかもしれない。


 だからといってここで断ると、永遠に魔王の居場所を掴めず一生後手に回ることになる。魔王が攻めて来た時に迎撃すればいいのでは? と、そういう意見もあるがそれでは遅いのだ。


 津波に襲われてから逃げるという考え方は致命的を通り越してイカれてる。津波を起こさないために先手を打たなければ、ありえないほどの災害を被ることになるのは自明の理。



「ふふ……」


「チッ……」



 せめて——せめて、こいつの弱点さえわかれば……スキルの穴さえ見破れば、力尽くで吐かせてやるってのに……ッ!



 歯痒い思いに頭がかち割れそうな傍らで、アルマは余裕気に煙草を燻らせながら妙案を導いた。



「実績作りからはじめようぜ」


「……実績?」


「そうだ」



 うなずいて、アルマは私の前に出た。


 

「信用しろだの許せだの、言葉では何度でも言えるしそれを飲み込めだなんて土台無理な話だ。だからそれを証明するにたる実績をみせろ」


「ごもっともですね。口頭で伝えるより結果を見せるのが手っ取り早い。しかし、具体的に何をすればあなた方の信頼を勝ち取れますか?」



 シュティーナの問いに対し、アルマは吸い切った煙草をその場に落として靴の底で捻るように踏みつけた。


 

「アンタ方のお誘いに応えて、一緒に魔王を倒せばいい」



 まさか肯定されるとは思っていなかったのか、シュティーナはぽかんと口を開いた。


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