025
「……嫌な夢をみた……気がする」
のっそりと体を起き上がらせる。頭が痛い。体の節々が凝っていて、長旅の疲れを感じさせた。
それもそのはずで、第三方面軍の跡地を出発してから丸一日、ほぼ休みなく馬を走らせている。いくら鍛えているとはいえ、流石に馬が
「起きたか、お嬢。もう少しで
「おはよう、アルマ。ごめんねえ、夜通しで馬車走らせちゃって」
「いいや、野宿するより早く帰って美人の胸で眠った方が疲れも癒えるしモチベも上がる」
「ふぅん? 帰ったら私のおっぱいを堪能してみる?」
「冗談でもやめてくれ。
言われ、隣を見るとマリィが凍てついた瞳でアルマを
馬車内の温度が急激下がったように感じる。寝袋にくるまって寝ていたフリージアとルドベキアが、夢の中でうなされながら自身の体を抱いて震えていた。
「まあまま、そう怒らないでよマリィ。冗談に決まってるじゃないか」
「お嬢様は少々、男性との距離が近いと思います」
「そりゃあ、仲良くならないと仕事が捗らないからね」
「適切な距離を守ってください。お嬢様にそういう気がなくても、男性は勘違いしてしまう生き物ですから」
「あー、それはわかるぞ。高嶺の花よりすぐやれそうな女のほうがモテそう――悪かったって、オイ。危うく煙草と一緒に指が切れるところだったろうが」
「………」
今にも噛み付いていきそうなマリィの無表情、というよくわからない矛盾。
アルマは道端に落とした煙草を名残惜しそうに見つめて、ため息を吐いた。
「今の……最後の一本だったのに……」
「え、えと、王都に帰ったら箱で買ってあげるから! もちろん経費で!」
「お嬢様、趣向品は経費で落ちません」
「エヴァなら腋ペロでどうにかなるよ」
「ちょっと待ってくれ、なんだその美味しそうなプレイ。俺も混ぜろよ」
「お嬢様、しっかり消毒を行ってから脇を舐めてくださいね」
「お前の基準がわからんぞ……腋ペロはいいのかよ」
「お嬢様に害がなければ構いません」
「俺と寝るのは?」
「お嬢様の処女膜が破れます。それは断じて許されざる行為。誰であろうと許しませんし誰であろうと許しません」
「相当許せないのはわかったから、その糸しまえ」
「マリィ、危ないからしまいなさい」
「……ハイ」
渋々引き下がり、
無表情で無感情、機械のようにおとなしいです、みたいな顔をしておいて案外話せるヤツなのでそこがまた一段と可愛いのだ。なので、私はもう一度マリィの膝枕を堪能するため寝そべった。
「……約二週間ぶりの帰還かな」
クアシャスラ王国、王都クライスタ。
そこに私たちの
「第五方面軍を潰して、帰還したその次の日に第三を潰しに進撃……今度はゆっくり休みたいところだけど——」
「あの、ごめんなさい……わたしのせいで、ご迷惑を……」
起こしてしまったのか、寝袋にくるまった状態で座っていたエレオノーレが申し訳なさそうに顔を歪めた。私は、すぐに首を振って否定する。
「違うちがう、エレオノーレ。キミは謝らなくていい。どのみち潰さなきゃいけないと思ってたし、救出はそのついでっていうか」
「——わたし、恩返ししますから」
そう食い気味に、エレオノーレは言うとモゾモゾと距離を詰めてきた。私の手を握り、セリンセに似た笑顔と耳をピクピク震わせながら、エレオノーレは決意を滲ませた。
「わたしは、テレジアさんについていきます。そしてお手伝いさせてください。わたしも、魔人種と魔王を根絶やしにしたい」
「それは……うれしい、けど……」
セリンセは、どう思うだろうか。ふとそんなことを考えてしまう。
私を手伝うということは、嫌でも血を浴びて血を流す、屍山血河の魔道。
その道に、セリンセの忘れ形見を引き摺り下ろしてもいいのだろうか。彼女まで汚れる必要はないのでは……いや、違う。
「キミまで、私は失いたくないよ……」
「テレジアさん。わたしは、失わないために戦うんです」
彼女の鼻先が私の鼻先をくすぐった。馬車のちょっとした揺れで唇がくっついてしまいそうなほど近い距離で、エレオノーレは言う。
「もちろん復讐っていうのもあります。でも、それと同等くらいに失いたくないと思ってる。友達とか、小さい頃からお世話になってる人とか……もうたくさん、失ってきたから。だから、もう手から溢れてしまわないように、戦いたいんです」
「エレオノーレ……」
「わたしも、あなたと一緒に戦わせてください」
熱意の灯った眼光に、私はとうとう何も言えなくなってしまった。彼女はきっと退かないだろう。そもそもの話、私に彼女を説得する資格などない。
セリンセの代わりには、なれないのだから。
「ま、いいんじゃないか? 俺は歓迎するぜ」
こちらに目も向けず手綱を引くアルマは、いつもの調子で言った。
前方から、王都の街並が見えてきた。
夜明け前。
生命の気配を感じさせない、暗く凍り付いた景色。
私たちの、帰る場所。
「人数が多いってことは、それだけ可能性があるってことだ。開花したスキルによっては大きく貢献してくれるかもしれないし、使えないスキルでも嬢ちゃんは獣人だ。身体能力にモノを言わせたゴリ押しを叩き込めば壁としての役割ができる」
「壁でも、なんでも構いません。わたしの槍を買ってください。使い潰しても、囮としても、奴隷としてでも魔人を殺しますから」
凄絶な信念をもって訴えかけるエレオノーレ。私は、少しだけ悩んでから、首を縦に振った。
「……わかった。でもキミの面倒を見るのは私やそこのアルマではなく、モーゼスという教官だ。彼のお墨付きをもらうことができたのなら、魔王との戦闘に参加してもいい」
しかし、と。私は彼女の肩に両手を置いて、顔を引き剥がす。
「私と一緒に来るってことは、私に死ねと言われたらすぐさま死ねるってことだ。キミは、私に死ねと命令されたら死ねる?」
「死ねます」
「ひゅう、即答かよ」
微塵も迷いのないその返事に、逆に何も考えていないのではないかと疑ってしまうが目つきは真剣そのもの。おそらく、本当に死ねと命令したらその槍で己が心臓を穿つに違いない。それほどの意思の強さを感じた。
馬車が検問に入る。あらかじめ渡しておいた通行許可証をアルマが衛兵に見せると、眠たげに揺蕩っていた瞳が見開かれ、大袈裟すぎる敬礼とともに門が開かれた。
「もう降参。わかったよ、あーわかったーっ! うぅぅぅぇぇぇぇ〜〜〜っ! もうどうなっても知らないからね、エレオノーレっ! 知らないんだからっ!」
マリィに体を預け、やけくそ気味に騒ぎ出した私を見てエレオノーレが目を白黒させた。アルマが、いつの間に衛兵からパクったのか、煙草を咥えながら笑った。
「王都に入るといつもこうだ。張り詰めめていた緊張の糸が切れ、スイッチが入れ替わったみたいにキャラが崩れる。まあ、反動ってヤツだな」
「は、はあ……なんか、幼児退行してるみたいで……かわいい」
「幼児退行? なるほど、言い得て妙だ」
「お疲れ様でした、お嬢様。きょう一日はしっかり休んでください」
「休めないよぉ、報告しなきゃいけないことがいっぱいだよ〜〜〜ぉぉぉっ! うっぜえんだよあのシュティーナって魔人、お嬢様気取りやがってくそ、大人しくぶっ殺されてろってんだあああ〜〜〜〜ッ」
マリィに後ろから抱かれながら、私は屋敷に着くまでの数分間を、溜まっていたものを吐き出すかのように騒ぎ続けた。
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