020

『もしー? 聞こえるかい、アルマ。そっちの進捗はどう? 楽しんでるかい?』


『傭兵ってのは、戦場に楽しみを見出すのが得意なんでね。よだれが止まらないくらいに遊んでるよ、お嬢。そっちはどうだ? 例の心残りとやらには会えたか?』


『うん、無事にねー。そろそろ一掃しちゃおうと思うから、ロベリアにお使い頼んだとこ。アルマも早いとこ切り上げて私の元まで集合。時間は、そうだね……』



 溢れそうになる笑声を抑えて、私は目を細めた。目線の先、喉の奥から含み笑う一人の魔人が、半壊し赤い血が波紋する噴水の縁から立ち上がった。



『――十分、ってところかな』


『了解。十分後に会おう』



 そして通信が切れる。タイミングを見計らって、魔人が演技のかかった口調と仕草で言った。



「カカッ……おいおい、おいおいおいおいおい。マジかよてめえ、十分そこらでオレをれると思い上がってやがる。ああ、おもしれえ。なあ、おい。そうだよなあ、てめえは四年前からギャグセンだけはずば抜けてたぜ」


「そういうキミは少し老けたかな? ヴァレリア・ルスチアーノくん」



 襟元まで伸びた黒髪。釣り上がった紅の瞳は獰猛な獣のように力強く、手足はしなやかで長躯。大旆を掲げる者フライコールの軍服に身を包み、外套を半分だけ羽織ったヴァレリアは四年前と少しだけ装いを変えていたが、その本質は何も変わっていなかった。


 有り体に言って殺戮。豪華絢爛を地で行く魔人種にしては異質なかの魔人は、首の関節を鳴らしながら心底嬉しそうに言った。



「まったく、甚振り甲斐のあるイイ女に成長しちまってよォ……もうサルだなンて言えねェな。逃した魚が色気つけて腰振って会いに来やがった。興奮しねェ男は男じゃあねえ」


「キミ、四年前から思ってたけどモテないでしょ? そんな粗暴と言葉で口説けるのなんて娼婦だけだよ」


「あいにく、欲しいと思った女は片っ端から手に入れてきた男だ。テレジア、てめえもすぐオレの虜にしてやるよ」


「私と寝たいならまず人間種に新生してくるところから始めてもらいたいところだけど」


「バカいえ、誰が劣等種に鞍替えするかよ死ンでも御免だぜ。しかし、まあアレだな。オレぁゲテモノもイケる口だ、人間種のてめえでも快楽地獄に、それこそ十分で落とし込ンでやるぜ」


「早漏アピールは同種の犬とでも競い合ってなよ」


「ハッ、いいぜ生意気な女を自分好みにするのも一興だ。身ィよじらせて喘がしてやるから、股座またぐら濡らしとけェ―――ッ!!」



 咆えて、地を踏みしめたヴァレリア。硬い地面にくっきりと足跡を刻み、颶風ぐふうと化す姿は獰猛な獣のそれ。獲物を逃さぬ、野犬――四年前にも見た、忌まわしき魔人の姿だった。



「テレジアさん……ッ」


「動くな。そこに立っているだけでいい」


「ッ!?」



 反射的に動き出そうとしたエレオノーレを手で制して、私も自身の言葉にならって動かない。


 そう、エレオノーレ同様、私も立っているだけでいい。元来、大旆たいはいとはそういうモノだから。率直に言ってしまえば、象徴たる私の役目ではない。



「ヒャァァァァッ――!!」



 迫る獣の爪牙。歓喜の咆哮を撒き散らし、開いた五指の第一関節を鉤爪のように尖らせて、ヴァレリアが横薙ぎに構える。


 すでに距離は埋められた。回避行動を取るには、あまりにも遅い。反撃の手段は、それこそ抜剣術の達人でもなければ覆すことはできないだろう。


 凡夫たるこの身では、剣を抜くどころか手が鞘に届くその前に裂かれて絶命してしまうだろう。完全に手段がない。


 ああ、本当に――四年前もそうだが私は、こいつを前に何もすることができない。打つ手がないとはこういうことで、多少冷静に状況を視てとれることができるようになったとて、それは変わらない。


 強いな。いやまあ、それは最初からわかっていたことで。


 もしかしたら、なんて考えは一瞬で消え去った。だって、当然だ。ヴァレリアは他の魔人と違って思い入れがある。一種恋のように焦がれているのだ。


 いつかではなく、今すぐに殺してやりたいと、そう願わずにはいない日はなかった。


 だから、そう。私の手で殺せるのなら、たとえ片腕を千切られようともそれでよかったのだ。殺せるのなら、たとえ半身の機能をぶち壊したってよかったのだ。


 けれどその想いは絶たれて――



「はい、ネガティブ終了。ウジウジ考えるのは私らしくないッ」


「――左様でございます。お嬢様」


「ッ―――!?」



 高速でひらめいた獣の一閃は、しかしこの身に届くことはなく。


 突如として出現した侍女の回し蹴りが攻撃の軌道を無理やりずらし、続けて放たれた後ろ蹴りソバットがヴァレリアの腹部を穿つ。


 まるで友との記憶を思い返すように、一瞬にして過ぎ去っていく一連の暴力。さすがのヴァレリアとて防ぎ切ることはできず、後方に押しやられて苦渋に顔を歪めた。



「しかし、たとえ暗雲に染まろうともお嬢様の魅力にかげりはございません。いいえ、わたくしがそうはさせません。どのような相手であろうと、お嬢様のお気に触れる輩はたとえ彗星であろうと地上に叩き落として差し上げましょう。

 故に――」


「オイ、てめえ……何者だ?」


「ヴァレリア・ルスチアーノとお見受けしました。早速ですが死んでいただけないでしょうか」


「――ッ」



 言い終えるよりも速く、何かが地面を引きずった。超高速で地面に十の亀裂が、ヴァレリアの後を追って走る。



「カカッ、ンだてめえ、人様の決闘に土足で踏み込んで来てンじゃあねえよクソアマがッ!! しかもなンだ、そりゃあ……育ちの良さでもアピってンのか、あァッ!?」



 それは糸だった。いや、それを糸と呼ぶにはあまりにも禍々しすぎた。


 ピアノ線のように細く、目を凝らさないと視認すらできないそれらが無数に動き、名匠に砥がれた魔剣のごとく切れ味をもってヴァレリアに襲い掛かる。



「マリィ。大将首は?」


「こちらに」


「っ!? そ、それは……うそ!?」



 振り乱した髪を掴み上げ、持ち上げたのは第三方面軍を統括する大将軍マクシミリアン・マーテンソンの首。


 私の命令オーダーを忠実にこなしたマリィの頭を撫でる。彼女は、気持ちよさそうに目を細めて私に身を任せた。その後方では、嵐のような凶暴さでヴァレリアを追い詰めている。



「マクシミリアン……っ! マクシミリアン、マクシミリアンが死んでるっ!?」


「嬉しいのはわかるけど、不必要に血を浴びる必要はないよ。エレオノーレ」



 マクシミリアンの生首を見て、動揺しながらも袖下に隠していたナイフを抜き放つエレオノーレ。逆手に持ったそれを振り上げたところで、私は手首を押さえた。



「でも……でも、こいつは……わたしが殺すって決めてたんです……ッ」


「もう死んでる。獲物を横取りにしたようで悪いけど」


「せ、せめて一発やらせてくださいっ!!」


「そんな余裕はないよ。まだ敵はそこにいるんだから――マリィ」


「はい」



 不服そうに生首と私を交互に見やるエレオノーレは一旦置いておき、私はマリィに新たな命令オーダーを下す。



「私とアイツの格の違いを見せつけてやるんだ。

 私を逃したこと、弄んだことを後悔させてやれ。

 悔いるように、あの時はごめんなさいと死んで詫びさせろ。

 無様に、のたれまわる犬のように、尊厳を侵して殺せ。誇りをズタズタに引き裂いてやれ。

 喧嘩を売る相手を間違えてるぞチンピラ風情がと、盛大に唾吐きながら蹴り殺してやれ。

 視覚を殺し、聴覚を殺し、嗅覚を殺し、味覚を殺し、触覚を殺して、さらに殺せ。

 自分が、どれほどの過ちを犯したのか理解させてから殺せ。

 肉片一つ残さず殺せ――死を降らせ」


御意イエス――我が主マイ・ロード



 鋼剛線カンビオ――すべての線の統括者たるマリィ・フランソワーズは、恭しくお辞儀カーテシーをもって命令を受け入れた。そして長いスカートを揺らし、踵を返した彼女は踊る。


 到底、常人には使いこなせないその武器を、まるで手足のように振るい、狩猟を楽しむ狩人のように、あるいはオーケストラの指揮者がごとく鋼剛線カンビオを奏でる。



「チッ、おいクソメイド……てめえがそこの坊ちゃんヤったのか?! あァッ!?」


「だとして、あなたはどうします? 怒りますか? それとも生娘のように鳴きますか?」


「上等だゴラ、大好きなお嬢様の前で盛大に辱めてやっから痛くねえように股濡らしときな」


「総じて下品。あなたの評価など所詮その程度――野垂れ死にがお似合いです」


「劣等種風情が人様を犬扱いか? ――ふざけろ、オレぁこのオレ様を侮辱するヤツは上官だろうと許さねェ」



 吹き荒れる鋼剛線カンビオの斬風を紙一重で躱し、肉薄する隙を虎視眈々と狙っていたヴァレリアの表情が歪む。狩りを楽しんでいた目が、殺意に染まる。お遊びはお終いだと言わんばかりに、彼のまとう気配がイロを変えた。


 私は、この気配を知っていた。この感覚を知っていた。


 身の毛もよだつ、得体の知れない寒気。ミシミシと空気が震え、死人の腕に抱かれたかのような重厚な殺気の渦。一瞬にして、私の仲間たちを食い散らかした巨人の足跡――



「死圧に揺蕩たゆたえ――」



 予感は的中した。あの日と同じ解号が鼓膜を舐る。空気が、景色が目に見えて変わっていき、ヴァレリアを中心として薄黒いなにかが溢れ出す――



黒穴の特異点シュワルツシルト・コラプサー


 

 瞬間、空気が歪む。気圧が歪む。景色が歪み、地面が歪み、やがて息苦しさとともに両肩に重圧が襲った。


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