018

 目にも止まらぬ黄金の破壊光。

 それがまさか一匹の、巨大な獅子による突進だと誰が理解できるだろうか。


 ほぼ反射的に上空へ、あとわずかでも避けるのが遅れていたのならきっと今頃、直線上に伸びた地平線のごとく抉れ伏していただろう。



ベリトらの一撃を初見で躱すか! いやはや、まことに人間種にしておくにはもったいない御仁だ、お主は」



 地上より、見上げ賞賛するバルベリト。その傍らには侍るようにして、一匹の獅子がいた。黄金の立髪に黄金の双眸。荘厳たる佇まいと気迫をもって、バルベリト同様、その獅子はアルマを見上げて咆哮を轟かせた。



『■■■■■■―――ッッ!!!』



 体長二メートルをゆうに超えるその図体から放たれた音の暴力が、周囲の瓦礫を粉砕しアルマの骨を軋ませた。胸を圧迫する凄絶な咆哮に、しかしてアルマは動揺ではなく笑みで返す。



「初心に帰ってみるのも悪くないな。俺も昔は、よくその手の相手と戦ったものだ」


ベリトの半身をそこらの魔物と一緒にするでないぞ。何故なら此奴は、悪魔であるベリトの血肉と魂より出でし、破壊の首領にして我が覇道の具現そのもの、ええとつまり―――最高なのだッ!!」


「お……おう、そうか」


「そういえば、お主の名を聞いてなかったな! うむ、名乗るがいいぞ!」


「調子が狂うな……そも、年頃の女ってのは悪魔が好きなのか? それとも流行り?」



 今朝にも悪魔というワードが出てきたことを思い出す。


 彼の雇い主クライアントであるテレジア・リジューは四年前、地獄を脱するために悪魔に魂を売ったという。


 それが例え話なのか、あるいは不退転の決意の表れなのかはわからないが、巷で少女たちの間で流行っているという線も拭えない。



「バカ者、ベリトは真に悪魔の末裔……いや生まれ変わりなのだ! 観よ、そして讃えるがいい! 我のこの美貌をッ」


「……あー、えっと。俺の名前はアルマだ。よろしく」


「なんだなんだ、そのヤンチャしてた癖に新しい学舎ではあまり目立ちたくないけど舐められたくはない転校生、みたいな自己紹介ノリは!?」


「おいおい、お前こそなんか趣旨がズレてきてるぞ落ち着け」


「むぅ……まあ、お主の言う通りだ。この手の話題は、血の掟に繋がれし盟友たちとの間でするよう戒律が敷かれているのだったぞ」


「戒律思いっきりぶち破ってるじゃねえか」


「聞くがよい、愚かな匪賊ひぞくよッ!! ベリトの名はバルベリト・マドレーヌ! 誇り高き魔人種、大旆を掲げる者フライコールの将軍であるッ」


「会話が成立しないタイプか……こういうタイプってのは、話していて疲れるんだよ」



 故に、言葉を交わすくらいなら剣を交えていたいと思うのが率直な感想。雇い主クライアント命令オーダーを遂行できるし、ついでに敵討ちと言ってはなんだが、雇い主クライアントの抱える闇の一つを取り除けるかも知れない。


 おそらくは、それを望んでいる節もある。そうでなければ、状況開始前にあんな話などしない。



「もう言葉は要らんだろ」


「応ともッ――くぞぉッ!!」



 気勢とともに、地を踏みしめたバルベリト。痛みを感じさせず、傷口を庇うような動きもない。むしろ今が最盛期だと言わんばかりの加速で、剣を駆る。さらにその後方、追従するように牙を剥く黄金の獣が、巧みな連携をもってアルマに襲いかかった。





 轟音。建物が揺れ、骨組みが軋みを上げる。唯一の明かりを差し出す縦窓からは、鉛色の雲だけが妖しく漂っていた。窓ガラスを震わせる、気勢と啖呵と、断末魔。



「いったい……何が起きてるの?」



 つい一時間ほど前に部屋を出て行った男……憎き魔人種であり、いけすかない色男であり、彼女をここに連れてきた輩の長マクシミリアン・マーテンソンは、たしか招かれざる客だとか助けに来た仲間だとか言っていたが……。



「……わたしを、助けに来た?」



 まさか、そんなはずない。エレオノーレは首を振って否定して、でもそのもしかしたらに酷く心を揺さぶられた。


 捕虜として、破格の待遇を受けている自覚はあった。本来ならどういった扱いを受けるのか、想像は難くない。いくらここを取り仕切っている男に、なんの因果か知らないが気に入られ守られているとしても、それがいつ破壊されるのかはわからない。


 マクシミリアンの言う通り、この部屋から一歩でも外に出れば、どうなるかわからない。あるいは何かしらの失言でマクシミリアンの機嫌を損ね、放り出されるかもしれない。


 いくら強情を面に出しているとしても、彼女はまだ齢十七の少女。怖くないはずがなかったし恐れも当然あった。死の危険を間近に感じて、震えずにはいられない。狂ってしまってもおかしくはなかった。


 けれど、そうならないのは。


 魔人に媚を売り、機嫌を損ねないよう、それこそ愛玩動物のように振る舞い、自身の寿命を延命させようと必死にならないのは、人間種としての誇りがあったから。――否。


 信の置いた仲間たちが、ギルドを通じてたくさんの救援を引き連れ、必ず助けに来てくれると信じているから。――否。


 否だ。そもそも前者の、人間種の誇りというモノを誰かに示された覚えもないし後者などファンタジーだ。一介の、C級程度の冒険者を助けるためだけにギルドが魔人種とことを構えるなんてありえない。



「……姉さん」



 死にたくないのは当然で、怖くないはずなんてない。犯されたくないし痛いのは嫌いだ。ただでさえ、男という生物に嫌悪を拭えないというのに、無理やり抱かれるのなんて死刑宣告に等しい。複数人に囲まれてそうされるのだって、ああもう死んだ方がマシだ。


 それでも、それでもと、エレオノーレは袖下に隠したナイフの感触を確かめる。


 マクシミリアン・マーテンソンという男が、紳士であろうとしてくれてよかった。布を剥かれ、素肌の先まで得物がないかを確かめるような下衆ではなくて、本当に。



『――事実、君は逃げるそぶりを見せないしその足枷だって傷ひとつない。すでに頭では理解しているんだ、この待遇のままで居たいと。外に出た時の未知を想像して、それならここに居たほうがまだマシだと』


『違うわ』


『あなたを殺せる機会を窺っているだけ。ここを逃げることができても、わたしはあなたを殺さないと気が済まない』

 


 あの時、あの言葉に偽りはない。マクシミリアンはただの強情、強がっているだけの無抵抗な女だと思っていたに違いないが馬鹿め、格下だと侮るから隙を突かれる。


 足枷を壊さないのは、必殺の好機を狙っているからに他ならない。あんななりで警戒心が強いのだから、こちらも必死だ。媚を売るより素直な反応が男心をくすぐると聞いたことがある。まさかそれが魔人種にも通用するとは思わなかったが。



「必ず殺す……」



 一矢報いる。雑兵を百人殺すより、指揮官一人を殺した方が大きい功績になるのは自明の理。故にその後どうなろうと構わないという覚悟をもって恐怖を押し潰し、エレオノーレは待った。待ち続けた。

 

 勝機を。

 好機を。

 叛逆の一手を。――姉の、仇を。



「―――」



 足音が響いた。この部屋の唯一の出入り口であるあのドアの奥から、足音が響いた。


 ――マクシミリアン? 違う、石畳を擦るようなこの音は違う。彼は歩き方さえにも気を遣うような男だ。こんな下品な音は立てないだろう。ならば、もしかして。


 彼の言った通り、本当に仲間が助けに来たのかもしれない。マクシミリアン以外で、この部屋を訪れる魔人はこれまでいなかった。近寄ることさえなかったのだ。他の魔人が来る可能性は低い。


 だから、やっぱり本当に――



「……そんなわけ、ないじゃない……」



 淡い希望に縋りそうになるかぶりを振り、己の弱さを呪う。


 他人を信じるな。信じていいのは、己だけ。戦う意思だけ。心の中でそう反芻はんすうして、食い入るようにドアを見つめた。


 真っ直ぐこちらに向かって来ている。誰かわからない。意図もわからない。ただ、警戒は怠らぬよう袖下に隠したナイフの冷たさを肌に押し当てる。


 やがて、固唾を飲むエレオノーレの視界で、ドアが勢いよく開け放たれた。蹴り開けるように。瞬間、嫌な予感が脳髄を駆けて足先まで巡回した。


 そして、嫌な予感というヤツは的中する。当たり前だろう。嫌な予感とは、嫌なことが起こるから覚悟しておけよ、という前触れのようなもの。暗雲が立ち込めたから雨が降るよと、そんな当たり前のことを言っているようなことに過ぎない。


 稚児でもわかる。この如何にもな連中は、問いただすよりも早く剣を抜くだろう――と。



「ふざけやがってこのアバズレがッ!! テメエら人間種のせいでどれだけ死んだと思ってやがるクソがッ!!」


「どうせ死ぬんならよ、どうせ死ぬんならよォ!? 最期の悪足掻きってヤツで上司の女めちゃくちゃに犯しちまっても構わねえよなァッ!? どうせ死ぬんだからよぉぉぉぉッ!!?」


「……ッ」



 めちゃくちゃな二人だった。さえずる言葉もそうだが見た目もそうだ。めちゃくちゃだ。両者ともに無事なところはない。屈強な体の一部分は炭化し、あるいは片腕をきれいに切り取られ、あるいは頭蓋骨が斜めに露出し、あるいは数本の矢が体の一部と化していたりと、外で行われている戦闘が凄絶なものだということを証明しているようだった。


 後方の廊下に続く致死量とも思える血痕。どうして生きて、喋って歩けているのだろうと一周回って賞賛したくなる惨状の男二人が、ジリジリと血走った目で距離を詰めてくる。動かないのか足を引きずり、抜いた剣をも石畳に添わせて。



「チクショウ、チクショウ痛えよ痛えッ!! ふざけんなあの売女が舐めやがってクソぉぉぉッ!!」


「おい脱げよ逃げんな、こっちはもう我慢できねえんだよ死にそうなんだよ!? お前にわかるか頭蓋骨が寒いんだよぉぉぉぉッ!!? あっためてくれたっていいだろうがよ―――ォォッ!!」



 正気を失っている。もはや死んでいるのも同然だった。あの魔人種が、まるで人間種のように荒々しく汚い言葉を、獣のような本能に突き動かされている。


 魔人という種の根底にある、絢爛華麗、花朝月夕かちょうげっせきといった概念をも覆し獣性に染め上げた連中は、いったい――?



 ――いや、それよりも、現状を打破することを考えろ。



 彼我との距離、わずか十メートル。背後には壁。足枷で動ける範囲はなかなか広いが出口までは辿り着けないし引っ張られたら終わりだ。


 なら手持ちのナイフで足枷を破壊する? ――いや、そうすれば得物を持っていることがバレてしまうしマクシミリアンへの必殺という勝機が消えてしまう。足枷に繋がられているからこそ、マクシミリアンは油断しているのだ。足枷は、事が済むまで壊せない。


 だけど、そうするとナイフで迎え撃つという手も、マクシミリアンの必殺を狙うのであれば使えない。死体を見られたら、どうやって殺したのか露見するだろう。マクシミリアンの警戒が、さらに強くなる。今度こそ、服を剥かれてナイフが見つかるかもしれない。そうすれば、エレオノーレに勝利はない。


 彼我との距離、五メートル。


 徒手格闘で倒せる? 弱点は探らずとも目に見えている。傷口を執拗に狙えば、あるいは。けれど、その重症でここまで来た屈強な男たちだ。武器を持たない小娘一人を気力と僅かな握力でねじ伏せるのなんて容易いだろう。


 どうする? どうする? どうすればいい? どうすれば――


 考えて、考えて、考えて。エレオノーレは、結果……抵抗をやめた。



「わたしを、抱きたい?」


「だからこれからぶち犯すって言ってんだよッ!?」



 胸ぐらを掴まれ、床に叩きつけられる。肺の中の呼吸が一瞬で飛んだ。鼻が痛い。折れたらどう責任とってくれるのよ、なんて考えていると、次は腰を持ち上げられた。硬くて、ゴツゴツとした太く長い指が布越しに肌に食い込んだ。


 痛い。遠慮のない、まるで道具でも使うかのように指が肌に食い込んで、スカートが引き千切られる。下半身が露出して、小さな悲鳴が漏れた。正面に立ったもう一人の男が、軍服の金具を緩める作業に取り掛かっていた。


 犬のように四つん這いにされて、ああここでわたしは、純潔を散らされるのねとか涙ながらに唇を噛んで。


 これも、あいつを殺すため。犯されまわされて弱々しくなった女を見て、流石に警戒する馬鹿はいない。紳士を気取っているなら尚更で、その隙を遠慮なく使えばいい。


 そう、これは必要なこと。


 敵を欺くために、必要なことで。


 むしろ、この体が穢れてしまえばもう怖いものはない。持っているから、それを取り上げられたくないと無様を晒す。でも、何もなければ。何も、手に残っていなかったら。夢も希望も処女も何かも、捨ててしまえば怖いものなんて何も――



「ふふっ。おもしろい目だ。ぜんっぜん諦めたような目をしていない。むしろここからが本番だと言わんばかりに殺意を砥いでいる。いいね、キミ。私は気に入っちゃったよ」


「――え?」



 さあいよいよ、薄汚い魔人種のそれがずらされたショーツの中身へ気勢を叩き込もうとしたその時だった。


 

「キミの純潔は私が頂こう。どうせ捨てるなら死に損ないの犬よりも、美しいお姉さんに捧げた方が絵面的にも素敵だろう?」



 出入り口の前に、女が立っていた。


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