第二部 叛逆の蠅声

015

 縦窓から差し込む光のイロが強くなってきた。朝日を迎えて朝食が運ばれてきてから、おおよそ三時間。そろそろ正午に差し掛かろうとした、その時だった。



「やあやあ。私だよ、マクシミリアンだ。ちゃんと朝食はたべたかな? なにか困ったり、嫌なことはなかったかい? 私の管理下とはいえ、君を疎ましく思う輩もいるからね。なにかあったら大変だ」


「………」


「おお、怖いねえ。そう睨まないでくれよ。相変わらず君はこの一週間、全く心を開いてくれない。そんなに私のことが嫌いかい?」


「………」



 ノックもせず開け放たれた光の向こうから、一人の男が言葉を忙しく捲し立てながら現れた。ニッと口角を上げ、無害だとアピールするよう手を広げながら、男は部屋に踏み込む。


 歳の頃は二十代前半だろうか。十代後半と言われても遜色のない爽やかな出立ちだった。整えられた髪型には遊びがありながらも清潔感があり、これから舞踏会にでも出席するかのような礼装にはシワひとつない。


 勝気な印象と同居する人懐っこい笑顔は、なるほどそれこそ公の場に出れば注目の的だろう。貴族然とした佇まいもさることながら、妙に人目を引く。まるで計算され尽くしたかのような造形美を振り撒いて、彼は膝を着いた。そして流れるように手袋を唇にはさめ素手を晒すと、



「そう怯えないでくれよ、仔猫ちゃんキティ。虜囚とはいえ、不自由はさせていないだろう?」


 

 顎に手を添えて、視線を無理やり固定する。群青色の瞳が、優し気に微笑む。



「きょうは君にお土産がある。クッキーだ。部下に作らせたんだが、これが絶品でね。安心していいよ、私が一度毒味している。変なものは何も入っていない。私の家名に誓おう」


「………」



 敵意の色はない。彼――マクシミリアンの言う通り、彼女は虜囚だった。敵対している人種だと言うのにも関わらず、殺すのではなく捕らえることすら殊勝なのに、彼は蔑んだり拷問を加えるのではなく、歓待していた。


 それも心から。いいや、違う。まるで愛玩動物でも愛でているかのような。


 故に、彼女はこうして優しくされるたびに、深く憎悪がほとばしる。彼は暗に示しているのだ。敵対種族を保護して優しさエサを与えることで、人間種おまえが下で魔人種わたしが上なのだという構図を植え付けようとしている。



「要らない」


「だと思ったよ。ここに置いておくから、好きに食べてくれ。きっと気に入るはずなんだがね」



 テーブルの上に皿を置くマクシミリアン。彼は気にした様子もなく、彼女の隣に腰を下ろした。



「君が我が第三方面軍に来訪してから一週間が経った。そろそろ私に心を開いて、色々な話を聞かせてくれないかい? 私はね、君たち人間種にとても興味があるんだ」


「何が心を開け、だ。そう思っているのならまずは足枷を外せ」


「いいや、その足枷は証明であって君を守るためのモノだ。君は私の賓客であっても、他の者たちからすればそうではない。なので、つまりこの部屋に居る限り、君は私の賓客として上等な待遇を受けることができる。

 反対に、この部屋を一歩でも外に出れば、君は客人としてではなく虜囚として扱われる。酷いものだよ、まあ人間種に比べればそうでもないが、どこの世界も虜囚というのは扱いがぞんざいだ」


「わたしが……それを恐れるとでも?」


「恐れるさ。事実、君は逃げるそぶりを見せないしその足枷だって傷ひとつない。すでに頭では理解しているんだ、この待遇のままで居たいと。外に出た時の未知を想像して、それならここに居たほうがまだマシだと」


「違うわ」



 違う。首を振って、彼女はマクシミリアンの瞳を射抜く。そこに映るのは明確な殺意。憎悪。たとえ体を細切れにされたとしても、その煮えたぎる剥き出しの怨恨だけは尽きることがない――いいや尽きてはならぬと、恋焦がれるようにして自らを呪うその荒んだ視線に、マクシミリアンは嘆息した。



「あなたを殺せる機会を窺っているだけ。ここを逃げることができても、わたしはあなたを殺さないと気が済まない」


「なかなかどうして、君たち人間は血を流すのが好きらしい。君のような少女でさえ例外じゃない。もはや血の呪い、業とでも言うべきか。悲しい生き物だよ」


「おまえがそれを口にするなッ! そもそもおまえたち魔人種が居なければ、わたしは姉さんを失わずに済んだんだッ」


「私の部下には、君たち人間種に子を辱められた末に殺された者がいる。捕らえられ、助け出した時にはもう全身の皮膚が剥ぎ落とされていた者もいる。生きたまま同胞を食わされた者、家畜のように飼われ、ある者は親子で殺し合いをさせられた者もいる」


「………」


「君たち人間種は獣のように荒んでいる。血と復讐と争いがお望みなら仲間内でやればいい。私たち魔人種は、本来なら争い事よりも文章や絵、総じて己と向き合うことを好む種族だと聞く。君たち人間種のように、他者に関心を向けることがほとんどないんだ」



 言って、マクシミリアンはクッキーに手を伸ばす。それを真ん中から割って片方を口に入れると、もう一つを彼女に差し出す。



「私はね、悲しんだ。どうして先祖たちの業を背負って、どちらかが居なくなるまで殺し合わないといけないのか。どうして私が、部下に死ねと命令しなければならないのか。こうして、平和にクッキーを食べられたなら世界から争いはなくなるんじゃないか? 特に、ここ最近はよく考えるよ」


「……無理」


「残念」



 差し出したクッキーを拒む。マクシミリアンは、少しだけ悲しそうに笑うと、



「君は魔人種というものを誤解している。そもそも、君たち人間種の先祖が戦っていたのは魔王であって、私たち魔人種ではない、ということを知っているかな?」


「……どういうこと?」


「そのままの意味さ。つまり、私たち……俗に魔王の庇護下に入ることのできなかった魔人種の集まりである私たち、『大旆を掲げる者フライコール』は、いわば魔王と人間種の被害者であり、志は一緒だということさ」



 言っている意味が、さっぱりわからない。彼女の表情を見て、マクシミリアンは薄く笑うと立ち上がった。



「話はまた今夜にでもしよう。来客が来たようだ」


「……来客?」


「ああ、招かれざる客ってヤツだ。もしかしたら、君を助けに来たのかもしれないね」


「わたし……を?」


「しかし、残念だ。君のその僅かに灯った希望を殺すようで申し訳ないけれど、思い通りにさせるワケにはいかない」



 どこから取り出したのか、外套をはためかせ礼装の上に羽織ると、マクシミリアンは出入り口に向かって優雅に進む。ドアノブに手をかけ、絨毯の上に座り込む彼女を一瞥すると、マクシミリアンは薄く微笑んだ。



「この私――七大将軍が一人、マクシミリアン・マーテンソンが居る限り、第三方面軍に敗北はない」



 だから、と閉まりゆくドアの隙間から、彼は言った。



「だから、君はそこでクッキーでも食べて、私の凱旋を待つといい。安心したまえ――エレオノーレ。私は負けないよ」


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