014 テレジア・リジューは魂を売る。

 そして、震えと共に私は目が覚めた。

 

 寒い。全身が、凍えるように寒い。


 すぐ近くから鳴っている、激流が叩きつけられる音がうるさい。


 最悪な目覚めだった。



「わ、たし……どう、して……、ここは……滝の、下?」



 針の穴程度しか見えない白い点――おそらく空だと思われるそれを呆と見上げながら、私はなんとなく理解した。


 どうやら私は、死に損ねたらしい。


 奈落の底――光が一切ない滝口で、水に浮かされた私。なんの因果か、一命を取り留めたようだった。



「マグノリア……マグノリアは、どこ……?」



 一緒に落ちてきたはずの少女の名を呼ぶ。底に足がつかない。私は、暗闇に慣れてきた目を左右に彷徨わせながら泳いだ。マグノリアは、すぐに見つかった。



「……マグノリア?」



 返事は、なかった。それも、当たり前だろう。なぜなら彼女は、うつ伏せで浮いていたから。水の上を。


 

「お……驚かせようと、してるんだよね……?」


「………」


「だって、私が、生きてるのに……私より強いマグノリアが、死ぬなんてこと……」


「………」


「冗談だって、言ってよ……」



 有無を言わぬマグノリア。私は、彼女を引いて水の中を彷徨った。


 深さもわからない。どれほどの広さなのかもわからない。これが池なのか、湖なのか、はたまた海なのかもわからない。陸地があるのかも不明だった。ただただ、真っ暗な闇の中を彷徨った。マグノリアの腕を引っ張りながら。


 気が狂ってしまいそうだった。この水底から、何かが這い出してくる――例えようのない恐怖が私を打ちのめした。けれど、すぐ隣にはマグノリアがいるから、私は動くことができた。



「……あ、足が……着いた……」



 やがて、浅瀬にたどり着いた。相変わらず世界は真っ暗だけれど。


 首元の深さから徐々に下がっていき、胸、腹、腰、そしてとうとう、完全に水から抜け出すことができた。


 マグノリアを担ぐ。異様に重い彼女の体に、押しつぶされそうだった。けれど、ここに置いていくワケにはいかない。



「マグノリア、おかしいね。五十階層で終わりのはずなのに……こんなの、習ってないよね」



 岩肌の壁に手を伸ばしながら、手探りで歩く。暗闇の中、私の声だけが響いた。私は、恐怖に押しつぶされないように、喋り続けた。マグノリアに。この迷宮で起きた出来事を。


 ファセリアちゃんとさりげなくだけど会話したこと。セリンセに妹がいて、一緒に美味しいものを食べにいく約束をしたこと。アベリアが潮らしくって、不覚にもかわいいなと思ってしまったこと。本当は墓場まで持っていく予定だったんだけど、実はプリムラはガーベラ教官に好意を寄せていたこと。ガーベラ教官は、武功を上げすぎて美人だけど女として見られていないことや女性に大人気なこと。


 他にも、故郷を滅ぼされ、知らない親戚の人たちの家をたらい回しにされたことや、最終的に引き取ってくれた家がかなりの名家で、当主様が見かけによらず過保護で家族同然に接してくれたこと。そんな優しさを踏み躙って、騎士団に志願したことを、少しだけ後悔していること。



 いったい、どれだけの間、彷徨っていただろうか。

 気がつくと、前方に光が見えた。



「う、そ」



 淡い光。久しく目にしていなかった光は、とても眩しかった。


 私は、その光を目指して、歩いた。



「マグノリア、もう少し……もう少しで、出られるよ……」



 やっと、見つけたよ。出口だ。これで、帰られるよ。


 思えば、私、あなたのこと全然知らないね。あなたの家族や、友達や、故郷とか、そういう話を、私は聞いてない。別にそれが重要なのかって訊かれたら、違うかもだけど。ともかく、私が言いたいのは、あなたは何気に秘密主義者で、私に根掘り葉掘り訊いてくるくせに何も喋らないことに異議を唱えたい。


 私だって、あなたのことをたくさん知りたい。だから、だから、この迷宮を出て、シャワーを浴びて、ご飯をいっぱい食べて、一週間くらい寝たら、たくさん聞かせてよ。あなたの話。私と出会う前の、話を――。



「――これ、は……なに?」



 果たして、その光を抜けた先に待っていたのは、迷宮の外ではなかった。


 淡い光の正体。それは、結晶クリスタルだった。この空間の半分を埋め尽くすほどに巨大な結晶が、蒼白の光を放って輝いていた。


 これほど膨大な量の結晶が、どうしてこんな奥底に? いや、それよりも――。



「ひ、と……っ!?」



 何よりも、目を引いて驚かされたのは。


 巨大な結晶の中央……そこに、一人の少女が眠るように閉じ込められていた。

 


「なに、これ……なんなの、なんなのよ……っ」



 その異様な不気味さから来る焦燥感と、この空間の、どこにも出口がないことへの憤りと哀哭あいこくが一気に押し寄せてきて、私は膝を着いた。マグノリアが、ずるりと地面に落ちた。



「私の人生って、なんなんだろう……」



 泣いて、泣いて、泣きじゃくって。


 あたり一面にやり場のない怒りをぶつけて、拳から血が滲みでて、脳天を刺す痛みに喘ぎながらまた暴れて。



「なんなんだろうね、私って……」



 やがて空腹と、溜まりに溜まっていた疲労と倦怠感によって私は、動けなくなっていた。うつ伏せで眠るマグノリアの横で、私はぽつりと呟いた。私の人生って、どうしてこうなのだろうか、と。


 何も、報われない。どれだけ頑張って、協力を仰いで、助けてもらって、勝機を見出して、でも結果、こうして何者にもなれず、何も残せず朽ちていくのを待つだけ。名誉の死すらも遂げられない。


 口だけは達者で、魔王を殺すとかほざいてたくせに何度も信念が揺らいで。きょう一日で何度誓い直したのかもわからない。


 結局、私じゃなかったんだ。どこかで、私は自分のことを主役だと思っていた。魔王を殺すのは私なのだと、本気で信じていた。


 けれど、違った。イタイ妄想だった。追い詰められた果てに力が覚醒して、都合よく窮地を脱出できるとか、たぶん、そんなことを考えて本気にしていたから、他の人とは違って取り乱すことは少なかったんだと思う。


 

「マグノリア……ありがとう」



 朦朧としてきた意識の中、マグノリアとの思い出が甦る。彼女の声、仕草、にへらと笑う顔。彼女と一緒に外出してまわった王都の街並。おいしい食べ物。繋いだ手から伝わる、体温。いつか、海に星空を見に行こうって、約束もしたっけ。



「あ……綺麗……ねえ、マグノリア……見てよ、とても……綺麗……」



 蒼白の輝きが、朦朧とした意識の中に差し込んだ。私は、必死にそれに向かって手を伸ばした。手を伸ばせば、届きそうだった。その光を取って、マグノリアに見せてあげたかった。だから、私は必死に手を伸ばして――それに、触れた。



「―――」



 体から、何かが吸い出されていく感覚。


 多分、これは魔力を抜かれているんだ。凄まじい勢いで、魔力が結晶へと、吸い込まれるようにして消えていく。


 そういえば、私は魔力量だけなら同期で群を抜いていたっけ。


 まあそれも、宝の持ち腐れで終わったなあ。魔法の学習課程、確か騎士団に配属されてから受けられるものだったし。


 魔法が使えるようになれば、マグノリアに並べるかもしれないのに――私、剣の才能はなかったけど、魔法の才能ならあるかもよ?



「マグ、ノリア……」



 最期に、愛おしい彼女の名を呼ぶ。意識が落ちる直前、マグノリアが安堵したように微笑んだ……気がした。






「そして目が覚める――気がついたら私は、生きている。そう、生きていたのだ。濡れた体も、砕けた拳も、倦怠感もあら不思議。全て元通りに……ああでも、空腹だけは治らなかったみたいでね。そのあとはまあ暴食よ。かの恐ろしい悪魔のように、ね」



 夜が明け、眩しい黄金の曙光に手をかざす。


 朝日は、好きだ。苦労やら絶望やらの後に望む朝日は、特に。

 

 夜は必ず明ける。あらゆる困難も闇も絶望も、諦めなければ必ず終わりが来て希望が差し込むのだと、そう教えてくれる気がしたから。



「すっかりと話し込んでしまったね。いい暇潰しにはなれたかな?」


「ああ、とても。だがどう迷宮を脱出したのかが気になるし、結晶の少女についても詳しく教えてほしいところだ」


「ええ、もちろん――と、その前に朝食にしようか。はーいみんなー、ご飯にするから帰っておいでー」



 耳穴に嵌めたインカムに向かって呼び掛ける。程なくして、林の中から三人の男女が戻ってきた。そのうちの二人が、目元を赤く染めてベソをかいていた。



「おいおい、いい大人が泣くんじゃないよみっともない」


「テレジアぁ、お前、辛かったんだな……辛い思いをたくさんしてきたんだな、その歳で……ッ」


「あたしより年下のくせに、あたしより辛い目にあってんじゃねえよ……ッ」


「ルドベキア、フリージア。泣いてくれるのはありがたいのだけど、話に夢中で警戒を疎かにしていたなんて言わないよね?」


「「も……問題ない(ぜ)」」


「信用できないよ、まったく。ロベリアだけが頼みだ」


「……ん。任せてくれて構わない」


「うん、斥候であるキミには大いに期待している。――さて、アルマ。私がどうしてこの話をしたか、キミはわかるかい?」



 イスから立ち上がった私は、大きく背伸びをしながら彼に問いかけた。


 随分と大きくなった胸のせいで、最近肩が凝る。私はどうやら、成長が遅い類らしい。亡き友に自慢したいよ、この四年で肩どころかおまえの胸に並び立ったぞ、と。



「なるほど。まさか、いやいや。そんなことがあるのか?」


「そんなことがあるのだよ。いいや、遅過ぎたくらいだ。この情報を得るのに、随分と時間がかかった。しかし、ようやくここまで来たと胸を張りたいね」



 私たちの話を呑み込めないと言った様子の三人。私は、アルマではなく三人に体を向けて言った。



「率直に言おう。きょう、これから奇襲を仕掛ける魔人種共の陣営には、私に地獄を味合わせてくれた魔人がいる」


「「「――ッ」」」


「そう、つまり……これは私に取っての敵討ちだ。弔い合戦ともいう」



 笑みを張り付け、しかし拳は硬く握りしめる。


 とうとうここまで来た。長かったよ。あれから四年も経った。


 ようやく私は、みんなの敵を討つことできそうだ。



「魔王の庇護下にすら入れない爪弾つまはじき者共、『大旆を掲げる者フライコール』の第三方面軍だ。第三の彼らに人間種は、何度も苦渋を飲まされたと聞く。先日潰した第五方面軍はなんともまあ、腑抜けた連中ばかりだったから、諸君、今回は期待していい」



 三人の笑みが深まる。獣のように獰猛だ。狩りを楽しむ猟犬の微笑だ。そしてそれらの首領を務める白髪の青年もまた、愉快そうにサングラスを持ち上げた。



「頼りにしているよ、双頭の蛇アンフィスバエナの副首領さん」


「ああ、期待しているといい。お嬢の復讐は俺たちが請け負った」



 差し出した手を堅く結び、私とアルマは笑みを交わした。


 彼らは、裏世界で名を轟かせる傭兵集団『双頭の蛇アンフィスバエナ』の副首領と、その専属部隊。


 アルマ除くたったの三人で部隊を名乗るのはおこがましいと思うだろうが、勘違いも甚だしい。この三人とアルマを入れた四人だけで、国一つを落とすことができるだろう。


 雇うのに少々苦労したし多額の金が必要だった。しかし、それらに見合うだけの戦力を提供してくれた。副首領のアルマとも、利害が一致した。


 私は彼らと、私の武器をもって魔人種を根こそぎ滅ぼし、魔王を殺す。


 その果てに、私を生かしてくれた人たちの犠牲が真に報われると信じて。



「――お嬢様。少々、長く触れ合いすぎではないでしょうか?」


「うぉっ!? ま、マリィ、驚かすのはやめてよ?!」



 握手を交わす私たちのすぐそばに突如現れたマリィ。古典的な侍女服を綺麗に着こなしたマリィは、蠱惑的な微笑を湛えてお辞儀カーテシーの姿勢をとった。


 寝癖ひとつない金髪の少女。深窓の姫君じみた気品溢れる風格は、本来主人を立てるべき侍女の本質とは到底かけ離れた派手さを滲ませていたが、私は彼女が好きだった。むしろその派手さを気に入っている。



「よく眠れたかい?」


「はい。マリィ・フランソワーズ、これでひと月は睡魔に襲われることなく、お嬢様にお仕えできます」


「それは、まあ常人離れしているというかなんというか……」


「それでは朝食の準備を致しますので、少々お待ちください」


「いやいや、いいよきょうは私がやる番だからっ」


「お嬢様にそんなことはさせられません。マリィがお作りしますので、お嬢様は仮眠を取ってください」


「いいよ、私はもう十分に寝たから」


「ダメです。ではおやすみなってください」


「うぅ、頑固だなあ。本当に」



 無理やりイスに座らされた私は、忙しく朝食の準備に取り掛かるマリィを横目に溜息を吐く。



「いよいよ、私の存在理由が見当たらなくなってきた……」


「お嬢はオレらに守られるのが仕事っスぜ」


「そうそう。もっとドンと構えてなよ、お嬢」


「そう言ってくれるとありがたいけどねえ。まあともかく、きょうは気合入れて行こう!」


「「おうっ!」」



 私の子どもみたいなノリに乗っかってきたルドベキアとフリージアは、本当に良い奴らだと思う。かといって、乗ってこなかったロベリアとアルマが悪い奴らというワケではない。ロベリアはキャラじゃないし、アルマは優雅にコーヒーなんかを飲んでいる。


 正確には、悪い奴らなのだろう。なんたって金さえ払えばなんだってやる悪虐非道の傭兵たちだ。私だって、金払いが悪くなれば切られるかもしれないし。


 しかし、本当に悪いヤツってのは、私のことだ。なにせ、自分の手は汚さずに、他人を使って悲願を果たそうとしているのだから。



「さて、テレジア。物語のエピローグを聞かせてもらおうか」


「まったく、そんなに気になるのかい? よほど私のことが知りたいらしい」


「興味が尽きないな」


「さては私に惚れたな?」


「自分で言うのもアレだが、俺はやめておいた方がいいぞ?」


「なんかムカつくなあ、その言い方。べつに狙ってないし」



 言って、こほんと咳払いをしてから、私はアルマの要望通り先の続きを話すことにした。


 私が生還できた理由。今こうして、傭兵を雇い魔人種を殲滅して回っている理由。そしてそれらを可能にしてきたその理由。それは全て、この一言に帰結する。



「魂を売ったんだよ、文字通り悪魔にね――」



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