012

「オイオイ……こりゃ、いってぇどこのサルの仕業だ、あァ?」



 通路一面を染める赤。臓物と肉片と悪臭漂うその光景を見て、ヴァレリア・ルスチアーノは口角を歪めた。その背後、赤いドレスを靡かせ追ってきたバルベリトも、自身の目を疑う。



「これは……まさか」


「ランデルだろうな。カカッ、道理でオモチャ共々気配を感じねえと思ったら、くたばってやがったのかよ」


「むぅ……手練れがいるのか。ベリトも其奴と会敵したかったぞい」


「心配しなくてもハッスルできるだろうがよ。ンま、向こうも生きていたらの話だが」



 血溜まりに沈む右腕を持ち上げる。女の腕だ。漂う血の匂いと肌から香る匂いが、同胞のものではないことを証明していた。



「ところで、ヴァレリア。貴様、どうしてベリトの追撃を止めたのだ?」


「あァ? てめえ、何度同じこと言わせりゃ気が済むンだよ、このサル頭が」


「む? 貴様の方がよっぽどサルのような見た目をしてるではないか!」


「オイオイ、オイオイオイオイ……バルベリトぉ、もしかしてよォ。もしかしなくともランデルの後を追いてェようだなァ。ぐちゃぐちゃになったコイツとフュージョンかましてェならそういえや、今すぐ捻り殺してやるから」


「笑止、この悪魔の末裔であるベリトに本気で敵うと思っているようだな。うむ、よかろう。胸を貸す。殺してしまっては将軍に合わす顔がないのでな、片腕一つで落とし前をつけてやろうではないか」


「ほざけ、いい歳して悪魔だとか宣ってんじゃねェぞ厨二病がァッ!!」


「――ベリトは永遠の十四歳なのだッ!!」





「はぁ、はぁ、っ、は……た、たおした……の?」



 乱れる呼吸をなんとか整えながら、地面に転がる山羊の頭を見つめる。

 

 信じられない。まさか、本当に私たちが? 同じように呆然と立ち尽くすアベリアに視線を向けると、彼女もまた、私と同じように山羊頭を見つめていた。


 相手は、間違いなく格上だった。両腕を落とされて尚、発していた威圧感を思い出す。あの時は、無我夢中で剣を振るっていたからなんとかなったものの、もう一度やれと言われてできるかどうか……。


 そこで、私は生唾を呑んだ。そう、何者かの奇襲によって両腕が絶たれ、私たちはトドメを刺すことができたのだ。



 一体、誰が――?



「よかった……会いたかったよ、テレジア」


「……っ、ほん……とうに?」



 弾かれたように振り返る。信じたくなかった。だって、幻だと思ったから。極限状態で脳が自身を奮い立たせる幻聴だと思ったから。もしそうなら、私は崖から突き落とされたかのような失意を味わうことになるから、信じたく……なかった。けれど、



「ほんとうに……マグノリア、なの?」


「……あたしだよ、テレジア。生きていてくれて、ありがとう……っ」



 彼女が、いた。瞳に涙を溜めて、鼻を赤く染めた、マグノリアが……そこに居た。


 腰元まで伸びた紺色の髪。薄汚れた制服。すらりと伸びた手足。にへらと、だらしなく持ち上げられた口角は、やっぱり私の知るマグノリアで。


 

「マグ……マグ、ノリア……ぁぁっ」


「うん……遅くなって、ごめんね……っ」



 おぼつかない足で彼女の胸に飛び込む。マグノリアは、私を力強く抱きしめてくれた。安心する。汗に混じって、マグノリアの匂いがする。大好きな、匂い。



「ふっ……呑気だな。まあ、それくらい元気があるならいい」


「ガーベラ教官、ご無事でしたか……っ」


「なんだ、アベリア。潮らしくなったな。抱いてやろうか?」


「はい……っ」


「む……ん、……なんだ、その……よく生き延びた。それでこそ、私の教え子だ」


「はいぃ……っ」



 それから数分間、私たちはみっともなく泣いた。もう、自分たち以外は全滅したと思っていた。マグノリアのことも、死んだと思っていた。けれど、生きていてくれた。これ以上に、心強い味方は居なかった。


 ようやく落ち着いて、顔を上げた時。私以上に涙を流しているマグノリアを見て、少しだけ笑った。



「――ひと息ついたなら先を進むぞ。他の魔人共が追ってきている。先に最終階層へと向かわれたら、さすがに大人である私でも泣いてしまう」


「き……教官、右腕は……どうしたんですか?」


「え、あ……教官?!」



 抱きついていたくせに、アベリアは気がついていないようだった。ガーベラ教官は、羽織った外套をわずかに押し上げて、



「しくじった。それとツケだ。教え子たちを守りきれなかった、私への……」


「じゃ、じゃあ、やっぱり一班も……」



 私の問いかけに、マグノリアは複雑そうに首を振った。そして何かを思い出したのか、悔しそうに顔を歪める。



「なんとか全滅は免れた。でも七人中三人は殺された。しかも、あの魔人……スキルで死んだ仲間を操って……二度も、殺させた……ッ」


「操る……?」


「詳しくはわからないが、死体を操る類のモノだろう。おそらくそこの山羊もその魔人の手下だ。似たようなヤツを三匹連れていた」


「死体を……操るって、そんなの……ッ」



 死んでいった仲間たちの顔が瞼の裏に蘇る。ファセリアちゃんやセリンセたちが起き上がり、私を襲う光景を想像して、マグノリア同様、顔を歪ませた。


 そんな悪虐非道がまかり通っていいものか。望んで死んだワケじゃない彼女たちの体を使って、尊厳を踏み躙って人を殺させるなんて。しかもまた、彼女たちを殺さなきゃいけないよう仕向けるだなんて。


 度し難い害悪だった。



「そいつは……殺したんですか?」


「……。ああ、殺した。片腕は失ったが、功績は大きい。ここで殺せておいて本当によかったとすら思える」


「そいつが生きていたら、間違いなく魔人種側に戦況が大きく傾いていた。敵、味方構わず兵士を補充できるのだから、厄介極まりないよ。本当に、ここで始末できてよかった」


 

 ガーベラ教官とマグノリアが、私の顔色を見ながら言った。殺せてよかった、と。なんだか言わせているみたいだが、構わない。私は、親指の爪をかじる。煮えたぎる憎悪が止まらない。まるで、魔王からのこのこと逃げおおせた幼い私を思い出しているかのようだった。



「ともかく、進むぞ。追いつかれる前に、とっととこんなクソッタレな迷宮から脱出する。走れるな、テレジア。アベリア」


「ハイ、教官」


「……はい、問題ありません」


「それに安心しろ。生き残った二人を外まで護衛してきた。応援が来るのは近いぞ」


「ほ、ホントですか……!?」


「ああ。だからって動かないわけにはいかない。危険な状況なのには変わりないからな」



 そっか。応援が来るんだ。それは、よかった。本当に。


 私たちが生き残る可能性が、ぐんと上がった。けれど、素直に喜べないほどに、先の話が色濃く胸中に渦巻いていた。



「テレジア、爪がボロボロになっちゃうよ」


「……うん。ありがとう」



 知らず、噛み締めていた親指の爪。マグノリアが手を優しく包み込み、噛んでいた親指をさすった。



「いーえ、せっかく綺麗なんだから、傷つけちゃダメだよ」


「それは無理な話よ。私は、騎士なんだから」


「ふん、見習いのくせにもう騎士気取りぃ?」


「いつまでも見習い気分でいると、置いてかれるわよ?」



 睨み合う私とアベリア。なんだか懐かしい気分だった。



「うんうん、アベリアと仲良しになったみたいで安心したよ」


「「っ?!」」



 マグノリアがにへらと口角を緩めながら言った。私とアベリアは衝突させていた目線を、すぐ反対側に逸らす。



「べ、別に仲良くなっていわよ、ていうかこんな状況でどう仲良くなれるってのよ。バッカじゃないの?」


「そ、そうよ、仕方なく協力してただけで……。もうマグノリアがいるから目も合わせない……」


「なんか妬けるなあ。でもまあ、仲良くなってくれて嬉しいよ~」


「「だ、だから……っ」」


「ははっ、今度三人でお泊まりしようねえ。あ、教官も傷心旅行どうですか?」


「小娘と遊んでやる時間はない。ここから脱出し、諸々の件が終わったら報奨金で婚活だ。今年こそ結婚してやる」


「ひ……必死ですね……」


「いいか、よく聞けよ貴様ら。貴様らがこれから配属されようとしている騎士団の内情を一つだけ教えてやる。それは、同期が育休で居なくなる度に男性陣から優しくされる、だ。

 気を遣っているらしいのだが、これがまあ腹立たしいことこの上ない。三十過ぎてからは、母親から無言でお見合い相手の資料も送られてくる。『最近は同性婚も珍しくないそうだ』とか言いながら、父は頼んでもいないのに選択肢を広げようとしてきて……。しかもその中に私の教え子が――」


「教官、落ち着いてください。前方に魔物です」


「――む?」



 巨大樹内部に作られた螺旋階段を降り、四十一階層に突入してすぐに魔物が突撃を仕掛けてきた。


 冒険者から奪ったと思われる剣の切先を先頭のガーベラ教官に向けて、気勢を発する大柄のリザードマン。私たちが三十階層で目撃したものより幾分か大きなリザードマンだった。


 鞘に手を伸ばすが、抜くよりも早くリザードマンの切先は肉を貫く――そんな確信と、油断していた自分への怒りがないまぜになった刹那。血飛沫を上げ倒れるリザードマンの姿を見て、固まった。


 右肩から脇腹へ、袈裟に切り裂かれたリザードマン。少しずつ血溜まりを形成するその亡骸を見遣り、死因は斬撃によるものだとわかった。ということは、つまり……。



「おしゃべりが過ぎたな。とはいえ、何か喋ってないと左腕が疼いてどうしようもないんだ」


「教官、左腕もうないですよ」


「はっはっは、確かにッ」


「うひぃッ!?」



 冗談か本気なのか、マグノリアへ剣を振るガーベラ教官。悲鳴を上げながら避けたマグノリアだが、刃に付着したリザードマンのものだと思われる血液が彼女の制服に飛び散った。


 やはり、今のは教官が……。


 抜剣が早過ぎて、まったく目に映らなかった。振り抜いた姿でさえも、だ。


 これが、騎士――私の目指す〝迎撃騎士団アサルト〟の、精鋭騎士。


 頼もしいと感じると同時に、彼我との間に開く歴然とした差に、歯噛みする。これほどの実力を持つガーベラ教官でさえ、マグノリアと共闘して魔人を斃すのに片腕を失った。なら、一体……魔王を斃すには、何を切り落とせば釣り合いが取れるのだろうか。



「なに呆けてんのよ」


「……ぁ」


「今さらでしょ。右向いても左向いても、どいつもこいつも格上ばっか。そんなのわかりきってることだし、はいそうですか、で終わるあんたじゃない。ましてや、私もね」


「アベリア……」


「魔王を殺すんでしょ? 吐いた唾、飲むんじゃないわよ」


「……そうね」


「ふん……」



 鼻を鳴らすアベリア。彼女の言う通りだった。私が弱いのは今さらで、承知の上。だからこそ、強くなるために……その開いた差を埋めるために、私は騎士団に入ったのだ。こうして、戦っているのだ。


 

「テレジア、置いてかれちゃうよ?」


「うん……ねえ、マグノリア」


「なぁに? 何かいいことでもあった?」


「良いことは、何も。――でも」



 そう、良いことは、何も。


 ただただ、最悪なことが連続して起きて。


 これ以上の地獄はないっていうのを数分置きに更新して、良いことなんてなかったけれど。


 気付けなかったことや、思い知らされたこと、もうダメだと思っても体は動くこと……この地獄の中だからこそ得られるものはたくさんあったから。



「私……今よりもっと強くなる。アベリアや、教官やマグノリアよりも……魔王よりも、強く」



 犠牲になったみんなの命に、意味をもたらす。それがきっと、残された私の使命。


 魔王を殺した果てに、私はまた、みんなと笑って過ごせると信じて。



「……そっか。あたしも、テレジアに着いていくよ。あなたを守る盾に、あなたの障害を討つ剣になる。どこまでも着いていくよ」


「ありがとう……マグノリアが居てくれれば、怖いものはない」



 誓いに誓いを重ねて、上塗って染み込ませて、確固たるものにしていく。


 壊れないように。潰されてしまわないように。――逃げ出して、しまわないように。


 何度も何度も、心の中で反芻しながら、私は走り続けた。

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