011

「セリンセは……私を突き飛ばした。いち早く気が付いたんだ……。あれだけ、帰りたいって言っていたセリンセが、私を……」

 


 アベリアに引きずられながら、私は三十一階層へ続く階段を降りた。


 軽い肩。


 セリンセの、重みが私から消えていた。



「どうして……どうして、あの時……私は、立ち止まってしまったんだろう。セリンセを連れて、あのまま歩いていれば……っ」


「……、……っ」



 私を引きずるアベリアも、声を殺して泣いているようだった。


 もう、私たち二人だけ。

 セリンセは、私が殺したも同然だった。



「……立って、テレジア。なんとしてでも、ここを出るわよ」



 アベリアが言った。涙で声を濡らして。私は、首を振った。



「もう、無理よ……ホントは、わかってた。でも、信じたくなかっただけ」


「なに、言ってんの……?」


「もう、嫌だ……死なせないって、約束したのに……っ」



 いつかのセリンセのように、地面にへたり込んだ私は無様に嗚咽を漏らした。


 約束した。絶対に守るって。ここから生きて出るって。なのに、なのに。約束を守れなかった。私のせいだ。



「私の、せい……ファセリアちゃんも、バウエラも、プリムラも、セリンセも……」



 私の行動が早ければ。私が強ければ。私が、強ければ……っ!



「ファセリアちゃんは……私と一緒だったの……お友達になりたかった……やっと仲良くなれると思ったのに」



 魔人に故郷を追われたファセリアちゃん。地味でメガネっ子のマジメちゃんだけど、とても綺麗な声をしていて、たぶん、ひと一倍信念の強い人だった。けれど、最期は頭部を潰されて。



「バウエラは、バカだけど、面倒見がよくて……みんなを引っ張ろうと頑張ってて……」



 いつも男性陣の中心だったバウエラ。呑気で、頭悪くて、でも大家族の長男で、かわいい兄弟を養うために騎士団に入ったと自慢気に話していた。でも、彼は無惨にも地面に叩きつけられて。



「プリムラも、ゴブリンに……。マグノリアだって、きっと――」


「いい加減に、しなよ」


「ひぐっ――!?」



 胸ぐらを掴まれる。顔をくしゃくしゃに歪めたアベリアが、私を壁に押し付けた。



「ここで……ここまで来て、なに諦めてんのよ……! 諦めるには……遅すぎるのよ……ッ!」


「……っ」



 諦めるには、遅すぎた。その言葉が、痛いほど胸に刺さって、吐きそうだった。


 噛み締めた唇から血が垂れる。アベリアは、胸ぐらをつかむ私の肩に顔を埋めた。



「ファセリアも、バウエラも、プリムラも、セリンセも……あんたのせいじゃない。あんたはよくやったよ、悪くない……でも、私たち二人が死んだら、それこそ……意味のないモノになってしまう。あいつらの死が、意味が……ッ」


「……。……そう、よね。ごめんなさい……」



 ここまで来たのなら、仲間たちを犠牲にしたのなら、生きなくてはならない。そうじゃなければ、みんなの死は無駄になってしまう。だから、尚更、這ってでも迷宮から出なければ。



「生きて、ここから脱出する……そして、伝えないと。みんなのこと……セリンセの妹にも、バウエラの家族にも、みんなの大事な人たちに……伝えないと」



 彼らは、戦ったと。無駄死になんてしていない。だって、私たちが生きて帰ることができたのだからと。勇敢な死を遂げたのだと。



「そうよ、犠牲に意味を与えるのは、生きている私たちだけ。ここで、泣いてる暇なんてない……ッ」



 拳を堅く握る。歯を噛み締める。感傷を振り切って、剣を掴む。

 

 今は、忘れることを許してほしい。ここから出た後で、必ずみんなを弔うから。だから、今は。



「……行こう」



 引かれる後ろ髪を振り切って、私たちは涙を拭った。





 重くのしかかった疲労や眠気に抗いながら、休憩もなく、私たちはやがて四十階層にたどり着く。


 そこは、これまでとは一線を画して異様な雰囲気を醸し出していた。紫色の霧。円形の壁には蔦が張り巡らされ、朽ちた石畳の隙間から雑草が生えている。


 申し訳程度に自然が生えた、円形の階層。まるで闘技場のような装いだった。


 そして、その中央には、挑戦者を待つかのように待ち構えた一体の石像――いや、石像じゃない。見間違えるほどに微動だにしないが、あれは、生きている。あれが、この不穏な気配の正体だった。



「なに……あれ、なんなの……聞いてないわよ……?」


「……わからない。あんなのがいるって、習ってない……っ」



 この円形の、他の階層に比べて狭い闘技場じみたフロアには、魔物は存在しないと座学で習った。地図にも、この階層だけ特に記載はない。魔物の情報もなかった。だから、アレがいるのはおかしい。



『―――』



 こちらを見遣る、長躯の山羊ヤギ。いや、正確には頭部のみが、山羊だった。首から下は鍛えられた人間のそれ。片手に錆びた戦斧せんぷを握り、四十一階層へとつづく扉を守っていた。


 

「……迂回はできない?」


「……できない。なぜか、四十階層だけ一本道みたい」


「そう……じゃあ、避けては通れないってワケ」


「………」



 震える手で、私たちは剣をった。怖い。一眼でわかる。あれは、私たちなんかが手を出していい魔物じゃない。直接、剣を交えなくてもわかる。けれど、



「倒さなくていい。隙を見て抜けるわよ」


「当たり前」



 諦めるには、遅すぎた。もう止まれないし泣き言でどうにかなるなら魔王は絶滅してる。アベリアも、私も、この一日で胸が引き裂かれるほどそれを実感した。


 だから、戦う。戦うことでしか、生きられないから。



「私が前衛をやる。スイッチ、任せたから」


「上等」



 互いに笑みを無理やり作って、私たちは地を蹴った。同時に、山羊男も戦闘態勢に入る。錆びた戦斧を、重さを感じさせない動作で水平に構えた。



「はぁぁぁッ!!」


『―――』


 

 上段から叩きつけた剣と戦斧がぶつかる。微動だにしない山羊男。まるで空気と触れ合っているかのように、戦斧を横薙ぎに動かしはじめた。いや、事実、剣を叩きつける私のことを蠅か空気抵抗ぐらいにしか感じていないに違いない。


 私を後方に押しやり、のっそりとした動きで戦斧ごと一回転。さらにもう一回転、遠心力をつけて――



『―――ッ!!』


「「……ッ!?」」



 振り下ろした戦斧が石畳を砕き、地面がめくれた。飛び散った礫に打たれながら、私とアベリアは全速力で後退する。



「怪我は?!」


「問題ないわ! それより、あの馬鹿力なんなん!? いくら遠心力つったって……ッ」



 アベリアの言う通りだ。あの怪力をまともに喰らえば散りじりになってしまう。防御どころの話ではない。



『―――』


「っ、図体の割りに身軽かよ……っ!?」



 一メートルほどめくれた地面を飛び越えて、山羊男がこちら側に着地する。私たちの行動スペースが、一気に半減した。山羊男の腕のリーチと、戦斧の大きさを考えれば、私たちが動ける範囲はそれほど多くない。


 つぅ、と冷汗が流れる。心臓が激しく音を刻む。血管が収縮しているのを感じた。それは隣のアベリアも同様で、しかし諦めの光は、どこにもなかった。



「……おかしいな。私、絶体絶命だってのに、怖くない」



 アベリアは、血走った瞳を山羊男に向けながら、笑みを作った。



「それは……頼もしい。是非とも前衛を任せたいわ」


「前言撤回するなんてらしくないじゃん?」


「考え方が柔軟なの。猪突猛進より千思万考せんしばんこう


「継続は力なりって言葉とは無縁そうね~」


「それはあなたもでしょ」



 でも、そうね。私も、あなたと同じ。ぜんぜん怖くない。


 それはきっと、感覚が麻痺しているってこともあるのだろう。この程度の恐怖なら、すでに味わい尽くしたしもっと恐ろしいものを知っている。


 それは、仲間を失うこと。

 それに比べれば、目の前の敵など怖くない。


 

「……ほんっと、最悪な一日よ」


「ボーナス、S判定は確実ね」


「パーっと使いましょう、さっさとこっから出て」


「そうね。その時は、セリンセの妹も一緒よ――ッ」



『―――ッ!!』



 今度は愚直に、戦斧を振り上げる山羊男。

 ほぼ同時に剣を構えた私たちは、




「よかった――間に合った、本当に……よかったっ!!」



『――?』



 背後から轟いた疾風が、私たちの真上を駆けて山羊男の両腕を切り落とす。吹き出す血液。石畳を砕いて落ちた戦斧には、山羊男の腕が握られていた。



「「……え?」」


「硬直するな、馬鹿者。そのような腑抜けに鍛え上げた覚えはないぞ」


「「――ッ!?」」



 尻を叩かれたように、その声を聞いた瞬間、私とアベリアは地を踏み抜いていた。


 うそ、うそ――うそ、どうして。


 感涙に視界がぐちゃぐちゃになる。でも、まだだ。まだ、今は、こいつを――



『―――!』


「「うぉぉぉぉぉぉ―――ッ!!」」

 


 両腕を失い、困惑したままの山羊男へ、私とアベリアは左右から剣を滑らせる。示し合わせたかのような動きで、寸分違わず首に両刃が吸い込まれた。


 皮膚が硬い。その奥にある脊髄も――けれど、ここで止まるわけにはいかなかった。

 私とアベリアの、どちらのものなのかわからぬ裂帛の咆哮が轟いた時。


 石畳の上を、山羊男の首が転がった。


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