009

「ぐぎゃぎゃ、ぐぐ」


「ぎゃぐ、ぐぎゃぎゃ」



 血走った目を走らせる二匹のゴブリン。痩せ細った体躯から想像するに、食糧難に陥っているらしい。確かに、魔物といえばそのほとんどがゴブリンだった。同族で喰らい合うかは知らないが、食料となりそうな魔物が少ない以上、腹を空かせて凶暴になるのもわかる。



「ぐぎゃぎゃ……ッ」


「ぎゃ……」



 柱に隠れた私たちに気が付くことなく、二匹のゴブリンは通り過ぎていく。二十メートルほど離れたところで、アベリアが先行。合図を確認した私は、セリンセに肩を貸して足音を立てないよう慎重に移動を始めた。



「……ふぅ。次でようやく三十階層ね。少し休んでから進まない?」


「階段の前で休憩できるワケないでしょ。せめて、障害物の多い三十階層で休憩しましょう」


「まあ……そうね。確かに」



 うなずいて引き下がるアベリア。……どうしたのだろうか。先ほどから妙に潮らしい。どこか調子でも悪いのだろうか。



「はぁ……はぁ、ごめん、ね……二人とも……っ」


「気にしないで。それよりも、足は痛むの?」


「う、ん……」


「無理させて申し訳ないけど、もう少しがんばってね」



 セリンセに肩を貸し、アベリアが先導しながら暗い階段を下がっていく。


 体力、気力ともに限界を迎えつつあった。


 ……迷宮に潜ってから、一体何時間経っただろうか。

 

 半日かけて行軍、それからさらに歩き続けて、魔物と戦って、魔人から逃げて……。


 睡眠どころかろくに休憩もできていなかった。幸いにも、携帯食料は歩きながらでも食べられるから、今のところ飢えはない。水も、三人で分け合っている。


 

「足元気をつけて。もう少しで出口よ」



 携帯松明が照らす赤い光。すぐそばを覆うこの暗闇から、魔人が這い出てきたらと考えるだけで背筋が震えた。



 ――私は、弱いな。



 こんなていたらくで、魔王殺しを成し遂げられるワケがないのに。


 所詮、私は粋がるだけの小娘なのだろうか。

 

 否。弱いのは承知の上。だからこそ、魔王にも、己にも打ちつため騎士団に志願したのではないのか?


 これは、試練なんだ。

 果てに魔王をたおし、みんなの仇を取るためには、避けて通れない道。


 そう、自らを鼓舞して……。


 いつ追いつかれるかわからない恐怖をぐっと堪えた。



「――ほぇ……迷宮の中だってのに、植物が生えてる。ジメジメしてて気持ち悪いし、最悪……」


「庭園みたい……」



 暗闇を抜けた先には、セリンセの言う通り庭園のような世界が広がっていた。

 

 ――リリウム迷宮、三十階層。

 遺跡型の迷宮から一変して、ここからは深緑溢れる森のような階層が続くそうだ。



「地図には『リリウムの暗い森』と書かれてるわ。森の中なら、隠れられる場所もあるでしょ。そこで休憩しましょう」



 薄暗い湿地帯を見渡す。生温い風が吹き、百メートル先には濃い霧が広がっていた。乱雑に立ち並ぶ木々の表面には、腹部分を白く光らせた光虫が飛び交い、光源となっている。

 


「……アベリア、松明を消して。魔物を引き寄せてしまうかもしれないから」


「ん……」



 携帯松明の火は消して、私たちは異様な空気感のなか慎重に歩を進める。耳鳴りが聞こえてきそうなほど静かだった。自分たちの足音ですら、周囲の植物たちに吸い込まれてしまっているかのよう。たまに響く光虫の羽音と、辛そうに息を吐くセリンセの声が、聴覚の無事を報せた。



「……待って。向こうに何かいる」


「……っ」



 アベリアが囁いて静止を促す。私とセリンセは木の影に隠れ、アベリアも近くの木に身を隠した。数舜後、わずかな足音とともに霧の中から影が生えた。数は一体。影を見る限り、人のような形をしているが、こんなところに人が居るはずはない。


 まさか、魔人に先を越されていた?

 セリンセも同じことを考えたのか、呼吸が乱れる。彼女を落ち着かせるように抱きしめて、背中を撫でた。



「……あれは」



 霧の中から現れたのは、魔人でもなければ人でもなかった。それは、二足歩行で立つトカゲだった。


 リザードマンだ。

 すっかり失念していた。この湿地帯でおもに生息する魔物の姿形を。



「キュルル」



 百七十センチ近くある肢体のリザードマンは、初心者冒険者にとっての鬼門と呼ばれる存在だった。全身を覆う鎧のような鱗は斬撃に耐性があり、生半可な攻撃は通さない上に魔術耐性もある。さらに劣化した竜種の末裔と呼ばれるだけあって獰猛。攻撃性能も高く、稀に現れる上位個体にもなると二メートルをゆうに超える。


 座学で教わった知識をなんとなく思い返しながら、リザードマンが通り過ぎるのを待つ。セリンセは、魔人じゃないと気付いてだいぶ落ち着きを取り戻したが、顔色は悪いままだった。


 ふと、足元に視線を向ける。セリンセの靴が赤黒く染まっていた。それも、負傷した足の方だけ。声を上げそうになるのを堪えて、目を凝らす。彼女のハイソックスに指を触れさせると、ぬちゃっと音がした。血だった。



「――セリンセ、あなた……ッ」



 リザードマンが居なくなったの確認してから、私はすぐその場でセリンセを座らせた。セリンセは、額に汗を滲ませながら、薄く笑った。



「わたし、獣人のくせにドジだから……」


「……っ、脛骨けいこつが……ッ!?」



 血を過分に含ませたハイソックスを脱がせて、私は顔をしかめた。脛骨が、折れて皮膚をわずかに突き破っていた。


 周囲を警戒していたアベリアも視界におさめたのか、息を呑む気配がした。



「どうして、何も言わなかったの……」


「え、へ……言ったら、置いてかれると、思ったから」


「そんなわけ……ッ」



 ということは、じゃあ。


 セリンセは、この状態で今まで、ずっと歩いてきたというの?


 

「い、いくら……いくら、脳内麻薬エンドルフィンが分泌されているからって、こんなんの耐えられる痛みじゃ……」


「たえ、たよ。耐えたよ、置いていかれたくなかったから。死にたく、なかったから……っ」


「っ……」

 


 目尻から涙をこぼしたセリンセが、笑う。



「こんなの見せたら、絶対にわたしを置いていくでしょ? 今みたいにさ、哀れんでわたしのこと置いていって、さも当然のように抗弁たれて、正当化して――プリムラにしたみたいに、わたしのことも置いていくんでしょ!?」



 セリンセの怒声が、静かな森の中に響いた。心のどこかで、魔物が来るから早く逃げなきゃと思った自分を殴りたい気分だった。



「嫌だよ、死にたくない……こんなところで、一人で死にたくないよぉッ!!」


「置いてかない……置いてかないから、絶対に……」


「嘘、うそうそうそっ!! こんな足で、本当に最終階層まで進めると思うッ!? 進めるワケないじゃんバカじゃないの!?」


「大丈夫、私は、置いてかないから。ずっと一緒だから……っ」


「どうせ今も、魔物が来ないか不安でいっぱいのクセに!! 行けばいい、わたしのことを置いて行きなよ!!」


「……行かないよ」



 子供のように泣きじゃくるセリンセを胸に抱く。皮肉なことに、ずっと触れてみたかったセリンセの耳を、こんな形で触ることになるなんて。

 

 胸が痛い。本当に、ごめんなさい。


 あなたの言う通り、いろいろ考えた。置いていかないと約束した裏で、セリンセが居なければと何度も思った。その度に、彼女を守らなきゃと塗り替えていた。


 あなたの言った通りに、そうするのがみんなのためだとか保身ばかりに走って。自分のことばかり、考えてた。もう、三人しかいないのにね。



「ごめんね、ごめん……私は、どこにも行かないよ」



 自分の醜さに涙が出る。



「テレ、ジア……どうして、行かないの……置いていってよ……優しく、しないでよ……」


「もう、誰も殺させない。死なせない。大丈夫だよ、私があなたを守るから」


「……わたしと死ねるの?」



 縋るような言葉だった。期待しているような、それでいて拒絶してほしそうな。セリンセの複雑な泣き顔に、私は首を振って返した。



「ごめん、死ねない」


「――っ」


「だから、生きて帰ろう」



 一緒に死んであげられたらよかったけど、私はまだ、やらなくちゃいけないことがある。死ぬのは、その後だから。



「……テレジアらしいよ」


「褒め言葉として受け取っておくよ」



 涙を拭い、落ち着きを取り戻したセリンセ。私は制服の袖を引きちぎり、止血のためにセリンセの足へ巻いた。

 

 保つ……だろうか。

 このままでは、脱出どうこうの前に出血多量で死んでしまうのではないか?


 いや、そうさせないために、進むんだ。進むしか、ない。



「さて、休憩は終わり。行こう。あと二十階層だと思えば、やる気が湧くでしょ?」


「湧かないわよ。せめて半分を切った、とかでしょうが。明確な数字を出すんじゃない」


「問題ないわ、すぐよ。――セリンセ、ここからは私があなたを抱いていくから。アベリア、引き続き斥候を頼むわ」


「ハイハイ」



 アベリアの気の抜け返事を聞きながら、私はセリンセを抱き上げようとして、



「ううん……テレジア。わたし、自分で歩くよ」


「な……なにを言ってるの? 無茶しなくていいのよ、私が――」


「お荷物になりたくないの。無茶はしないから、行けるところまで……歩かせてよ」



 言って、セリンセは苦痛に顔を歪めながら、立ち上がろうと木に手をかけた。見ていられない。これ以上、痛い思いをしてほしくはなかった。けど、



「……わかった。でも、補助はさせて」


「どうしてうちの班には、わがままお姫様が二人もいるんだか」


「ありがとう……テレジア、アベリア」



 セリンセを二人がかりで起き上がらせて、私たちは地図を頼りに歩きはじめた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る