008

「押さないで、セリンセッ!!」


「いいや、もう限界よッ!! わたしは、押すッ!!」


「セリンセぇぇッ!!?」



 瞬間――浮遊感。


 地面が、消失したかのように無くなって、セリンセとアベリアが下の階層へ落ちていく。遅れて、転がるようにして私も穴へと落ちた。



「逃がすかっ!」


「っ、らぁッ!!」



 追って穴に飛び込もうとしてきたバルベリトへ、剣を投げる。しかし容易く弾かれ、女魔人は紅のドレスを翻し――



「言ったろうが、バルベリト。そいつらはオレの獲物だってよォ」



 ヴァレリアの言葉を最後に、穴は塞がれた。消失した地面が復元されたのだ。


 もしかして……見逃してくれた?


 ……わからない。あいつの真意など、知りたくもないし。それよりも、



「――ぐべえあッ!?」


「っ、のぉ重ったいってのぉッ!!」



 一足先に穴の底に落ちていたアベリアが、私を抱き留める。が、すぐさま地面に落とされて背中を強打した。


 絶対に許さない。いつか同じことをしてやる。そう心に決めて、私は背中をさすりながら起き上がった。



「ここは……?」


「多分、二階層ほど下よ。落下距離が短くて助かったわ……」



 私たちがこれまでも通ってきた階層と似た様相の通路。アベリアの言っていることが正しければ、ここは二十五階層だ。



「逃げ、切れた……って、安堵するにはまだ早い、か」


「ええ。それに……」



 アベリアが、地面に座るセリンセを見遣った。彼女は、大きく見開いた目を地面に向けて、何度も荒い呼吸を繰り返している。体も震えていた。


 そんなセリンセを見て、アベリアが悪態をつく。



「結果的に助かったけど、死ぬより辛い目にあってたかもしれないってのに……」


「助かったんだから、その話はやめましょう。今は、ここから離れるのが先決よ。――立てる? セリンセ」



 手を差し出す。セリンセは、ゆっくりと頷いて私の手に手のひらを重ねた。彼女の額には、尋常ではないほど脂汗が浮かんでいた。



「ん……ごめんね、テレジア――う、ぎっ」


「せ、セリンセ? 大丈夫?! どこか痛い?」


「あ、足が……挫いちゃった……の、かな……?」



 右足を押さえるセリンセ。おそらく、着地に失敗したのだろう。捻挫かどうかを確認するのは後回しにして、私はセリンセに肩を貸した。できることなら抱き上げて進みたいが、あいにくとそこまで体力は余っていない。セリンセにはキツイかもしれないが、痛みに耐えて歩いてもらわなければ。



「でも、どこに逃げればいいの……。もう上には戻れないし、どこか隠れて応援を呼んだ方が良いんじゃ……」


「その応援を待ってる間に、迷宮をしらみ潰しに捜索されてしまうわ。誰か一人でも迷宮を脱出していれば、最短でその日のうちに救援は来るけど……」


「……最悪、二日、ないしは三日、待たなきゃ応援にはこないってワケね」



 迷宮探索に割かれた期間は二日。二日目に誰も帰ってこなければ、異常事態が発生したとみなされて応援が駆けつけてくるだろう。けれど、その二日間を耐え切れる自信は、なかった。



「何も怖いのは、魔人だけじゃない……魔物だって、私たちにとっては十分脅威」


「……プリムラ……っ」



 アベリアが悲痛な声を漏らす。拳を握りしめて、噛んだ唇から血が流れた。


 プリムラの手を握っていたのは、アベリアだった。彼女が、プリムラの手を離し、置き去りにした。


 ……いいや、それをいうなら、私もだ。見捨てたのは、私たち全員。

 


「応援は期待できない、隠れていられる自信もない……ならどうするのよっ!?」



 セリンセが息を荒げる。



「どうせわたしも、死ぬ……足を怪我して、走れないもん……」


「そんなことはない。絶対に死なせないから」


「無理だよ……。もう、わかってる……わたしのせいで、すぐに追いつかれるかもしれないし」



 涙を流しながら足を引きずるセリンセ。彼女の言う通り、徒歩よりも遅いスピードでは、追いつかれるのは時間の問題だろう。


 だからと言って、置いていく選択肢はない。



「もう誰も死なせないから。大丈夫だから、私が守るから」


「……テレジア……」



 顔をくしゃくしゃに歪めるセリンセ。彼女の肩を強く抱きながら、思考を働かせる。


 三班はほぼ壊滅。二班も壊滅。残っているのは、マグノリアがいる一班と、特に親しい顔ぶれのいない四班。この調子だと、他の班も似たような状況だと考えるのが妥当だと思う。


 おそらく魔人は、二人以外にもいる。そう考えてもいい。ならば最短一日での応援は、期待できない。



 ……マグノリアなら、どうするかな。こんな時。



 おそらく、彼女ももう、生きてはいないだろう。実際に戦ったところは見ていないが、現役の騎士ですら太刀打ちできなかった相手だ。いくら近衛騎士団パラディンに配属が決まっているとはいえ、戦闘経験の浅いマグノリアが勝てるはずない。


 よほどの運がない限り、生きてはいないだろう。そう、考えただけで涙が溢れそうになる。瞼の裏で、にへらとだらしない笑顔がチラついた。


 大きく深呼吸をして、涙を堪える。泣くのはあとだ。全て終わってから、好きなだけベッドの上で泣けばいい。今は、まだその時じゃない。



「アベリア、地図を開いて」


「……わかったわ」



 らしくない潮らしい反応はひとまず置いておき、歩きながら地図を確認した。周囲の地形と地図を照らし合わせ、現在の正確な位置を把握する。


 アベリアの言う通り、ここは二十五階層で間違いないようで、このまま先を進めば二十六階層に降りられる階段があり、反対に進み四つの角を曲がれば二十三階層へと上がる階段がある。他にも、遠いが西と東に一つずつ、上下の階段が設けられていた。



「……このまま、真っ直ぐの階段で下に進むわ」


「下に進む?」



 アベリアが怪訝そうに顔を歪めた。



「セリンセが言ったでしょう。上には戻れない、隠れていられる自信がない、ならどうすればいいのって。答えは簡単よ、進めばいい」


「進めばって……他に選択肢がないのは、わかるけど……。わかってるの? 迷宮の深くに潜ればもぐるほど、魔物は強力になるのよ?」


「魔人と戦うより勝機はある。それに……」



 地図を数枚めくる。最終階層をマッピングしたその羊皮紙の中央を指差して、私は笑った。



「転移陣を使えば、迷宮の外に出られる」


「「っ!?」」


「希望は、まだある」



 諦めなければ、まだ。


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