007

 コリウスは、たしか二班だったはず。


 二班の班長を務めるブレティラさんは、私たち第107期見習い騎士団の教官も務めるお方だ。すこしばかりヒステリック気味だが頼りになる優秀な女騎士で、落ちこぼれの私に秘技・飛龍竜巻投げドラゴン・スクリューを伝授してくださった方でもあり――



「来ちゃダメだ、テレジア―――ッ」


「……え、ぁ――?」



 その叫びを最後に、コリウスは爆ぜるように血飛沫を上げた。地面に転がる、バラバラになった四肢。大きく目を見開いたコリウスの瞳が、私たちを見つめていた。



「よっと。……む、新手? ――いや、ヴァレリアではないか。何を遊んでおる」



 靴音を鳴かせて、亡骸となったコリウスを跨ぐ一人の女性。赤いドレスに身を包み、金の混じった黒髪を左右に結んだ女が、私たちの道を塞ぐようにして立つ。



「バルベリト、手ェ出すんじゃねえぞ。そこのサル共はオレの獲物だ」


「うむ、なら手出しはせん。しかし向かってくるなら切り結ぶぞ?」


「……っ」



 べったりと血の付着した剣を担ぐ魔人。バルベリトと呼ばれた女は、無邪気な笑顔を綻ばせた。成熟した大人の体に子どもの魂が入っているかのような印象を受ける。


 

「ど……どうするの……?」



 震えた声が隣から聞こえてきた。私は、呆然としながらアベリアを見る。


 まるで死人のような顔だった。彼女の瞳に反射して映る私も、似たような顔色だった。


 目の前でコリウスが死んだ。私に好きだと言ったコリウスが。


 特段、彼に特別な思いは寄せていなかったけれど、それでも大事な同期だったことには変わりなくて。


 そして、何より。

 コリウスがそこで死んでいるということは、おそらくブレティラさんも、もう……。



「どう、しよっか……」



 涙すら出てこない。もう何も考えられない。逃げ道は女魔人に塞がれ、後ろには狂人染みた魔人が喉の奥で笑いを堪えている。どこにも逃げる場所は、なかった。


 意識を失ってしまえば、どれだけ楽だっただろうか。この恐怖に、押し潰されて狂ってしまえれば、どれだけよかっただろうか。



 ああ――どうして、こんな時に思い出すのだろう。



 瞬きのたびに繰り返される、赤い光景。熱と瓦礫と死体で埋め尽くされた、故郷の街並。


 突如襲来した魔王によって、私の故郷は壊された。

 私は、一人逃げ延びながら、決意したのだ。瞼に蘇る、恐ろしい魔王の姿をめつけながら。



 魔王を殺す。そいつを生み出した魔人という種も殺す。



 親戚中をたらいまわしにされて、うとまれて、叩かれて、殴られて、それでも折れなかったのは、みんなの仇を討つという復讐心があったからこそ。


 

 ――何が魔王を殺す、だ。ここで逃げている程度じゃ、到底敵わない。



 震えが鎮まる。ヴァレリアに殺されたはずの熱量が、再び蠢きはじめる。


 視界から焦土が消えて、迷宮の内部。一本道の先に立つ女魔人バルベリトを見据えながら、私はもう一度剣を抜いた。



「て、テレジア……? あんた、まさかまた……」


「死なない。私は死なない。魔王を皆殺しにするまでは、死ねない。だから戦う。戦って、ぶちのめして応援を呼ぶ。みんなの仇を取るの……ッ!!」



 私の気勢に、アベリアが息を呑む気配を感じた。


 ヴァレリアは無視だ。あいつは私を舐めている。わざと一定の距離を保って遊んでいるから、ひとまずは無視していい。殺す気ならとうにやっているだろう。


 だから、どうにかしなければならないのは、バルベリトと呼ばれた女魔人ひとり。


 倒せなくてもいい。こうして対峙しているだけで、ひしひしと感じてくる。あいつは、後ろのヴァレリアよりも強い。ヴァレリアに手も足も出なかった私が、尚更勝てるような相手じゃない。


 だから、倒さない。何度打ち合えるかはわからないけれど、私が先陣を切って引きつけて、その傍らをみんなで抜ける。そのあとは、また全速力で逃げることになるけれど、正面切って戦うよりは勝機があるはず。


 

「……っ、私が引きつける。だから二人は、アイツの剣が止まった隙に向こうへ――」


「か、神懸かり……神懸かってるよ、テレジア……っ!?」


「な……な、に?」



 口を閉じていたセリンセが、急に上擦った声をあげた。とうとう度重なるストレスでおかしくなってしまったかと思われたが、何やらセリンセは、こんな状況だというのに地図を広げていて、



「どうなるかわからない、けどもうこれしか……ッ」


「せ、セリンセ……? どうしたの、何か――」


「―――っ!!」



 問いただすよりも早く、セリンセは駆け出した。左側の壁に沿って、手を引きずるようにして壁に当てながら、走る。



「うむ、向かってくるなら容赦せんぞ! いざ尋常に――勝負ッ」


「早く、二人とも走って!!」


「っ、私が先頭よッ!!」


「ぁ、くそ……っ!!」



 セリンセに急かされて、私とアベリアも走る。何か策があるのかわからないけれど、一番危険な先頭は譲れない。私が二人を守る。



「せぇぇぇいッ!!」


「っ―――ぁぁぁぁぁっ!!」


 

 可愛らしい気勢とともに、バルベリトが逆袈裟に剣を薙いだ。


 ――速過ぎる。三十メートルもあった距離を、一瞬で詰めてきた。けれど、それくらいやってくると、一種の信頼感を抱いていた私は、咆哮とともに迎え撃つ。



「くぁっ!?」



 そのあまりにも強い衝撃に、私の体は後方へ転がった。


 甘かった。私なんかが、何度も打ち合える程度の輩じゃ、なかった――このままでは、二人が……

 


「な、めんな……ッ! あんた一人にぃぃぃッ!!」


「なんとっ!?」



 地面を転がる私とすれ違うようにして、アベリアが剣を振り抜いた。その予想外の奇襲に、バルベリトを防御の上から押し返す。震える体に鞭を打って、アベリアは剣を抜いた。相変わらず生意気な女だけれど、助かった。このまま、突っ切る――


 体勢を立て直した私は、アベリアの支援に向かおうとしたその時だった。



「見つけた……ッ」



 いつの間にか壁に張り付いていたセレンセが、その不自然なくぼみに手のひらを置いた。



「まさか……ッ! あんた、それって……!?」



 アベリアが叫ぶ。セレンセは、血走った目をこちらに向けて叫んだ。



「もうこれしか方法はありません!」


「でも、それがどんな効果のトラップかわからないでしょ!?」


「どのみち死ぬなら、わずかな希望にかけてみてもいいでしょッ!?」



 演習前の座学で教わったことがある。迷宮には、至るところにトラップがあると。それは壁や床であったり、天井やはたまた空間に設置されていることもある。誰も予想できないような手口でトラップを起動させ、迷宮に侵入した者を死に至らしめる、と。

 

 神経ガスの充満や千五百度以上の炎の放出、さらには無尽蔵に魔物が湧き出る魔物部屋の転移など多岐にわたるが、中には侵入者の傷や疲れを癒す類のトラップも存在するという。


 リリウム迷宮では、その全てのトラップが解明されている。事前に渡された複数枚の地図にはバツ印で、どこにトラップが仕掛けられているのかが記されている。しかし、その内容までは書かれていない。


 セリンセが、絶望の最中に見出したトラップ。無論、それの発揮する効果はわからない。何も状況が変わらないかもしれないし、そうじゃないかもしれない。


 未来はわからない。その決断が良いのか悪いのかの判断もできない。アベリアが正しくて、セリンセが間違っていると一体、どこの誰に判断できようか。



 ゆえに、私は。



「はぁぁぁッ!!」


「むむっ!」


「カカッ、イイ度胸だぜ。なあ、テレジア。惚れ惚れしちまうよ」



 やるのか、やらないのか。その決断を邪魔させないよう、また、選択肢を潰してしまわないように、私は咆えた。剣を駆り、バルベルトに肉薄して力任せに叩きつけた。

 


「押さないで、セリンセッ!!」


「いいや、もう限界よッ!! わたしは、押すッ!!」


「セリンセぇぇッ!!?」



 私がバリベルトの剣撃を防御し、地面を転がるのとほぼ同時にトラップは起動した。

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