005

「……もう少しで折り返し地点だね。順調過ぎるんじゃないかな? 当初の予定だと、二十階層で野営する予定だったのに」



 疲労を顔に滲ませたセリンセが地図を片手に言った。私含めて他の班員も、当初より歩く速度が落ちている。変わらないのはエンプレス班長だけだ。さすが現役の騎士というべきか、疲労どころか汗ひとつ滲ませていない。



「もう外は夜かな……はああ、疲れた。いったいいつになったら寝られるのかしら……」



 アベリアが班長に聞こえるか聞こえないかぐらいの声音で呟き、セリンセが頬を引き攣らせながらエンプレス班長の様子を伺う。


 どうやら聞こえていなかったようで、セリンセは安堵のため息を漏らした。



「もう少しだと思うよ。さすがに二十五階層までは行かないと思う」


「そうだとありがいけどね……」


「――止まれ」


「「「っ」」」



 エンプレス班長の突然の静止に、私たちはビクリと体を震わせた。


 まさか、聞かれていた? アベリアに非難の目を向ける。近くにいた班員たちも、揃ってアベリアに目を向けた。しかし、



「……血の匂いがする」



 エンプレス班長は、振り返ることなく不審な言葉を呟いた。

 ……血の匂い?

 首を捻る私たちへ、班長は顔を向けることなく指示する。



「ここで待機。魔物と遭遇した場合は、これまでやってきた通りに対処しろ」


『了解』



 そしてエンプレス班長は、私たちを置いて先行した。待機を命じられた私たちは、周囲を警戒する。



「はあ、もうここらで野営してもいいんじゃない? 疲れちゃったよ、もう」


「おいアベリア、流石に座るのはやべえ。待機つっても、ここは迷宮内だぞ?」


「うるっさいわねえ、どこに魔物の影があるってのよ」


「だからって、お前なあ……」



 アベリアが地面に座り、壁に背中をくっつけた。彼女は悪びれる様子もなく水筒を口につけて、「ぷふぁ……」とリラックスする始末。



「休める時に休んでおいた方がいいんじゃない? ここで野営ってのがいいんだけどさ、もしそうじゃなかったら辛いわよぉ?」


「疲れてるのはみんな一緒だよ。お願いだから立ってよ、連帯責任で野営が長引いたらどうするの?」


「……セリンセの言う通りよ。足を引っ張らないでくれる?」



 珍しくフォセリアちゃんが苛立たし気に言葉を発した。それを聞いたアベリアが、目の上をひくつかせた。



「へえ。真面目ちゃんも怒れるんだ? 黒板に恋した生体兵器かなんかと思ってたけど、しっかり感情があるんだねえ~?」


「……恋も感情の一つよ」


「知ってるわよ。なに、私に恋ってヤツを教えてくれるっての? ん?」



 フォセリアちゃんに詰め寄ろうとするアベリアの前に割って入る。アベリアは、さらに眉間に皺を寄せた。



「テレジアぁ、あんたマグノリアの真似事は似合わないよ? あいつと違って凡人なんだからさあ」


「その凡人に足折られたあなたはなに? 家畜かしら」


「……ハァン。ここで昨日の続きをやったっていいのよ?」


「続き? 私の勝利でケリが付いたじゃない」


「――調子に乗りやがって……ッ」


「おい、もうやめろよ、無駄に体力を消耗するだけだぞ!?」



 バウエラが私とアベリアを無理やり引き剥がす。鼻を鳴らしたアベリアが、再び腰を下ろした。私は、行き場のない苛立ちを抱えながら息を吐く。

 


「……みんな、イラついてるわ」



 フォセリアちゃんが言った。



「……らしくないことを言ってしまった。反省しなきゃね」


「いいと思うよ。言いたいことは言わないと、かえって体に悪いし」



 セリンセが笑みを作り、フォセリアちゃんの肩を撫でた。

 二人を見て、私の心が癒されていく。苛立っていた感情が落ち着いてくる。



「それにしても、班長の言っていた血の匂いってなんだろう……」


「魔物の血じゃないか?」


「魔物同士で争うことって、あるのかな?」


「……あるわ。おなじ種族でも、生まれたコミュニティが違えば敵対することもままある」


「そうなんだ……」


「ていうか、班長遅くないか……?」



 バウエラの疑問に、その場の全員が頷いた。耳を澄ましてみても、帰ってくる足音は聞こえない。



「何かあった……ってことは、ないよな?」


「エンプレス班長は現役の騎士だし、初心者御用達の迷宮で遅れをとるような人じゃないと思うけど」


「誰か見にいけばいいんじゃない?」



 髪の毛をいじりながらそう提案したのは、アベリアだった。提案した彼女が行けばいいと思ったが、重い腰は上がりそうになかった。



「じゃ、じゃあ俺が行くか」


「でも、待機って命令だし……」


「心配すんなよ、セリンセ。何かあっても怒られるぐらいで殺されはしねえって」


「心配はしてないよ? ただ連帯責任が怖いの……」


「………」



 バウエラの動きが固まった。連帯責任。恐ろしい言葉だった。それだけで私たちの行動を阻害し、迂闊に動くことを止める。



「……待つしかないようね」


「そ、そうだな……待とう」


「まあ、その分休めるし? どうでもいいわ」



 完全にやる気を無くしたアベリア。そのうち、寝袋を取り出して横になりそうな勢いだった。流石に注意するべきだろう。これでは班員の不満は増すばかりだ。と、私が口を開きかけたその時だった。


 エンプレス班長が進んでいった方角から、足音が聞こえてきた。全員が、緩ませていた気を張り直す。アベリアも即座に立ち上がり、警戒していたようなていで鞘に手を伸ばす。



「ふぅ、様子見に行かなくてよかったぜ……」


「あーあ、もう少し休みたかったなあ」



 全員の視線が足音の方角に集まっていた。報告が気になるのだ。血の匂いとはなんだったのか。いったいこの先で、何が起きていたのか。あるいは、何もなかったのか。


 胸騒ぎを秘めながら、曲がり角から班長の姿を待つ。そして、



「……班、長?」



 最初に、その異変に気がついたのは、曲がり角から一番近いバウエラだった。


 曲がり角からわずかに顔を覗かせたエンプレス班長。その体が、頭部を置き去りに倒れた。


 バタン。鈍い音が迷宮に響く。次いで、液体のようなモノが、本来そこに、首が置いてある場所から流れ出していて……



「思ったより湧いてやがるじゃねえか、サルどもが」



 グチャ。背後から現れた長身の男によって蹴り飛ばされたエンプレス班長の体が、壁に激突して潰れた。盛大に飛び散り、地面と壁に付着する血液と臓物。一瞬にして溢れ出す、悪臭。長身の男が、手のひらに乗せた班長の頭を、まるで投擲するかのように体を捻らせて――



「――伏せ――」


「遅え」



 小馬鹿にしたように鼻で笑う長身の男。瞬間、



「――ぁ」


「―――」



 う、そ。



 ぶちゃ、と何かが潰れ、爆ぜる音がすぐそばで響いた。



「ファ……せり、あ……ちゃ――」



 顔に飛沫した血。

 ゆっくりと、膝から倒れたファセリアちゃんの頭部は、どこにもなかった。


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