第一部 第107期見習い騎士団

001

「――戦う理由? そんなの、魔王をぶっ殺したいからに決まってる」



 木剣を縦に振り下ろしながら、私は即答した。


 くだらない質問の送り主であるマグノリアは、やる気のなさそうな顔を快晴に浮かべて、ほええとだらしない声を漏らした。



「魔王ねえ……そりゃ、大それた夢だことで。それのどこにモチベを見出してるのかとても気になるよ」


「目標は大事。特に、そのためなら命を投げ出せると思える目標は決断を速めてくれるし迷いが生まれない。マグノリア、あなたにこそ必要だと思うけど」


「あたしもねえ、これでも考えてるんよ。目標ってヤツ? 生きる……戦う理由ってヤツを。でもなーんにも浮かばないんだよねえ」


「首席のくせにムカつくわね」



 素振りをやめて、芝生に寝転がったマグノリアを見下ろす。


 芝生に広がる紺色の髪。眠た気に垂れた赤い双眸。訓練着から覗く健康的な肌に、しなやかに伸びた四肢。そのかたわらに転がる木剣の刀身は、先の模擬戦がどれだけ過激だったのかを物語っていた。



「一応まあ、努力はしてるからね。テレジアの十分の一程度だけど」


「――テレジア・リジュー。次は貴様の番だぞ。準備はできているな?」


「はい、教官。いつでも」


「よろしい」



 にへらと笑うマグノリアのすぐ横を、一人の教官が通り過ぎていく。


 訓練場を巡回する教官は、誰一人として彼女の怠慢を咎めない。


 なぜなら、彼女は優秀だから。


 第107期見習い騎士団の中で、マグノリアは群を抜いて優秀だった。


 歴戦の騎士でなければ相手が務まらぬほどの剣術を扱いながら、各種座学も好成績。良家の出身で容姿端麗。やや覇気に欠けるが、言われた以上のことを示し結果は出す。


 現段階で超がつくほど有望視され、訓練校卒業後は近衛騎士団パラディンとして迎え入れられることが決まっていた。


 文句の付け所のない、そんな彼女につけられた渾名は〝縛られぬ騎士アンチェイン・ナイト〟。


 かつて彼女ほど、訓練校を自由気ままに過ごせた見習い騎士などいなかったと、視察に来たお偉いさんからのお墨付きだ。



「テレジア、きょうこそぶっ飛ばしてやりぃ。あたしはここで応援してるよ」


「言われなくても。あなたはそこで、戦う理由でも考えてなさい」



 起き上がったマグノリアに肩を叩かれて、私は中央に向かう。視線の先、木剣を肩に担ぎ、威風堂々と立つ女をめつけるように据えて。



「よく手番が重なるわね、テレジア。またボッコボコにしてあげるわ」


「滑稽ね、アベリア。私に勝った気でいたいなら、息の根ぐらい止めて見せないさよ」


「手心を加えられていることには気付かない?」


「逆に聞くけど、私に勝った実感ある?」


「………」


「………」



 対峙するアベリアと睨み合う。嘆息する教官。周囲では、「また始まったぞ」と同期たちが集まっていた。



「怖え、女の喧嘩って男のそれより怖えよ」


「テレジアちゃん、がんばって!」


「おいコリウス、おまえやっぱりテレジア派かよっ!」


「そういうおまえはアベリア派か。なかなかのドMだな」


「じゃあ、おれはきょうもテレジアちゃんが勝つのに五百ディラ賭けるぜ」


「乗った、オレもテレジアちゃんに五百ディラ」


「僕はテレジアちゃんに千ディラ!」


「またアベリアに賭けるヤツいねえじゃん。――あ、俺もテレジア派なんで」

 


 好き勝手に騒ぎ立てる男性陣。会話の内容が気に食わなかったのか、アベリアは笑みを引き攣らせ、視線をナイフのように鋭く研いでいく。男性陣の背筋が、一瞬にしてピンと張り詰めた。



「……コホン。さて、準備はいいな?」



 呆れたガーベラ教官の咳払いで、アベリアの視線が私に向く。鬼のような形相だった。ならば鬼退治と洒落込もう。私は木剣を構えた。



「よし。なら死なない程度に殺し合え――始めッ」



 ガーベラ教官の号令を合図に、私は木剣を上段に振り上げた。予想通りに、間合いを詰めてきたアベリアは怒りに身を任せた横薙ぎを振るった。



「お可愛い顔がぐっちゃになってるわよ、アベリアッ!」


「お高くとまってるんじゃあないわよ、テレジアぁッ!!」



 初っ端から全霊を込めて振り下ろした剣撃は、アベリアをわずかに後退させるだけに止まった。すぐさま体勢を整えたアベリアの木剣が、私の目を狙って走る。

 

 ――こいつ、昨日から執拗に目を狙ってきやがる。



「くっ……!」


「ほらほらほら、次行くわよ!!」



 目を必死に庇うあまり、防御が疎かになる。アベリアの薙ぎが右肩に吸い付いた。鈍い痛み。わずかに骨が軋む音が皮膚を通して伝わった。


 このまま、防御に徹していてはいけない――度重なる痛みに耐え、攻勢に出る。アベリアの顔面を狙って突きを放つも、容易に躱され、木剣が私のうなじを砕いた。



「うぐ――ッ」


「ド低脳めッ! あんたの考えていることなんて見え透いてんのよ!」



 素早い足捌きで、私の反応を上回って剣撃を叩きつけてくるアベリア。

 痛い。

 また執拗に目を、フェイントを絡めて右肩を打つアベリア。私は、負けじと剣を振るった。



「チッ、ほんとあんたゾンビね。痛覚ママのお腹の中に忘れてきたんじゃないの?!」


「―――」



 容赦なく蹴りが頬を打つ。ぐらつく視界。しかし――私はこの時を待っていた。震える膝に力を込めて、アベリアの足に組みつく。



「んなっ!?」


「ビビったわね。木剣を叩きつけてれば、さすがの私でも危なかったのに――」



 片足立ちとなったアベリア。いくら訓練で体幹を鍛えていようと、体勢を崩すのは容易だった。せめてもの抵抗でアベリアが木剣を頭に叩きつけてくるも、腰の入っていない斬撃など取るに足らない。



「このッ! 離せ、このッ!!」


「お、おいバカ、そこまでだ止まれッ」


「テレジアちゃんッ!?」



 頭部から流れた血が瞳に入る。しかし、もう止まらない。



「自身の甘さ、私を舐めた態度、中途半端な気勢を悔やみなさい、この性悪女ッ!!」


「ひぎ――」



 アベリアの片足を脇下にしっかりと抱え、跳躍――巻き上げるようにして自身の体を左に回転させた。同じく、倒れるようにして回転したアベリアは頭部から芝生に着地し、絶叫を上げる。



「ど、飛龍竜巻投げドラゴン・スクリュー……!? テレジアちゃん、いったいどこでその技を……!?」


「ひぎぃぃぃぃ!!? あ、あ、あし、あああ足がぁぁぁぁっ!?」


「あー、ありゃ靭帯も逝ったねえ」



 沸く男性陣と痛々しい悲鳴を上げるアベリア。そして、呑気な声を上げながら私の腕を抑えるマグノリア。遅れてやってきた教官が、私を見てため息を吐いた。



「……死なない程度にと言っただろ、テレジア……」


「死にません、そんな程度じゃ」


「だからってトドメは刺さなくていいんじゃないかな、テレジア。もう決着はついたよ」


「あ……」



 マグノリアに言われて、そこではじめて私が、木剣を振り上げていたことに気がついた。芝生をのたうち回るアベリアへ、私は木剣を……。



「初勝利と祝いたいところだけど、まずは医務室に行こっか。ガーベラ教官、連れて行ってもいいですか?」


「ああ、頼む。おい、模擬戦が終わったヤツ、誰でもいいからアベリアも連れて行ってくれ」


「じゃあ、僕が行きます!」


「俺も手伝うぜ、コリウス。合法的に女の子に触れるチャンスだからなっ」


「……見なよ、バウエラ。アベリアが尋常じゃない目で睨んできてるよ。痛みに堪えて。相当きみに触れられるのが嫌みたい」


「流石に傷つくぜ、そりゃ……」



 バウエラが嘆きながら、コリウスと一緒にアベリアを起き上がらせて肩を貸す。嫌がるアベリアを宥めながら、三人は本部隊舎の方へ歩いて行った。



「さ、テレジアも行くよ」


「自分で歩けるわ」


「そう言わずに、ね? 負傷したテレジアを運ぶのが、あたしの生き甲斐なんだ」


「……私が必死に戦ってた時に、考えてたのはそんなくだらないこと?」


「くだらなくないよ」



 私を抱き上げたマグノリアが、三人の後を追う。私とそう変わらない体型だというのに、どうしてこうも軽々と持ち上げられるのだろうか。羨ましい。



「それにしても、テレジアはどうしていつもボロボロになるかねえ。血を流すのが好きなのかい? それと痛くないの?」


「痛いわよ。辛いし、アベリアみたいにのたうち回りたいわ」


「でも、そうしたことないよね?」


「当たり前でしょ。戦場でそんなことやってたら、恰好かっこうの的よ」


「そりゃそうだ。けど、これは訓練なんだからさ、命賭けなくてもいいんじゃない?」


「ふざけないで。私はあなたみたいにお気楽じゃないのよ。ただでさえ、私は――」



 私は、弱い。

 搦手を使わなければ、相手の隙を待たなければ、勝利をもぎ取ることができない。


 私に、戦う才能がないことはすぐにわかった。

 訓練校に入り、私は絶望した。そして、自身の愚かさを憎んだ。


 故郷を滅ぼした魔王を殺す――それだけを糧に生きていたのに、まさか自分にその手の才能がないなんて。とんだ笑い話だ。


 ただ、それを認めたくなくて、こんな必死になっている。馬鹿みたいだ。



「……私は、あなたみたいに強くなりたい」


「十分強いよ。テレジアの精神力は、この場の誰よりもまさっている」


「気合いで魔王を倒せるのなら、もうやってるわよ」



 そう、六年前のあの日に。

 魔王が、私のすべてを滅ぼした、あの日に。

 

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