『裸婦』6
それから成美先輩とは、正式に付き合うわけでもなく、セックスフレンドとして過ごしていった。
私は暇な時はいつもアトリエに居た。先輩はそこにたまにやってきては勉強したりコーヒーを飲んだり、私の絵を見てくれたりした。それから一緒にご飯に行ったり、セックスをするときはして帰っていった。
私は変わらず普段は先輩と呼んだ。セックスをして繋がっている間だけは名前で呼んでも許されるような気がして名前で呼んだ。
先輩は京都の美術大学と、普通の4年制大学を併願で受けて、結果静岡の私立大学に進学することになった。卒業作品は全国区のコンクールで賞をもらっていたから、どこか推薦で受けることもできたと思うが、先輩は一般入試に拘っていた。
私は先輩が卒業するまでに、2枚の油絵を完成させた。題名は十数年の時を超えて、先刻つけられた。『裸婦』という。2枚で1つの裸婦画である。
清らかなままで、美に昇華された身体。汚されることで美の特性を得た身体。片方は卒業式のあとで先輩にあげた。もう片方は祖母の家の蔵に眠らせている。私が高校を卒業して以来、一切の連絡をとっていない。2度と完成することのない作品であるが、私の人生において、最も優れた作品であったと断言出来る。
かつて画家を志したことがあるような気がする。今となっては信じられない話だが、自分のなかに芸術家の卵を感じていた。自分は絵を描くことしか出来ないと、もっと強く強く信じていれば、今よりももっと沢山の友人に囲まれていたのだろうか。どこか海辺の街の、小さな路地裏なんかで、タバコを吸ったり酒を飲んだりしてきたせいで、少しずつ少しずつ、友人か恋人になれたかもしれない誰かと出会いすらしないで別れてきた。
近頃、コーヒーを飲んだ記憶がない。妻が筋金入りの紅茶党なもので、彼女に付き合って色々なフレーバーを試しているうちに、多少紅茶の良し悪しが判断できるようになってきた。
そして自分には飲めるはずがないと思っていた酒も、彼女のせいでそれなりに飲めるようになってしまった。先程まで家中の酒瓶を空にする勢いで飲んでいた妻が、いつのまにかテーブルに伏して寝ている。周りを片付けて彼女を寝室まで運ぼうと、カップに少し残った液体をあおる。
と、それがコーヒーリキュールであった。珍しいじゃないか、と思うと同時に、懐かしい、そうだこんな味だった!と感情が舌を奔った。喉の奥から自然と、そうだ……「あの絵に『裸婦』と名付けよう」という宣言がなされた。
今もアルコールランプから生まれたような陽炎が、アトリエに燻っていた。
絵描きシリーズ 高井 緑 @syouyuuyu
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