『裸婦』2

 『塔』は対外的には私の一番の成功例に間違いない。

 しかし私自身の選ぶ真の最高傑作は、とある2枚の裸婦画である。一対の裸婦画とも言える。今はもうその2枚は揃わないため、永遠に失われた絵でもある。題は無いのだが、今仮に『裸婦』とつけよう。


 高校2年生になった私は、3年生の成美なるみ先輩にヌードモデルをしてほしいと頼み込んだ。長身の、スレンダーな女性で、肩より下まで伸びる黒髪が綺麗だった。先輩も美術部で、私は入部した時からずっと良くしてもらっていた。

 高校生の部活レベルでヌードデッサンなど、どう考えても普通は行うはずが無い。もちろんモデルをやってほしいというのは単なる建前で、つまりは二人きり、密室でお絵描きをして、そのままなし崩し的に男女の仲になりたいですというお誘いであった。


 成美先輩へのアプローチはかなり長く地道に続いた。芸術家として壁を超えるために手伝ってほしいこと、成美先輩でなければ駄目なことをひたすらに訴え続けた。先輩にJという彼氏が居ることも承知していた。だが同時に成美先輩が押しに弱いことも分かっていた。


「もしJにバレたら絶対嫌われる、絵とか全然興味ない人だし……」


 私に言い寄られていること自体が、Jに知られたくないことのようだった。好都合である。


「大丈夫です、絶対J先輩にはバレないので!誰にも知られない場所があるんです」


 親戚がやっていた例のスナックバーである。その親戚が脳梗塞だったか脳卒中だったかで倒れ、復帰出来るか分からない。店を畳むにしても片付けに時間がかかる。そこで私が高校を卒業するまでの間、店を個人的なアトリエとして使わせてもらっていた。


 まずはデッサンモデルの話とは関係なく、私のアトリエを紹介しますと放課後に先輩を連れて行った。学校からバスで20分ほど。檸檬の意匠があしらわれた看板。無期休業中の張り紙。


「ここ入っていいの?閉まってるみたいだけど」

「父の店なんです、ほらコレが鍵です」


 親戚、というのが少し事情があって説明しづらかったので、父が趣味で経営していたカフェということにしていた。借地ではなく、あの親戚が亡くなった場合、土地の権利書は父がもらうことになるはずなので、そんなに嘘はついていない。


「あんまり繁盛してなくて辞めちゃったんです。今は俺のアトリエに貰いました。どうぞ、入ってください」

「へぇー、お洒落なお店だ。ホントだ、アシ(イーゼルのこと)がある!」

「カウンターへどうぞ、コーヒー淹れます。豆の定期購入がまだ期限終わってなくて、普通の喫茶店みたいに飲めるんです。あ、紅茶が良いですか?」

「ううん、コーヒーでお願い」

「分かりました」


 ティーセットもサイフォンも、全て店がやっていた当時のまま使えた。棚からアルコールランプとガスライターを取り出し、おしぼりを先輩に渡す。


「すごい、喫茶店のマスターだね」

「実際店でもコーヒー淹れてましたから。味は保証します」


 実のところかなり良い豆を使っていた。素人の私が大雑把に淹れても、喫茶店の味がする。成美先輩は紅茶よりコーヒー派だと前に聞いていた。

 二人でコーヒーを飲む。BGMも用意しておくのだったと少し後悔した。会話が途切れないように必死に言葉を繋ぐ。それでも、どうしても会話に空白が生まれてしまい成美先輩が店を見渡す。

 バーカウンターの後ろ、キープボトルが並ぶ酒棚の上に、何故か店の洋風な雰囲気と似つかわしくない、ダルマと大きな将棋駒がある。指を指し、校長室みたい、と先輩が笑う。


「いいな、こんなアトリエ。秘密基地だね、男の子って感じする」

「僕たち二人で使いませんか?一人だと結構広くって。先輩だけに特別です、使ってもらってもいいですよ」

「そんなの、なんだか他の皆に悪いし……」

「誰も知らない場所で特訓って、なんかめっちゃ上達しそうじゃないですか?先輩、そろそろ卒業制作も考えてるんですよね」

「……うん」

「じゃあ是非協力させてください!コーヒーだって飲み放題ですよ」

「……うん、コーヒー美味しい」


 こうして部活動の時間に、二人でアトリエに篭ることが増えていった。しばらくして先輩はJと別れた。なんとなく異性という感じがしなくなったから友達に戻っただけ、と先輩は言った。先輩は休日もアトリエに来るようになった。

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