『裸婦』1

 かつて本気で画家を志していたような気がする。美大を受験した訳ではない。いつの間にか見えなくなっていた夢。それは幼い頃いつも遊んでいた、顔も名前もあやふやな友人である。ただ漠然と、そんなものが私の人生の中に、確かにあったように思う。


 中学も高校も美術部に入った。どうしても美術部でなければならないと決めていた気もするし、他に惹かれる部活がなかったからなんとなく友人が多い美術部にしたような気もする。


 ともかく、入ってからは必死に打ち込んだ。コンクールでもそれなりに満足のいく結果を出せた。今では一般にコンペと呼ぶらしいが当時はコンクールやコンテストと呼んで、コンペという呼び方はしなかった。顧問がやけにこだわる人でコンペと呼ぶと怒られた。賞金が掛かっている感じがして嫌だと言っていた。学生の得られるものは純粋な栄誉であるべきだという主張だった。

 

 最も公に評価を受けた作品は『塔』の絵だ。これは市の絵画コンクールで優秀賞をとって、県大会に出展し知事賞に選ばれた。中学3年生の作品だ。


 夏休み、私は親戚がやっているスナックバーで手伝いをしていた。昼間は喫茶店としてコーヒーも出している。日中は冷房の効いた店内で学校の宿題をこなして、夜は店の厨房でインスタントラーメンを作るのがその頃の日課だった。


 早朝、眠い目をしぱしぱしながら空き瓶の詰まったビールケースを店の裏の路地に運んでいると、そこで小学生くらいの男の子が、母親にゲーム機を捨てられる瞬間に立ち合わせた。


 男の子は信じられないくらい泣き叫んでいる。据え置き機がコンクリートの地面に叩きつけられ、鈍い音を立てて弾ける。おおっ!と私の眠気は吹き飛んだ……まさか日常生活のなかで「ひしゃげる」なんて言葉が実体を持ってあらわれる日が来るとは!


 感動した私は思わず、持っていたビールケースを同じように地面に落としてみた。ドガガシャン!バリン!と何本か空瓶が割れる音がした。少しうるさ過ぎるが、ガラスっぽい透明度を感じてこれも悪くない。

 親子がギョッとして私を見ている。

「おはようございます。あ、すみませんちょっと、そのままにしといてもらえますか?」

 私は急いで店の中に戻り、祖父のフィルムカメラを持ってきてその現場を撮影した。

 

 全く平和な、海に近い街である。潮風と共にゆるゆると時間が流れている。しかし1本道を外れると、こんなにも若い。不変だと信じていた世界にも破壊がある。一種の希望が見えた気がした。それから現像した写真を見ながら、タロットカードの崩壊する塔になぞらえて描いた絵である。

 

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