絵描きシリーズ

高井 緑

短編:『黒』

 中学校の絵画コンテストで銀賞、つまり学校で2位をもらったことがある。

 ただ画角一杯を黒く塗り潰したような絵だ。


『黒』

東京で立ち並ぶビルの隙間から見上げた夜空。

街の灯りで星なんか見えなくて、でも黒くて、綺麗だった。

何か変なフィルターを通してじゃない、ありのままの「黒」があった。

そんな空の絵。


 それが忘れられなくて、島根に帰ってから春休み中、紙をずっと塗り続けていた。あの時に見た黒色をどうにか表そうと、色んな画材を使った。画材といっても中学生が用意出来るレベルのもので。


 クレヨンの黒は最初いい感じかなと思ったけれど、次の日に見てみるとなんだか塗りにムラがある気がした。それで鉛筆で細かく塗っていったら、変な「白」が出てしまってこれもダメだった。シャーペンの芯は薄過ぎるし、マジックペンは油っぽい光沢があって、これも違うと思った。


 炭も試してみた。鉛筆と同じようになるかと思ったけど、炭の方がずっと良かった。しっかり厚みのある黒になったし、柔らかい感じもあった。


 けれど一番良かったのは結局絵の具の黒だった。最初から使えば良かったのだけれど、絵の具は準備も片付けも面倒だと分かっていたから出来れば他のものでやりたかったのだ。


 一度絵の具がふさわしいと気付くと紙を塗るのが一気に楽しくなっていった。私の中にあるあの時の夜空にどんどん近付いていくのが分かった。そうして毎日筆と絵の具とキャンバスを出しては紙に塗り込んでいって、洗ってベランダで干しておいて、翌日また使った。幸いあまり雨が降らない年だったと思うけれど、2回くらい雨が降った時はドライヤーで乾かした。今のズボラな私なら多少濡れていても気にせず使ったと思う。でも当時はもう筆を洗って乾かして使うというルーティーンそのものが楽しくなっていた。


 そうして約2週間塗り続けた私の作品は、特に意識していなかったがそういえばそんな宿題もあったなと、絵の課題として出すことになった。春休み最終日のことだ。長期休暇の宿題には選択枠というのがあって、読書感想文か絵画を選んで出すことになっていた。私は小学校の時からずっと読書感想文にしていたが(幼小中の一貫校だ)、そろそろ今年も適当に1冊感想を書くかというところで母から「今年はあの絵じゃないの」と言われて初めて気が付いた。


 なんだこれでいいのか。じゃあ今年はこれを出そう。

 しかしこれは何の絵だろう。


「お母さん、これ何の絵?」

「知らないけど……あんたが描いたんでしょ」


 絵を提出するにあたって、題名と簡単な説明を書かなければならなくなったので困った。ひとまず『黒』と題をつけたその絵は「2週間塗り続けました」とだけ解説がつけられて提出された。


 新学期が始まって半月ほど経った頃、学校の正面玄関、外部の客人が入校する辺りに上位十名の佳作が展示された。丁度その時、保健室前の廊下の掃除当番だったので、昼休み終わりに向かう道すがらなんとなく眺めていると、何故か目を惹く黒い絵があった。


 一目見て、あの東京の夜の思い出で、私は一杯になった。まるで記憶が襲いかかってきたようだった。


 歳の離れた従姉妹の姉さんが結婚式だというので、飛行機で東京に行った。ついでに観光することになったが、当時の私は人混みが嫌で嫌で仕方がなかった。夢の国も楽しめなかったし、街を散策するだけで余りにも人が多くて、早く帰りたくてホテルの部屋のユニットバスで一人泣いてしまった。


 夜はようやく落ち着けて、姉さんの旦那家族とのディナーに行った。まともな服というのが何か分からず、ずっと学生服だった。店の人がテラス席に案内しながら、夜景の紹介をしてくれる。確かテレビ局が見えるとか言っていた筈だ。しかし私の視線は空に釘付けになる。真上だ。


 これが黒だと思った。吸い込まれるように綺麗だった。この黒色がわざわざ東京まで来た価値だと分かった。


 あの時の黒、それが今、目の前にある。


 中学2年生の春、彼はたしかに芸術家だった。

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