鉄は熱いうちに打て
軽く仮眠したあと私室で軽食を摂り、ナタリアは私室のソファで膝の上に乗ってだらんと横たわる猫のティムの背を撫でながら考えた。
鉄は熱いうちに打つべきだ。
今すぐにやるべきことは?
真っ先に頭の中に浮かんだのは、家令のグラハムが身一つで拘束されていることだ。
あれは、本当に運がよかった。
まさか彼があそこまでの失態を犯すとは。
先ほどさんざんな目に遭ったローレンスは今頃、グラハムを同席させなかったことと今日を合わせて三日使えないことを後悔しているだろうが、今更もう遅い。
撤回することができず、もんもんと復帰を待つだろう。
なら、次の手はこれしかない。
「執事のセロンと侍女長を呼んでちょうだい。即刻相談したいことがあると」
アニーに頼んだ後、ティムの腰をとんとんと叩く。
すると、彼は満足げに喉を鳴らし、ナタリアの膝をもみ始めた。
ああ、癒される。
天国だ。
「何か御用でしょうか」
二人そろって呼び出しとのことで、執事のセロンと侍女長のサリバンがやや緊張気味に入室した。
「単刀直入にいうわね。グラハムが下級侍女たちを好きなようにしているのは、貴方たちが容認しているからなのかしら」
半分も聞かないうちに、二人の顔色が変わった。
「・・・好きなように、とおっしゃるのは・・・」
「アニーたちのような身元がしっかりしていて替えの利かない子たちはさすがに手を付けていないけれど、ランドリーやスカラリーの子たちに無体を働いているようね。しかも、屋根裏の寝室で」
ローレンスやナタリアの身の回りの世話や客人対応をする使用人たちは、全員そこそこの家の出だ。
下級貴族や郷士や商人の生まれで、ウェズリーに勤めることで得る何らかの実益を家が望んで差し出された人々。
だから、どの貴族の屋敷よりも識字率も高い。
それは休憩室に本を提供しながら彼らを観察し続けるうちにわかったことの一つだ。
ただし、洗い物など身体を酷使する職種のメイドたちはみな本棚を遠巻きに見ている。
文字を覚えてみたい様子なので、簡単なテキストを入れるかと思案しているうちに消えた娘が数人いた。
早期に幾人か捕まえて尋ねたときは下級メイドが逃げ出すのは珍しくないと興味なさげに返されたが、回をかさねぽろりと漏れた言葉をつなぎ合わせていくうちにようやく謎が解けた。
下級メイドがグラハムに寝込みを襲われ、泣き寝入りをするか逃げ出していると。
とくに妊娠した場合は闇に葬られている可能性があるとさえ。
この屋敷の規則として、男性使用人と女性使用人の居住区は引き離されている。
恋愛そのものを禁止してはいないが、屋敷内の互いの寝室に訪れるのは風紀上取り締まられていた。
それなのに、なぜかグラハムは屋根裏の女子寮に侵入している。
入口には侍女長の部屋があるにもかかわらず。
つまりは、この屋敷の使用人たちの誰もグラハムに逆らえないということだ。
「この件について私が改善しようとすると、貴方たちの今後に支障が出てしまうかしら」
二人の顔色は真っ青を通り越して白くなっていく。
「あの・・・わたくしの口からは・・・どうか」
先に懇願したのは侍女長だ。
下級メイドは人身御供にされ続けた。
それを、彼女は嬉々として差し出していたわけではないのかもしれない。
命にかかわるような何かがある。
「そう。逆らえない理由については深く尋ねないことにするわ。なら、私が勝手に改善命令を出すのは良いかしら。ちょうど鍵を取り上げていることだし、今のうちに女子寮の入り口の鍵を特殊なものに付け替えるとかね」
執事と家令と主人が持つ鍵はおおむね屋敷全体共通の一本を複製して所持している。
「鍵…ですか」
おそるおそる口を開くセロンに頷いて見せる。
「そう」
たくさんの部屋に一つ一つ作るときりがないため、少ない鍵数である程度の場所を開放するためだ。
「一本、増やします。そして、それを私と侍女長以外が所持することを禁じます」
本当ならグラハムのみ除外したいところだが、今回は男子禁制に重点を置く。
「そのために、改装工事をすぐに行ってほしいの。女子寮をこの三日の間に全面改装してほしいから、外部からも建具師を呼んで」
言いながら、事前に書いておいた図面を広げて見せる。
「・・・これは・・・」
覗き込んで二人は息をのんだ。
「廊下に面した扉は簡単な内鍵を設置。まあ、蹴り上げたら開くけど、ないよりましね。それと、部屋同士の壁を一部撤去、引き戸式の扉を設置しましょう。そこも一応簡易鍵つけて寝るときはかけてもらう」
本来は一人か二人入る程度の小部屋が連なる形になっていたため、完全密室で押し込まれたら後がなかった。
正直なところ、ざっくり壁を取り払って大部屋にしようかとも思ったが、流行り病が発生した場合あっという間に広まってしまう。
なので、折衷案として行き来のしやすい引き戸。
いざとなったら蹴り破って逃げられるように。
そして、物音が筒抜けであることもいくらか助けになる。
「同時に冬に向けての完備もします。敷物を部屋数の分だけ手配しましょう。暖房の件も職人たちが来たら相談したいわ」
「ナタリア様・・・」
セロンは複雑な表情で息をつく。
ナタリアがウェズリーに来て手を入れるまでは、劣悪とまではいわないが使用人たちに割り当てられた部屋の状態はあまり良くなかった。
なので、急遽衛生面と寝具をまず改善した。
しかし冬を目前に知ったのは、寒さ対策についてはほぼ自衛ということだ。
人数が多すぎて行き届かないと言えばそこまでだが、そもそもローレンスもグラハムも運営に関心がなさすぎる。
賃金も待遇も良くない労働現場は意欲と倫理観をだんだんとそいでいくものだ。
今まで滞りなく生活できたのはたまたま運がよかったのか、もしくはウェズリー大公の威光を振りかざしてのことだったのか。
なんにせよこのままでは破綻する。
「とりあえず指揮権が私にあるうちに、できるだけのことをしておきたいの。それは権力が欲しいわけではない、二年後から先のウェズリー侯爵家のためだと理解して。そして、可能なことだけでよいから協力して頂戴」
「・・・承知しました」
二人は同時に頭を下げた。
その間、ずっとナタリアの膝の上にのっていたティムは、ぱたりとしっぽをひとふりしたあと、満足げなため息をひとつついた。
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