決意表明


 執事と侍女長を送り出したあと帳簿を眺めていると、パール夫人と何かを大事そうに抱えているリロイがやってきた。


「改めまして、契約締結と卒業試験終了おめでとうございます」


 二人に深々と礼をされるが、声と顔が笑っている。


「ありがとうございます。まあ、あの程度のことで平和になるとは思えないけれど」


 あくまでもいったんこちらが優位に立っただけで、気を抜いた瞬間にすべてひっくり返ってしまうのだ。

 グラハムがダドリーへやってきた時から始まったゲームは、ウェズリー大公が息を引き取るまで終わらないだろう。

 えんえんと果てしない神経戦が続く。


「それでも、やられっぱなしよりましですわ」


 二人に着席を勧めるとアニーがすぐに紅茶と軽食を運んできた。


「外出許可も取り付けたことですし、これで大手を振って王太子宮へ行くことができますね」

「ええ。やっと」


 騎士の普段着に近い質素な乗馬服での朝駆けなど非公式の外出は許されていたが、『ウェズリー侯爵夫人』として公式に振舞うことは今までできなかった。

 社交界からの誘いを含め外部からのナタリア宛の手紙の一切を、大公からの指示でグラハムが握りつぶしていたからだ。

 先ほどのローレンスと協議の最後に、グラハムは全体を統括する家令からローレンスの執事へと降格し、セロンが当面家令を代行することを提案し、力業の説得の末合意をもぎ取った。

 すでに屋敷の運営にナタリアが着手していたため、そう難しいことではない。


「というか、ふだん何してるのでしょうね。ローレンス侯って・・・」


「何もやっていないから、年中発情するしかないんじゃないですか」


 ほうと、ため息をつくパール夫人の隣で、リロイが辛辣な言葉を吐く。


「・・・そうか。暇だから、ああなのね・・・」


 ナタリアは軽い頭痛を覚えて額を抑えた。

 セロンが言うには、ローレンスが十六歳で爵位を拝命したのと同時にグラハムが家令に着任した。

 以来、この十年近く経営のほとんどを丸投げしたままだ。

 派閥内の裕福な友人たちと遊びっぱなしなのは、結婚式の雰囲気で十分にわかった。


「ようするに彼は、見た目がよいだけの傀儡。これほどうまい仕事はないですね」


 とにかく、リロイは容赦ない。



 しかし実際、行政や財務補佐官はグラハムの指示に従って働いている。

 屋敷の差配は執事であるセロンが行うが、人事権は実質グラハム。

 彼の機嫌を損ねたものは紹介状を破り捨てられて放逐される。

 紹介状は使用人たちの生命線だ。

 これがなければウェズリーを出た後に貴族の屋敷で働くことはほぼ無理となってしまい、低賃金の日雇い労働へ身を落とすこととなる。

 こうなると、影の主人と言ってもいい。

 そんな彼が不自由な旅路をおしてまで、使者としてわざわざダドリーまで足を運んだのは奇跡だ。



「どう考えてもグラハムを叩けばもっといろいろ出てきそうな感じなのだけど、それを大公が知らないわけはない…。なぜ目をつぶっているのかしら」


 こうなると横領くらいやっているだろう。

 それもかなりの額を。


「グラハムについては、今、王太子妃様の手の者が調べを進めている最中です」

「何から何までありがたいわ」


 さすがは、パール夫人だ。


「私のこれから二年の仕事って、マリア様を女当主に仕立て上げることだけだと思っていたけれど。ローレンス・ウェズリーの当主教育ももれなく含まれているのね・・・」


 はああーと、ナタリアは深くため息をついた。


「正直なところ、そこまできっちり仕事をする必要はないと思いますが。一切を放棄してのんべんだらりと二年間お過ごしになっても全く問題ないのですよ?」


 そもそもウェズリーは仕事をさせるためにナタリアを呼んだわけではない。

 手助けをする義理はないのだ。


「わかっています、自己満足なのだということは・・・」


 お膳立てすればするほど、あの怠け者は頼ってくるだろう。

 そうなると、寄生する宿主をグラハムからナタリアへ鞍替えするだけのこと。


「『殺すのが惜しいくらい役に立つ女』であることが、とりあえず延命の手立ての一つだと思って始めたことですが」


 影の薄い存在なら、大公たちの思うつぼだ。

 すぐさま近くの湖に沈められていただろう


「私は、マリア様の今後がどうしても気になって…」

「まあ、そんなことだろうと思いましたが」


 ナタリアのおざなりな撫で方が不満だったのか、ティムがいきなり起き上がりパール夫人の膝に飛び移った。


「あらあら、まあまあ!」


 パール夫人は喜びの声を上げる。

 ティムはごろんと横になるなりさっさと腹を見せ、彼女の施術を一身に受けて満足げに喉を鳴らしている。

 この浮気者め。

 ナタリアは恨めし気な視線をティムへ送った。


「・・・ナタリア様。マリア・ヒックス嬢はテレサ・ベインズ夫人とは違うこと、わかっておられますよね」


 ウイルを蕩けさせながら、パール夫人がいきなり核心をついた。


「・・・そうですね」


 ふわりふわりと動くティムの尻尾を目で追いながら答える。


「わかってはいるのですが、どうしても重ねてしまいますね」


 テレサ・ベインズはダン・ベインズ第四騎士団団長の妻だった。

 しかし、その結婚生活はほんの数か月あまり。

 余命いくばくもない状態でダドリーへとたどり着き、この世を去った。


 その原因は、ウェズリー大公の長女とその娘。

 彼女たちに痛めつけられ、ぼろぼろになったところをベインズに助け出されたが、あまりにも遅すぎた。

 マリア・ヒックスと同じく、とある男爵の庶子として生まれたテレサは成人するまでロゼリア修道院へ放り込まれ、容姿の美しさから父親の駒として還俗させられてすぐに見初められた。


いや違う。

生贄として目をつけられたのだ。


ウェズリー大公の長女は貴族の女性たちばかりで行われた大きな茶会で、テレサと出会った。

修道院から出たばかりの少女は従順で穢れを知らず、探していたモノそのものだった。


その、モノとは。


金と権力に弱い父親を持つ弱小下位貴族の娘。

できれば、わが娘と同じ年ごろで背格好も同等。

そしてなにより、処女であること。

理由は娘の婚約者にあてがう為である。


この国では一般的に高位貴族の結婚に限って女性の純潔を求められる。


家もしくは国の契約であるため、初夜が完璧になされたかの確認のために翌朝ベッドもしくは新婦の診察が必要となる。

他国では数人の立会人が初夜のベッドを取り囲み、仔細をじっくり監視することもあるくらいだ。

『白い結婚』は、取り決められた金や利権のやり取りにおいて火種が生じることがままある。

それを防ぐための『確認』と『証明』。

新郎の身体が新婦の中に完全に挿入されてこそ、婚姻という契約が成立する。

しかし、その行為は慣れない者同士で行う場合、主に女性がかなりの苦痛を伴う。


そこで、高位貴族たちの間で密かに行われたのが閨教育。


そして、ウェズリー大公の長女は婿の『処女を抱く練習台』としてテレサを金で買った。

すべては、目に入れてもいたくない可愛い娘の結婚の準備の一環だ。 

道具として使うことに良心が痛むことなどない。

もちろん、テレサの父はウェズリーの翼の下に入れることを大いに喜んだ。

しかも多額の見舞金まで積まれたのだ。

二つ返事ですぐに庶子を差し出した。

おかげで閨教教育は順調で、指導につけた者からも良い報告が聞けた。

しかし、ここで誤算が生じた。

役目を終え戒律の厳しい辺境の修道院へ放り込んだはずの女を、婿がこっそり連れだして王都内の別邸に囲い、頻繁に訪れていたのだ。

事実を知った娘は半狂乱になり、女を憎んだ。

そして彼女たちは誘拐させ、思いつく限りの残虐な私刑を楽しみ、森に捨てた。

その非道な行いを知ったダン・ベインズが駆け付けて保護したとき、テレサは屍同然だった。


「私は、マリア様が第二のテレサ様にされてしまうのではないかと思うと、居ても立っても居られないのです」


 これから進むのは茨の道だ。

 少なくとも、既にウェズリー大公に喧嘩を売ってしまっている。

 このままでは、故郷の家族や助けてくれている人々を危険にさらすことになるかもしれない。

 せっかくの忠告を無下にする自分はなんて愚かだろう。

 頼まれもしないのに、勝手に決めつけ走り出してしまった。

 ただの自己満足だとわかっている。

 だけど、どうしても忘れられないのだ。


 枯れ枝のように細く頼りなかったテレサの指先を。

 そして、半身をちぎられたように苦しんだダン・ベインズの背中を。


 ナタリアは目を閉じ、ぐっと背を伸ばして深呼吸を一つする。

 身体の奥から息をすべて吐き出してから目を開き、顎を上げた。


「パール夫人」

「はい」

「今更気づいたのですが、私はそうとうな強欲です」

「はい?」

「なので、その強欲ぶりをとことん極めようと思います」

「・・・ほう」


 パール夫人はきゅっと唇の両端を上げる。


「そう、きましたか・・・」

「ええ」

「ふふ・・・。それはまた・・・」


 二人は見つめあったまま、喉を振るわせ低い声で笑いあう。


「久々に血が騒ぎますわあ」


 物騒な言葉に再び起き上がったティムはリロイのそばへ歩いていき、ぐっと眉間にしわを寄せ、なあうと一声訴えた。


「ああ、そうだな」


 指先で優しくティムの小さな額を撫でる。


「俺もちょっと耐えられないよ、この空気・・・」


 まるで、竜巻の前触れに来る冷たい風のようだ。

 リロイはため息をついた。


「それでも、離れる気はないけどな」


 彼の小さなつぶやきに、ティムは耳をぴくりと振った。


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