護衛騎士アベル・トリフォードとの朝駆け
それから数日、東の館のあたりが騒がしい気配が続いた。
専任侍女のアニーはどうやら事情を知っているらしく、時折何か言いたげな表情を浮かべていたが、おそらくそれをナタリアの耳に入れたことが知れたら罰せられるのは間違いないので、気付かぬふりを通した。
基本的には執事の指導の下おとなしく侯爵夫人としての修行をし、息抜きには西側にある厩舎で馬を見せてもらい、飼っている犬や猫とも遊ばせてもらった。
生き物に触ると心が落ち着く。
厩舎にいた中で一番懐いてくれた猫を自室に連れ帰り、ティムと名付けた。
灰色のやわらかい毛は手触りが良く、心地よい。
話しかけると青い目をきらきら光らせ、ナタリアの言葉を興味深げに聞いてくれる。
とても賢い子だ。
ウェズリーで初めての友になった。
広いベッドで寄り添って横になると色々な考え事も忘れて眠れた。
さらに邸内では味方になりうる人ができた。
グラハムに指名され、日中のナタリアの護衛についている騎士のアベル・トリフォードだ。
彼はもともとダドリーから王都までの道のりを同行してくれた騎士のひとりで、あの強行軍を共にした時から友情めいた物が育っていた。
麦の穂のような髪に黒い目の優しい顔立ちの青年で、ナタリアより少し年上らしい。
ウェズリー侯爵騎士団の中では一番の腕前だそうで、正直、ナタリアの護衛にはもったいない人だと思う。
「お気づきかと思いますが、私はナタリア様にとっては因縁のある家の出です」
日の出とともに郊外へ遠乗りに連れ出してくれた時、そう切り出された。
彼の実家のトリフォード子爵は、ダドリーが裕福だった頃の平野の所領と現在の西の辺境山岳地帯の交換をウェズリー大公にねだった伯爵の配下だ。
おかげでダドリー家は貧しい暮らしへ転落し、ナタリアが借金のかたに政略結婚させられる羽目になったのだが、実は奪った方もその後領地経営が上手くいっていないらしい。
肥沃な土地だから左団扇で暮らせると思い込んでいたが、ことの経緯を知っている領民たちは全く従わない上に、不作が続き農民が流失している。
「なので、ウェズリー大公に近い貴族たちの間では囁かれていますよ。ダドリーの呪いって」
「・・・それはまた、光栄な」
呪っていない。
そんな暇があったら、領民たちとうまい飯を食いたいと願うのがダドリーだ。
そもそも、呪うならウェズリー大公閣下一択に決まってる。
「・・・ん?そういうことなら、わざわざ私の護衛に回されたのって」
まるで、呪われてしまえと言わんばかりの配属。
「はい、ちょっとした嫌がらせです。大公閣下のお気に入りの方の誘いを先日お断りしたので・・・」
「出た・・・。ご愛妾がらみ」
「ご存じですか」
ご存じも何も、リロイはまさにそのパターンなのだから。
「ええ、何人か被害者がわが領内に逃げ込んできているので。おかしいと思ったのですよね、トリフォード卿ほどの方が私の護衛になどと」
「いえ。幸運でした。護衛業務に専念させてもらうほうが、変に絡まれないので・・・」
アベル・トリフォードは子爵家三男。
この邸内では平民に近い扱いだ。
「ああ・・・。なるほど」
厩舎へ顔を出すようになって気付いたのは、ウェズリー騎士団のまとまりのなさだ。
実力と出身がかみ合わないのはどの騎士団でもおそらく同じだが、コネの強さが階級に反映されている所はたいてい戦力的に脆弱になる。
正直、ウェズリー侯爵騎士団は家格と美形を揃えただけのポンコツだ。
おそらく、いざとなったらルパートひとりで全制圧出来るだろう。
ここまで見た目と数だけ合わせたお飾りになってしまったのは、ひとえにウェズリー大公の威光で襲われる心配がなく、かつ他国との戦争がないためだろう。
となると、大公に倣う高位貴族たちにとっても騎士団は単なるアクセサリーでしかない。
それで碌を食んでいる者たちもそれを是とするならば…。
有事にこの国は、弱い。
藁の家に住んでいるようなものだ。
「トリフォード卿。正直者のあなたに、私の秘密を一つ教えます」
だから、冗談めかして告げることにする。
「正直者、ですか?」
空気を読んで、彼は笑ってくれた。
「私、実はけっこう強いのです」
「・・・は?」
「実戦ではおそらく、あなたより弱い騎士たちはそんなにかからず倒せます」
ここは、早朝の郊外。
見渡す限り広がる草原の中、馬上のトリフォードとナタリアの二人きり。
聞き耳を立てている人などいない。
「これから時々、朝稽古しませんか、ここで」
いざという時に戦えるように、戦いの勘を研ぎ澄ませたい。
「あなたも、私も、強くなれるように」
このままウェズリーで侯爵夫人を演じていたら、きっと小さく弱くなってしまうだろう。
「もっと、もっと、強くなれるように」
狩られるくらいなら、狩ってやる。
ナタリア・ルツ・ダドリーとしてのまなざしで、アベル・トリフォードを誘う。
「・・・それは。楽しそうですね」
アベル・トリフォードはふわりと笑った。
それは従僕の控えめな優しいものではなく、騎士としての野心に満ちた、男の顔だった。
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